38:旅立ち前のお祝い②
クリスティンがひよこと対面している同時刻。
森の手前では先鋭隊とライアンが黄貂たちを待ち構えていた。
瘴気が森に引き始め、太陽こそまだ顔を出していないものの、空は明るくなりつつある。(そろそろだ)と子どもの背丈ほどある草間に隠れるライアンは確信していた。
荒れた畑地に無造作に生えた雑草ががさがさと森に向かって一直線に揺れ始めた。黄貂が森に戻ろうとしているとライアンは察知する。
(もっとだ、もっと引き寄せてから)
ライアンは、息を潜めて、待つ。
空き家から走ってくる騎士達は左右に散り、黄貂を追い立てている。
一番端にある畑地に黄貂が入りこんだ。
(いまだ)
速い黄貂が畑を駆け始めるなり、ライアンは片手で地面を軽く叩いた。手のひらと地面の間で、びりっと魔力が小さく爆ぜる。
途端に、黄貂が走り抜けようとする地面が割れた。ひびが入った地面は轟音とともに土埃をあげて、落ちる。区画された畑は、あっという間に落とし穴になった。
その穴に、駆けていた黄貂が軒並み落ちてゆく。
落ち切れなかった黄貂が穴の縁で足踏みし、急停止した。
追い立ててきた騎士が迫るため退路はない。進むしかない黄貂は、穴の縁に添って走り出す。
立ち上がったライアンが声を張り上げる。
「逃れた黄貂はすべて穴に落とせ!」
隠れ潜んでいた先鋭隊も動き出す。追い立てる騎士達により、逃れた黄貂もことごとく穴に落とされていった。
夜、空き家を出たライアンは身を潜め、魔物の出現を先鋭隊の面々と待っていた。そこに、おびただしい数の黄貂が飛び出してきた。
あの数の黄貂を一匹残らず駆除するのは不可能だと結論づけたライアンは、空き家から逃れてきた黄貂を落とし穴に突き落とすことを提案した。落とし穴をどうやって作るのかと訝る騎士たちの目の前で、畑の一角にあった土を、魔力により圧縮する。ぽっかりと空いた穴の底は見えず、騎士達は瞠目した。
「これは落とし穴だ。墓じゃない。わざわざ人力で掘る必要はないだろう」
得意げに笑むライアンに、騎士達はさすが未来の聖騎士様だと感心した。
その後、穴の表面を魔力をもって土でふさぎ、周辺と同じように伸長させた草で覆いつくしたライアンは、騎士達とともに身を隠した。
現在、つぎつぎと黄貂が落とし穴に投げ込まれていく。作戦の成功をライアンは満足そうに見つめる。
(これで少しは叔父上にも顔向けできるな)
傍観していると、脳内のネイサンに詰めが甘いと叱責され、苦笑いしたライアンは走り出した。騎士達とともに、残った黄貂を次々と穴に落としていった。
一方、その頃。
クリスティンはひよこの澄んだ黒目に吸い込まれていた。
「クリスティン、離れるんだ。ゆっくり、後退しろ」
潤むひよこの目を見ていたクリスティンが、ドナルドの声ではっとする。
尻目に騎士三人がにじり寄ろうと構えて立っている姿が映った。
あらためてクリスティンは目の前の鶏を見た。
(姿かたちは鶏。ただ大きいだけの……)
足元にも目をやる。
そこには、つぶらな瞳をうるうるさせる幼気なひよこがいる。
クリスティンの胸がきゅんとなる。
(やだ、そんな目で見ないでよ)
魔物化した家畜は駆除するしかない。
そんな仕事も衛撃騎士団は担う。あまり例はないが、聞いたことはあった。
(こんな大きな鶏は駆除対象になる。なるに決まっている、けど……)
黄貂が厩舎に走り込んでいったのも、鳥の餌ではなく、ひよこたちを狙っていた可能性が高い。となると、入り口に迫る黄貂を退けた鶏は子どもたちを守ったということだ。
(明らかに、家族を守ろうとしてた鶏を駆除するなんて、無理、絶対に無理。ひよこの悲しい瞳なんて見ていられないわ)
一向に動かないクリスティンに業を煮やし、防護マスクを取り払ったドナルドが叫んだ。
「離れなさい、クリスティン。それは魔物だ!」
ドナルドの声を背に受けるクリスティンは生唾を飲み込んだ。
そして、素早く屈むとひよこを抱きしめ、振り向いた。
「ドナルドさん、これは鶏よ。この鶏小屋に住んでいた鶏なのよ」
正面切って、咄嗟の嘘をクリスティンはぶちかました。
「はあぁ」
素顔のドナルドが、眉を歪め、目元を歪め、口元を歪める。
「そんなでかい鶏が、腰高の鶏小屋で暮らせるわけないだろう」
真顔のクリスティンは、確かに、と納得する。しかし、ここで、ドナルドを肯定しては、ひよこたちのお父さんを見殺しにすることになるかもしれないと、ぐるっと頭を巡らせた。
「こ、この鶏は、鶏は……」
すぐそこには、厩舎がある。
「大きすぎるから、馬房で育てるんです」
「はあ!」
そんなわけないだろうとドナルドは突っ込みを入れようとしたところで、クリスティンがしゃべりながら動き出した。
「この鶏は、男爵領の固有種です。特別大きくなる、珍しい種類なんですよ」
口を動かしながらクリスティンは、ひよこを上にあげ、さらに雌鶏や若鳥も鶏の上にあげていく。
鶏は大人しく、クリスティンが為すままに鶏の妻と子供をのせていった。
「ここでは鶏がいなくなったことが問題の発端だったんです。ですので、このように鶏が保護できたことは僥倖です。
