43:いざ王都へ③
「あんた、今、こっち出られるかい」
おかみさんが勘定場の後ろにある出入り口に向け、大きな声で呼びかけた。奥から、がたんと音が響く。
「くるね」と呟いたおかみさんが振り向きざまに、「奥はパンを焼く調理場だ。パン焼き職人である、うちの亭主が仕事をしているんだよ」と言った。
奥から、中背で小太りな男性が顔を出す。
「クリス……いや、ここではティンだったね。この人が私の亭主のニールだ」
おかみさんから紹介を受け、クリスティンはぺこりと頭をさげる。
ニールが被っていた帽子をとり脇に挟んだ。
おかみさんはニールに顔を向ける。
「この子が今日から家で預かる子だよ。殿下の秘蔵っ子だ」
粉のついた手を布で拭きながら、ニールは頭をさげた
「よろしくな」
「よろしくお願いします」
「うちは朝が早い。パン作りで日の出前には起きて焼いている。店を開くのも、ここいらで一番早い。
早起きは大変だと思うが、がんばれよ」
「はい、頑張ります。どうぞよろしくお願いします」
挨拶を終えたクリスティンは、ウィーラーとともに街を見るためにパン屋を出た。
近場の食料品や雑貨を扱う店、被服店や公衆浴場など、いくつか見て回った。
パン屋の周りは商店が多く、生活には便利そうである。どの建物も、階下に店があり、上階が住まいとなっていた。
正門から城まで続く通りにも店舗はあるが、宝飾品や高価な衣料品、地方の名産などの高級品を扱い、平民の生活では手が出ない品も多いそうだ。日用品を揃える時は、平民の生活を支える商店を主に利用した方がいいと説明を受ける。
市民の商店街を見てからメイン通りへと向かう。
横道を出て、振り向く。
正門と噴水が見えた。城壁も高くそびえる。
太陽が傾きかけ、青空だった空の端っこに赤みがさしていた。
「少し早いが、夕食にするか。食べに行こう」
「はい」
通りを城に向かって進む。
山脈の傾斜面にあるため、道は緩やかな坂となっていた。
「お城、小高いところにあるんですね」
「王都の一番高いところに城があるからね。あそこからはこの街全体見渡せるんだ。
上に行くほど、貴族や金のある者が住んでいて、平民は門に近いところに住む。
メインの通りに近い方が治安が良い。王都だからすべて安全とは言えない。女の子は特にね、気をつけて」
「はい」
「貴族学院も貴族の子弟が通うから上にあるし、騎士団の稽古場もしかりだ。明後日、案内するよ」
「よろしくお願いします」
ウィーラーが足を止めた。
「あそこでいいか」
通りに面したオープンな店があった。
黒い柱にガラスがはめられ、店内が見える。落ち着いた雰囲気の店だ。
クリスティンは今着ている服を見た。平民が歩く商店街ならいいが、高級な店かもしれない場に相応しいか疑問に思う。
恐る恐る、入ってもいいのか伺うようにウィーラーに問うた。
「通りに面している店は高いんじゃないですか」
「正門に近い一階のカフェなら、平民も利用する店だ。気にしなくていい。
正門に近ければ、平民も歩くし、通りの店も利用する。今日は平日だが、休日はここら一体、出店が並ぶこともあるんだよ」
「まだ増えるんですか。想像もできない。お店がこんなにあるのも見慣れないのに。これ以上に増えるなんて」
嘆息するクリスティンにウィーラーは笑む。
「上に行くほどに、貴族が住み、値段が高くなると思っているといい。噴水が見える位置にあるオープンな店は、平民も利用する店さ。
ほら店内に座る人も、軽装でくつろいでいるだろう」
「言われてみれば……」
ウィーラーと共に店に入る。直前にクリスティンは三角巾を外した。
店員に案内されたテーブルに座り、クリスティンは三角巾のハンカチを細長く畳み、髪を束ねた。
お茶を飲む人も多いが、軽食をつまみながら本を読んでいる人もいる。過ごし方は色々なようだ。
メニュー表を開いたウィーラーが、クリスティンに見せながら「これとこれにするよ」と了承を得て、店員を呼び注文した。
頬杖をつき、ウィーラーはにやりと笑う。
「初の王都暮らしだな。一人暮らし、がんばれよ。慣れるまでが大変だな」
「きっと、慣れないことばかりね。実感わかないけど……」
「これからの日程は分かっているか」
「はい。
入学式は一週間後。それまでにパン屋の仕事を覚えたいですね。
騎士団の稽古場にも顔を出してみたいです。
学院は、今日から新入生の下見に解放されているんですよね。入学前に、一度見学してみたいです。
それから……、初日に入学式とオリエンテーションがあり、授業開始。最初の一月は一般教養で、学部別に分かれるのは二か月目から。
入学式が終わり、約三週間後に、新入生歓迎会があるんですよね」
指折り数えて、確認していたクリスティンの手が止まる。
おずおずとウィーラーを見た。
「歓迎会って出なくちゃいけないんでしたっけ」
「今後のためにも参加するのが一般的だよね」
「貴族のお茶会のようなものだよっておいちゃんは言ってたけど、貴族のお茶会ってどんな感じなんですか。
お茶会っておいちゃんは気軽に言いましたけど、私からしたら、まったく、気軽じゃないんですよ」
困り顔のクリスティンにウィーラーが喉を鳴らし笑う。
「その場に相応しいドレスを着て、大人しくしていれば、つつがなく終わるよ」
「つつがなくって……」
「そうだ、衣装も用意してあるんだよ」
「えっ! もはや」
「殿下は用意周到だよ。産まれた時から、クリスティンが着るドレスはほとんど殿下が買っているんだ」
にやりと笑うウィーラーにクリスティンは苦笑する。
「おいちゃんは……、甘いから、ねっ」
「クリスティン限定だよ」
「弟妹にも優しいわ」
「クリスティンの傍にいると、優しくなれるんだよ」
くくっとウィーラーが笑う。
クリスティンは何と答えたらいいかわからなかった。
同時に、スープとパンにドリンクを店員が運んできた。
ごろごろした多種類の野菜に、大きな肉の塊も入っているスープは、色味こそ澄んだ薄茶色だが、よく煮詰められているようで、肉も野菜も柔らかそうだ。
それに、丸パンと氷が入った橙色のジュースが並ぶ。
ジュースグラスを見て、クリスティンは目を丸くする。
「すごいのね、平民が利用する店でも氷がつくなんて」
「地方では珍しいよね。王都は魔石が豊富でね、利用頻度が高いんだ。平民も暮らしの中で多く利用しているんだよ」
「地方と王都では、そんなに違うのね」
ウィーラーがそっと唇に人差し指を添える。
「あれは、秘密だからね。くれぐれも気をつけてね」
「はい。肝に銘じてます、先生」