37:旅立ち前のお祝い①
甲高い悲鳴をあげながら黄貂は地面に叩きつけられ、バウンドした。
真横に剣を振り切ると同時に屈伸したクリスティンは、髪をなびかせ跳躍する。騎士を飛び越え、着地した。
起き上がった黄貂は後方に跳ねて、走り出す。
手を伸ばす騎士を捨ておき、クリスティンは黄貂を追った。
(あれはただの黄貂じゃない。普通の獣が身の丈よりずっと大きな人間を意味なく襲うわけがないもの。連日瘴気が流れてきているわけだし、魔物化していてもおかしくないわ)
魔物化と言えども、作物にあらわれる現象が多様であるように、動物においても表出する現象はさまざまだ。
目に見える形で変化する場合もあれば、まったく外見が変わらない場合もある。変化に規則性は見受けられず、ただ瘴気の影響を受けているか否かは、従来の動きや形、色味などと比較して判断された。
鬼哭の森の奥に生息する固有種の可能性もある。魔物については不明点が多い。
植物ならば、摘み取って煮だすという判別方法もあるが、動物はなかなかそうはいかない。昨今は動物を狩ることができなくなり、森の内部で起こっている変化は知りようが無かった。
瘴気が人里まで流れてくる現状を鑑みれば、森に動物と言える存在はもういない可能性が高い。
(黄貂は群れで動く。一匹いたということは複数いるはずよ。気をつけないと。誘われているだけかもしれないし)
空き家の前に飛び出した。
厩舎があり、少し離れたところに鶏小屋もある。その手前側の敷地で騎士と黄貂は交戦していた。
騎士の半数は倒れ、立っている者にも怪我が目立つ。取り囲むように黄貂がにじり寄っている。が、騎士同様に血を流す数頭は地面に倒れていた。
(相手は黄貂だけ? それだけで、こんなにやられるものかしら。魔物化した黄貂の狂暴性が増しているってこと?)
交戦していた騎士が突如現れたクリスティンに気づく。
「ダメだ、こっちに来てはいけない」
その声が耳に届くと同時に、睨み合いの均衡が崩れ、隙をついた黄貂が動き出す。
声はドナルドのものであった。
自分が現れたせいだと気づき、クリスティンは青ざめる。
先んじて動いた黄貂が跳躍し、襲い掛かった。意識が二分されたドナルドは、反応しきれない。黄貂をよけきれず、肩に足に食らいつかれた。
飛び掛かってきた獣の勢いに押され、後方によろめいたドナルドに、さらなる黄貂が胴に体当たりしてきた。ドナルドは背面から地面に倒れた。
「ドナルドさん」
クリスティンは地を蹴った。
周囲にいた数人の騎士が黄貂を追い払おうと、ドナルドに腕を伸ばす。その騎士の側面にも黄貂が体当たりし、別の個体が太ももとふくらはぎにかみついた。
(私が現れたことで、睨み合っていた均衡が崩れたんだ。わたしのせいで!)
悔しくて目元が歪む。
走り出したクリスティンに向けても、黄貂が迫る。
視界の隅に鶏小屋と厩舎が映った。その屋上には、おびただしい黄貂がひしめき合っていた。
尋常ではない魔物の数に、目を見開く。
(なんで、こんなにいるの!)
ドナルドに向かって駆け始めた足は止められない。
顔だけを厩舎側に向けた途端、クリスティンに向かって、無数の黄貂が飛んできた。
歯を食いしばったクリスティンは両足を踏ん張り、足裏で土を削りながら急停止した。
(全部、薙ぎ払ってやる)
片手に握る柄を返す。飛んでくる黄貂に向けて、下方から剣を振り上げようとした、その瞬間。
「そっちに行った」
「ダメだ、抑えきれない」
飛んできた声にクリスティンは戸惑う。
(いったい、なにを?)
急に動きは止められない。
下方から上方に斜めに腕は振り上げられ、柄にはめられた魔石がキラリと光ると、クリスティンの魔力と感応し炎を吹き上げた。
剣先まで駆け上がった炎は、弧を描く。噴いた炎を恐れずに黄貂は飛び掛かってきた。
(なんで! 獣が炎を怖がらないのよ)
咄嗟にクリスティンは地面に片手を付けた。獣の爪を避けるため、首をすぼめ頭部の位置をずらす。
地面につけた足裏の踵を浮かせるなり、足先に魔力を集中させ、練りあげた突風を吹き上げる。
榛色の髪が上空に煽られるとともに、突風の直撃を受けた黄貂が後方に飛ばされた。
片手に剣を持ち、片手を地に添えるクリスティンの真正面に、さらに黄貂が襲い掛からんと走り込んでくる。
飛び掛かってきたのは一部の黄貂だった。大半の屋根にいた黄貂はそのまま地に降り立ち、様子を伺い控えていた。さらなる黄貂が騎士やクリスティンに向かってくる。
(なんなの、このおびただしい数は!)
