5:産声のない赤子①
寄り道をすることにしたオーランド一行は鬼哭の森のふもとにあるカスティル男爵の城に夕刻到着した。
男爵の住まいは、鬼哭の森を監視し、瘴気や魔物から防衛するのために造られ、時代とともに捨てられた古城である。
馬を降りると、顔見知りの門番が、居館へと知らせに走った。
程なく、門番とともにカスティル男爵がやってきた。
「オーランド殿下、お久しぶりです。おや、今日は一人ではないんですね」
「つれも一緒で悪いんだが、数日厄介になれるだろうか」
「かまいませんよ。部屋はいくつもありますから」
「ありがとう。ところで、夫人も元気か」
「ええ、まあ。昨日から陣痛が始まりましてね。ちょっと城中慌ただしいんですよ」
陣痛という言葉に、俯いていたリディアが顔をあげ、ネイサンも目を見開いた。
男爵は苦く笑う。
オーランドも困惑した表情を浮かべた。
「ジャン、すまない。そんな大変な時にきてしまって」
「いいんです、気にしないでください。
むしろ産まれる頃に来てくれる約束を忘れないでいてくれて、嬉しいですよ。なんなら、名づけ親にでもなってほしいぐらいです。
英雄から名をもらったなんて、男の子なら箔がつきます」
「いいのか。その、今日、厄介になっても……」
「かまいません。居てくれた方が、私の気も紛れます。こういう時、男は何もできませんから。
ですので、後ろのお二方も、気にしないでください」
少し疲れ気味の顔で、男爵は笑う。
リディアとネイサンが軽く頭を下げた。
男爵は部屋を用意すると言い、城内へ戻る。
門番が案内してくれた厩舎で、馬丁に馬を預けたオーランドたちは遅れて城内へ入る。
門番からメイドに案内役が変わり、三人は小ぶりな応接室へと通された。メイドは「旦那様をお呼びしてきます」と去ってゆく。
なにも語らず後ろについてきたリディアは、ここに来ても、黙って壁際に立とうとするので、ネイサンが「ここはもう王都じゃないよ」と応接セットのソファに座るよう促した。
機械仕掛けの人形のようにリディアは長椅子の端に座った。
リディアから一番遠い一人掛けの椅子に、オーランドは座る。ネイサンはリディアの顔を様子見できる、オーランドの隣に座った。
「オーランド、カスティル男爵にリディアをどう紹介するつもりだ」
「一緒に森へ入る仲間とでも言うさ」
「つまり、肝心なことは隠すつもりか……。そうだよな。それが妥当だよな」
「いらないことで、ジョンを巻き込む気はないだけだ」
ネイサンはリディアに視線を投げる。
「というわけだ。
ここにいる限りは不審がられないように過ごそう、なっ」
うつむき、男二人を見ようともしないリディアが軽く頷く。
旅の間中、ずっとこの調子だった。
利発なリディアは人形のように黙して語らず、朗らかなオーランドの面影も消え、長い付き合いになるネイサンは胃がキリキリして仕方なかった。
(いたたまれねえ)
視線を天井に投げたネイサンは、何も言えない。
扉が開く。カスティル男爵が入ってきた。
オーランドが顔をあげる。
「お待たせして申し訳ありません、殿下」
「いいんだ、ジョン。急に勝手にやって来て、迷惑をかけているのは俺の方だ」
「殿下、何を言っているんです。急に我が物顔で来るのはあなたの専売特許でしよう」
ぷっと男爵がふきだしながら、オーランドの真正面の一人掛けソファに座る。
「そうか?」
罰が悪いという顔で、オーランドは口をすぼめた。
ネイサンはどうせそんなものだと気にもしない。ただ男爵が現れたことで、重苦しい静寂に清涼な風が吹き込み、安堵していた。
「大変な時に訪ねることになって申し訳ない、カスティル男爵。私は、今回の旅の同行者で、ネイサン・ストラザーンと申します」
「ストラザーン……。公爵家の方でしたか」
一気に恐縮する男爵に、ネイサンは両手のひらをむけて振る。
オーランドとリディアの板挟みだった道中を考えると、ここに男爵がいてくれるだけでネイサンにとっては天国だ。
「家格など気にしないでほしい。今回は所詮、殿下の同行者です。そちらの彼女も……」
なんと紹介したらいいかとネイサンは戸惑う。
するとリディアが顔をあげた。
「初めまして、私も旅の同行者で、リディアと申します」
「いえ、こちらこそ。古めかしい城になりますが、よくお越しくださいました」
微笑んだ男爵は深く頭を垂れる。
オーランドが女性を愛馬に乗せてきたと門番から報告を受けていた男爵は、顔に出さないまでも、二人をただならない関係と捉えていた。
男爵が誤解をし、いらぬ気を使おうとしていることなど気づきもしないオーランドとネイサンは、王都を出発してはじめてまともに話したリディアに驚いていた。
しばらく応接室で話をしてのち、食堂へ移動する。
食事の準備は途中だが、四人は椅子に座った。
「ジャン殿、私たちと一緒に食事までとは、申し訳ない」
「いいんです、ネイサン殿。妻には産婆や手伝いのメイドが何人もついています。私が近くをうろついている方が邪魔で、邪険にされます。
初産は人によっては、三日かかると聞きますので、こればかりは待つしかない」
「そうですよね、よく分かります」
「一人では食べる気にもならなかったので、来ていただいて助かっているのは私の方なのですよ」
「そう言ってもらえると、救われます」
「ネイサン殿にもお子さんが?」
「いやいや、うちは兄に三人子どもがおりまして、ここ数年で三度出産場面があったんですよ。
この時ばかりは、女たちの剣幕に俺も足蹴にされました」
「公爵様のお屋敷でもですか」
オーランドが「んっ?」と首を傾げた。
「三人? 一人じゃなかったか、ネイサンの兄の子は」
「妾の子が先に二人生まれているんだよ。三人目のライアンだけが正妻の子なんだ」
「そういうことか」
二人の子は先に産まれて、屋敷内で育てているが、認知はしていないのだとオーランドは理解した。
リディアは視線を横に逸らし、眉間に皺を寄せた。
カスティル男爵は聞かなかったふりをして、覚えていても良いことはないと、その情報を忘れさることにした。
食事が並べられ、四人は食べ始めた。
ごろりとした野菜と肉を柔らかく煮詰めた赤いスープと、砕いたナッツをふりかけた丸いパン、塩をふりかけ、直火で焼いた川魚に果物。
家庭的で滋味深い料理に舌鼓を打つ。
食事も終わりかけた時だった。
メイドが扉を押しのけて、飛び込んできた。数歩進み、膝に手をかけ、肩で息を繰り返す。
食事中の四人の手が止まる。
産まれたと言うであろう、メイドの一声を待ち、息を潜めた。
顔をあげたメイドは青ざめていた。喜ばしいことを告げに来たようには見えなかった。
「産まれた赤子が……」
そこまで行って、メイドは唇を戦慄かせた。
男爵は静かに問う。
「どうした。何かあったか」
みるみる今にも泣きそうな顔になったメイドが叫んだ。
「産声をあげません!」