すぐに、父の男爵に報告に行きたいと思います」
最後にクリスティンは鶏の背に飛び乗った。
「ドナルドさん。鶏の件は、男爵領の領民の家畜ですので、私に任せてください」
呆気にとられるドナルドは開いた口がふさがらない。
「さあ、行くわよ……」
クリスティンは鶏が、『クックドゥー、ドゥルドォー』と鳴いたことを思い出す。鶏に呼び掛けるため、急きょ、鳴き声から名付けた。
「クック。あっちに見える城まで走ってちょうだい」
クックと名付けられた鶏は、まるでクリスティンの言葉を理解したかのように、天に向かって一声鳴いてから走り出した。
颯爽と走り去る巨大な鶏を、騎士達は呆然と見送った。
朝日が射し、徐々に明るくなる中で、黄貂たちが、絡まる草にいまだ格闘していた。視界に映りこむ蠢く生き物によって、ドナルドたちは現実に引き戻される。
遠くから鶏の鳴き声が聞こえた。畑地の民家が飼う鶏が起き出したようだ。
「いいんですか、分隊長。あれは明らかに家畜の魔物化ですよ!」
ドナルドの隣にいた騎士が慌てて、詰め寄ってきた。
口元を引き結び、目を閉じたドナルドは、顔を軽く伏せる。そして、前を向くなり、かっと目を見開いた。
「いい。クリスティンちゃんが鶏と言ったら鶏だ」
「それはないでしょう。駆除対象を見過ごしたら、俺たちの責任問題ですよ」
「いいか。クリスティンちゃんの背後には、土竜の印を持つあの方……、オーランド殿下がいるんだぞ」
「……」
「……」
オーランドの名が出た瞬間、二人の騎士は沈黙した。
「彼女の言い分を殿下が全面的に後押しするとしたら……、どうだ」
生温い空気が流れる。
異を唱えた二人の騎士は、このことはこれ以上考えないでおこうと、同時に思った。
ドナルドが嘆息する。目の前に蠢く、草に絡まれた黄貂たちを見つめた。
「俺たちの問題は、このおびただしい黄貂の対処をどうするかだ」
黄貂をどうするか相談するために騎士を一人、馬で走らせたドナルドは、動けない黄貂たちの様子を横目に見ながら、倒れる騎士達を残った騎士と一緒に介抱していた。
「ドナルドさん」
遠くから呼ばれたドナルドが顔をあげた。
森近くにいたライアンが一人で空き家に向かって駆けてきた。
ライアンは鶏小屋近くで歩調を緩め、驚きの表情で草に絡まる黄貂を眺めならが、ドナルドに近づいてくる。
悶えるのも諦めた黄貂たちはぐったりとしていた。
立ち上がったドナルドが、ライアンに体を向けた。
「ご無事でなによりです。逃げた黄貂はどうしましたか」
「全部落とし穴に落としてきた。ほぼ生け捕りだ。俺が落とし穴を作り、騎士達が落とした」
「さすがです。おみそれしました」
ドナルドが感心すると、ライアンは遠慮がちにはにかむ。すごいだろと言いたいものの、あからさまに言うのは恥じているという顔であった。
しかし、そんな表情もさっと真顔に変わる。
「それより、すごいですね。一体誰がどうやったんです? こんなことを……」
ライアンの視線は、草に絡まる黄貂を捉える。
「それは……」
「これだけの草を操作して捕まえるなんて、魔道具を使ったとしても並みの実力者ではないですね。まるで騎士団長を思わせる手際です。もしや、団長が来ていたとか?」
「いいえ、団長は来ていません。団長は来ていませんが。
……。
オーランド殿下の直弟子が現れまして、共闘してくれたのです」
あえて、ドナルドはクリスティンの名を出さなかった。
彼女がオーランドと手合わせしている姿は見たことがあったものの、ここまでの実力者だとは知らなかった。殿下や家族が弟子であることを含め実力さえ吹聴していないのは、あえて隠しているからかもしれないと考え、気を回したのだ。
ライアンは不思議そうな顔で、両目を瞬いた。
「殿下に弟子なんていたんですか」
「はい」
「聞いたことありませんよ、聖騎士オーランドに弟子がいるなんて」
「そうですね。まだ子どもですから、公表していないのでしょう」
「子ども!」
「ライアン様より小さいですよ」
「そうか、だから公にしてないのか」
呟くライアンの目に好奇心の光が宿る。
「そんな強いやつがいるなら、会ってみたいな。そいつはどこにいるんですか」
本心からの言葉と感じ取ったドナルドが、軽く笑む。
「もう、帰りましたよ」
「ええ……、もう帰ったのか。残念だ。会ってみたかったのに……」
しょんぼりするライアンに、できることは大人以上なのに、まだまだ子どもと言える一面が見られ、ドナルドは懐かしくなる。つい気が緩んで、ぽろりと余計な一言をもらしてしまう。
「それなら、いずれ会えるかもしれませんよ。近いうちに王都に行くようですからね」
男爵と雑談した際に聞いていたクリスティンの進路をこぼしてしまい、ドナルドは内心、しまったと焦る。
「本当ですか、それは楽しみだな」
ぱっと顔を輝かせ、ライアンは朗らかに笑った。
その笑顔を見て、(クリスティンちゃんの名を言ったわけじゃないし、大丈夫か)と苦笑いするドナルドは、気にしないことにした。