片手で構える剣の柄を顔近くまで寄せた時、一部の黄貂がクリスティンの視界を横切り、厩舎に向かって行った。
(あそこには飼料が!)
やはり黄貂は飼料を狙って集まってきたのだとクリスティンは確信する。
(だめ。それなら、ここにいる黄貂はぜんぶ、駆除しないと)
奥歯を噛んだ。
厩舎に飼料を残さなければ、もっと厩舎の鍵を頑丈にかけておけば、残された飼料を回収しておけば、黄貂たちを駆除しなくても済んだのにと悔やまれた。
(後悔は後でいいわ)
まずは眼前に迫る黄貂を何とかしなくてはならない。
(いっぺんに動きを止めないと話にならないわ)
地面に触れる手は草を踏んでいる。クリスティンは素早く手のひらに魔力を込めた。ぼんと地面と手のひらの間に光が爆ぜると、触れていた草が爆発的に伸長した。
伸びる草が、地を這う鞭となり、襲い掛かる。思いもよらない植物の動きに黄貂がひるむ。その間に、草は黄貂の身体に巻き付いた。
クリスティンは地を蹴り走り出す。
厩舎に走り込もうとした黄貂の動きは止めることができたものの、屋根に残っていた黄貂たちは健在だ。
状況を静観していた黄貂も降り立ち、器用に草を避けながら、厩舎に向かって走っていく。
黄貂が厩舎に飛び込もうとする間際、走り込んだクリスティンが立ちはだかる。
向かってくる黄貂と正面から睨み合った。
刹那、頭上が陰り、威圧感がクリスティンの脳天を叩いた。
眼前に黄貂が迫るにもかかわらず、ぞくりと背に悪寒が走ったクリスティンは真横に飛んだ。
避けた直後、大きな物体が落ちてきた。
それは走り込んできた黄貂と、草に絡まれた黄貂を同時に押しつぶした。
(一体、なにがおちてきたの)
間一髪。ほんの一瞬遅れていたら、クリスティンも押しつぶされていたかもしれない。正体を見極めるために、振り向いた。
そこにいたのは鶏だった。
複数の黄貂を押しつぶす巨大な鶏が、ドスンと座り込んでいたのだ。
仰天したクリスティンは絶叫した。
「にっ、にわとりぃ~!!」
目を白黒させるクリスティンだが、はっと気づく。
空き家の住人たちが移住したのも夜中に鶏が消えたことが決定打だったことに。
「ええぇ! その鶏が生きていたということなのぉ!!」
空は徐々に明るさを取り戻す最中。黒かった空は青みを帯び、端は赤く、白く染まり始めていた。朝日が降りそそぎ始めると途端に世界は色づいていく。
朝日を羽毛に受ける鶏もまた、その巨体を白日の下にさらす。
鶏が大きく翼を広げた。
丸く巨大な姿に、左右に大きく広げられた両翼。
それだけで威圧感があるものの、鶏は鶏らしく、朝の一声を発した。
「クックドゥー、ドゥルドォー!!」
大音量を近くで浴び、びりびりと体が痺れたクリスティンは、とっさに両手で耳を塞いだ。
騎士達も同じように両耳を塞ぎ、身を屈して鶏の声を耐える。
植物に体の自由を奪われた黄貂たちは地面に顔をすりつけ耐え、一部は泡を吹いて失神した。
まだ自由がきく屋根の上にいた黄貂たちは森側に退避する。
(森へ逃げちゃう)
クリスティンが気づくより早く、ドナルドが命じた。
「動けるものは、黄貂を追え。予定通り、挟み撃ちだ。そして、お前たちはここに残れ」
多くの騎士達が走り出す。指示を受けた二人の騎士だけがその場に残った。
理由は明白だ。ここにはまだ、魔物化したと思われる家畜がいるのだから。
(でも、なんで、この鶏は魔物化したの?)
鶏は逃げる黄貂を追うことなく鎮座している。ただじっと森側を睨みつけて。
朝日が昇りゆくなかで、真っ白い羽と、赤い鶏冠、黄色い嘴が鮮明に浮かび上がった。黒目が陽光を受けて冷然と艶光る。
(きれい……)
見惚れたクリスティンが、いけないと頭を左右に振る。
すると、鶏が背にしている厩舎の入り口から、ひょこひょことなにかが出てきた。
それは小さな毛玉のような物体だった。
ちょんちょんと歩いてきた手のひらに載るような黄色い毛糸玉たちは、クリスティンと鶏の間に立ちふさがった。
そして、くりんとしたつぶらな黒目をクリスティンに向けたのだ。
その姿をとらえたクリスティンは一瞬目が点になり、それが何なのか気づいた途端、叫んでいた。
「ひっ……、ひよこぉ!!」
さらに厩舎から、雌鶏や若鳥が数羽駆けだしてきて、ひよこの後ろに並んだ。
数多の双眸が訴える。
鶏の言葉なんてわかり様もないはずなのに、クリスティンの頭の中に彼らの訴えが反響した。
(お父さんを、殺さないで!)