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6:産声のない赤子②

 両手でテーブルを叩きつけ、男爵は立ち上がった。カトラリーと皿が雑音を鳴らす。

 苦渋の表情を浮かべ、俯いた男爵はぐっと目を閉じて、メイドに問うた。


「ヘザーに告げたのか」

「いいえ、後産もありますので、奥様にはなにも。赤ん坊は産婆が別室に連れて行き、色々手をかけていますが、一向に泣く気配もなく、おそらく……」

「そうか」


 場が一気に冷え込んだ。


 ネイサンとオーランドも、食事どころでなくなる。こんな時に訪問してしまったことを後悔しながら、カトラリーを置いた。


「……すまない、ジャン」


 オーランドは空っぽな声を発する。まっすぐに鬼哭の森にいくべきところを、遅らせたいがために立ち寄った自己都合に自責の念が湧く。

 ネイサンも同じ気持ちだった。

 手を膝に置き、俯くリディアだけは静かであった。


「いいんです、殿下。可能性は考えていました。

 実は、殿下が王都に戻られた後に、今まで元気に動いていた赤ん坊の動きがぴたりと止んだのです。

 妻のヘザーは急な変化に不安がっていましたが、赤子が大きくなって狭い腹のなかでは動きにくくなったのかもしれず、産婆も産んでみないと分からないと言うので、妻を宥めて、私は気にしないようにしてました。

 昨日、陣痛が始まり、産まれるのなら大丈夫だと思っていたのですが……」


 顔をあげた男爵は力なく笑む。


「いかがいたしましょう、旦那様」

「いつまでも隠せないだろう。ヘザーには明日、私から話そう。

 まずは赤子と産婆がいる部屋へ行く」


 男爵が歩き始めようとしたところで、リディアが顔をあげた。


「待って」


 まっすぐに男爵を見つめる目は、道中見たことがないほど生気にあふれていた。

 

 その眼の色に、オーランドとネイサンは目を剥いた。

 意志の強い輝きを取り戻し、時間が巻き戻ったか、はたまた魅了の魔女であることが夢幻かと錯覚しそうな印象を受けた。


 二人は一瞬、本当に三人で鬼哭の森に旅立った英雄一行のようにさえ感じた。

 

 リディアの眼光に男爵が立ち止まる。


「いかが、されましたか」

「その赤ちゃんと会わせてもらえませんか」

「それは、どういう……」

「会ってみないと、お約束はできませんが。私なら、なんとかできるかもしれません」


 男爵は息を呑んだ。

 リディアは、意志が灯った瞳をオーランドとネイサンに向ける。


「かまわないかしら、オーランド」


 リディアに名を呼ばれ、オーランドは震えた。


「もちろん。俺はかまわないさ」


 答える声はかすれていた。

 たった一言発しただけで、口内は乾ききる。

 リディアは、ほんのりと嬉しそうにほほ笑んだ。

 その笑みに、オーランドもネイサンも泣きたくなった。


 必死な男爵は、二人の僅かな変化に気づかない。


「なにか手があるというのですか」

「なんとも言えませんが、可能性はゼロではないとだけ」


 両目をさっと潤ませた男爵が、頭を垂れた。


「どうかよろしくお願いします」

「行きましょう、カスティル男爵。急がなくては。

 オーランド殿下とネイサン様も一緒に来てもらえますか」


 いつもと違う呼び方にオーランドとネイサンは戸惑いを覚える。

 場に合わせて変えたのだろう。彼女なりに、旅の一行というふりをしているのかもしれない。

 オーランドとネイサンは顔を合わせて頷きあう。


「いこう、リディア」


 二人とも彼女のふりに付き合うことにした。

 

 今だけは、魅了の魔女であるリディアを断首するためではなく、大きな脅威を退けるために旅立つ使命を帯びた英雄一行のつもりに心を切り替える。


 メイドを先頭に、無言で四人は赤子がいる別室へと急いだ。


 部屋に入ると、産婆が赤子を抱きながら、ぐったりと椅子に座っていた。

 ばたばたと入ってきた五人に顔をむける。


 男爵の顔を見るなり、椅子から降りた産婆は膝をついた。泣かない赤子は赤黒い土人形のようである。

 産婆が頭を左右に振ると、その場にいたリディア以外全員が、死産だったのだと理解した。


 リディアが進み出て、産婆の前にしゃがみ込んだ。肩に手を添えると、産婆が顔をあげる。


「大丈夫。まだ産まれたばかりの子でしょう。なんとかなるわ」

「あなたは?」

「私は選民(せんみん)です」


 選民という単語に産婆の顔色が変わる。

 メイドも両目を瞬いた。

 後ろにいた男爵も目を見張り、オーランドの顔を見た。

 リディアの発言に合わせてオーランドは真顔で頷く。


 貴族でも、平民でもない選民は、とても特殊な人々で、スタージェス公爵の管轄地で保護されている少数民と言われている。

 彼らは特殊な力を持っていて、秘術を使うと流布されていた。

 特殊な力とは魔力であるが、その力が何なのかまでは人々には知らされていないのだ。

 一般的には、高い能力ゆえに秘匿されている民であるとだけ認知され、それさえも実は嘘なのではないかと平民は思っていた。


 男爵はオーランドに耳打ちした。

「話には聞いたことがありますが、本当にいたのですね」

「彼女が俺たちと一緒にいるのは秘密だ。誰にも言わないでくれよ」

「もちろんです。彼女やネイサン殿を連れているとなると、今回はよほどの厄介事なのでしょう」

「そうそう、そういうことだ。

 だから、メイドのお姉さんも、黙っていてくれよ」

 オーランドがにっと笑いかけると、メイドは勢いよく何度も頷いた。

 

 ネイサンは、オーランドの作り話にちょっと可笑しくなり、その与太話が、本当の話であればいいのにと思った。


 もちろん、産婆も選民と会うのは初めてだった。

 産婆は赤子を片手でだき、もう片方の手でリディアの腕をすがるように掴んだ。何かを言おうとしても、言葉がでない。

 リディアは静かにほほ笑む。


「私は特別な力を持っているの。だから、オーランド殿下とも旅ができるのよ。だから、大丈夫。可能性があるとしか、今は約束できないけど……」


 凛とした声音に産婆はかしずく。


「どうか私に赤ん坊をください」

 

 産婆は言われるままに差し出そうとして、直前でためらい、リディアの後ろに見える男爵に目配せした。

 どうしていいか分からないと訴えてきた産婆に、彼女の言う通りにしろという意味を込めて、男爵は頷いた。

 産婆はリディアに赤子を渡す。

 赤子を抱きしめたリディアは立ち上がり、振り向いた。


「この子を蘇らせれるか試してみたいと思います」


 その一言に、男爵はぶるりと震えた。


「できるのですか」

「うまくいくかは、わかりません。保証はできませんが、許してもらえますか」

「かまいません。どうか、一縷でも望みがあるなら」

「ありがとう。

 そして、お願いがあります」

「なんなりと。望みのままに」

「ここの部屋を貸してください。

 この部屋で、オーランドと二人きりにさせてもらえますか」



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