53:騎士団の稽古場①
パンを詰めた紙袋を渡すまでに、気持ちを落ち着かせたクリスティンは青年に笑顔を向ける。
「どうぞ。今日は、クープとミルクパンです」
クリスティンから青年はパンが入った紙袋を受け取った。
「ありがとう。あの……、つかぬことを聞きたいんだが……」
「はい、なんでしょう」
言いにくそうに目を逸らした青年が、口元に拳を添えて、再びクリスティンを見る。
昨日の昼間とはうって変わったその姿に、クリスティンの胸がざわつく。青年の心情が移ってきたかのように、気恥ずかしさを覚えた。
「君は午後は店にいないのか」
「えっ、あっ、はい。いません。私の仕事は朝だけなんです」
「そうか」
(まさか、この人、昨日の午後にでも、私にお金を返しに来たのかしら)
借りたお金をすぐに返そうとするのは好感が持てた。予想していた以上に、青年は真面目な人のようだ。
(あの王子様に意見してくれていたものね。私を先に去らせようともしてくれたんだった)
彼の一言で王太子殿下が引いたことをクリスティンは覚えていた。
さらに学院の用事が終わった後にわざわざ返しに来てくれたとしたら、彼は悪い人ではないだろう。むしろ、不愛想でも怖そうでも、根は善良なのだ。
「もしかして、昨日の夕方にでも、返しにきてくれたんですか」
確信は持てなかったので、遠慮がちに訊く。
青年は苦笑した。
「実は、そうなんだ。しかし、店を覗いても君はいなかったから、戻ってきた」
「それは、ごめんなさい。せっかく来てくれたというのに」
「いいんだ、昨日の親切には助けられたから」
「そう。でも悪いわ」
クリスティンはパン屋の品ぞろえをぱっと見て、小銅貨二枚で買えるパンに目星をつけた。
「少し、おまけしてあげますね。紙袋もらっても良いですか」
「いや、そこまでしてくれなくても……」
「いいんですよ。私の気持ちです」
クリスティンは青年の紙袋に手を伸ばした。
悪いと思っていても、急にクリスティンの手が伸びて驚いた青年は紙袋を手放してしまう。
すかさず袋を開けたクリスティンは素早く棚に移動し、新たなパンを詰め込んだ。引き返しながら紙袋の口を閉じる。青年のすぐ横に立つと、紙袋を差し出した。
詰めたのは丁度小銅貨二枚分になるパンだ。
「こんなに、いいのだろうか」
「いいのよ。すぐにお金を返そうとしてくれたお礼」
「借りたものは返す。当然のことだ」
「ううん。そうやってすぐに気にかけてくれたことへのお礼よ」
(殿下と鉢合わせないよう、逃がそうとしてくれたことと、殿下の誘いを断ち切ってくれたお礼も込みね)
「……なら、今日は貰っていこう。また、機会があれば買いに来て良いだろうか」
「かまわないわよ。私は平日は八時半、休日は九時ぐらいまで働いているの。それ以外は店にいないわよ」
「分かった。ありがとう」
青年ははにかみながら、紙袋を受け取った。
その笑顔を見ながら、クリスティンは思う。
(不器用だけど優しい人ね。なぜかしら、とてもあたたかくて、甘くて、懐かしい気持ちになる)
店内の甘いパンの香りに包まれているせいかもしれない。
一礼して去る青年を手を振って見送ったクリスティンは、勘定場に残った四枚の小銅貨を釣銭入れにそっとしまった。
パン屋の店番を終え、朝食用のパンとミルクをもらって部屋に戻る。急いで食べ終えると、騎士団へ赴くための服に着替えた。
詰襟の上着は首元までぴっちりとしめる。短靴を履き、パン屋の売り子ティンから、剣豪オーランドの直弟子クレスに変装完了。
長剣を手にする。
(稽古場に行く前に確認してみよう)
剣を引き抜いてみる。
(綺麗)
刀身眩いずっしりと重い真剣であった。
鞘に納めた剣を佩き、胸を張って部屋を出て、玄関先で気合を入れてから、階段を走りおりる。
小道から出て人にぶつかってはいけないので、そこは慎重に顔を出すと、準備運動とばかりに、クリスティンは走り出した。
メイン通りに出ると歩調を緩める。
噴水を背にして、騎士団の稽古場へと歩き始めた。
稽古場の門前に到着した。
先日と同じく門番が二人いる。
ウィーラーから聞いたことを思い出しながら、クリスティンは大きく息を吸い込んだ。
(まずは、近衛騎士団長に会いにきたと告げるのよね)
クリスティンは迷う。
本当にそれでいいの、と。
(稽古場に顔を出せるようにおいちゃんが計らってくれているなら、それは間違いないはずよ。
大丈夫、大丈夫。だって、先生がそう言ってたんだもの)
クリスティンはゆっくりと門へと近づく。
二人の門番は勇ましく歩いてくる子どもの姿にすぐ気づいた。
左右に立つ門番はウィーラーが言っていたように、オーランドと同じくらい体が大きかった。日々鍛えているのだとその姿からよく分かる。
その一人に恐る恐る声をかけた。
「あの……、近衛騎士団長はいらっしゃいますか?」
「近衛騎士団長? 坊主、団長に何か用があるのかな」
おどおどして話しかけたクリスティンに、門番はまるで子どもへ語りかけるように問うた。
クリスティンはごくりと生唾を呑む。今さらながら、緊張してきた。腰に佩いた剣の柄に手をかける。
「お前、いっぱしに剣をもっているのか」
「はっ、はい」
「待て待て、許可のない帯刀は王都では禁止されているんだぞ」
「えっ、そうなんですか」
思わぬところを注意され、クリスティンは泡食った。
隣にいる門番も近づいてくる。
「どうした」
「子どもが、剣を持っているんだ」
「剣? まさか。どうやって手に入れるんだ」
「模擬の剣じゃないのか」
二人の大男にクリスティンは迫られる。
(ええぇ! 先生、そんなこと言ってなかったのに~。門番に声をかけて、猫のようにあしらってきたらやっちゃっていいよ、どころじゃないじゃない。帯刀禁止なんて、どうしてそんな大切なことをおしえてくれないの~)
不測の事態に、情けない顔であわあわしてしまうクリスティンに門番二人が迫った。上から影を落とすように睨みつける。
「子どもと言えど、悪戯が過ぎるのはよくないぞ」
「そうだ。模擬の剣といえど、人にぶつければ怪我をさせることになる」
「はい~……」
「まずは、剣をあらためさせてもらうよ」
門番の手が伸びて、クリスティンの剣を奪おうとする。
(駄目駄目。絶対にこれ、ばれちゃだめじゃない。
ああぁ、なんでおいちゃん、こんな立派な真剣を用意してくれたの。先生も先生よ。なんでこんな大事なことを教えてくれないのよ~)
ばれちゃいけないと思うあまり、反射的に身体を逸らして、門番の腕を避けてしまう。
門番の手が空をかく。
前のめりの姿勢となった彼は、顔だけをクリスティンに向ける。その表情は明らかに逃げられたことを驚いていているものだった。
(ああぁ、どうしよう。私はどうしたらいいの)
捕まえようと迫る門番二人を前に、クリスティンは逃げるに逃げれず、剣の柄をぎゅっと握った。




