34:餌に誘われる魔物②
執務机に書類を置いた男爵は、クリスティンと隅にある応接セットに移動し、戻った分隊がその後どう動いたかを簡潔に説明した。
ケネス魔道具管理官とともにドナルド分隊長は、すぐに男爵と騎士団長がいるこの執務室に報告へきた。
魔道具の設置個所を見定めた魔道具管理官と、飼料を狙って魔物が空っぽの厩舎に出入りしている痕跡を見つけた分隊長の報告を受けて、男爵は魔道具設置に合意し、騎士団長は魔物の討伐を命じた。
騎士団長の指示のもと、編成された討伐隊は日暮れ前に出発し、今頃は男爵が使用許可を出した空き家を拠点に、厩舎周辺の監視を行っている。
聞き終えたクリスティンが内容を反芻するように確認する。
「討伐隊が空き家周辺に潜み、魔物が出てくるのを待ちかまえ、あらわれたところを討とうというのね」
「その通りだ」
「魔道具を設置すれば、厩舎まで魔物がやってこなくなるでしょう。来なくなる魔物をわざわざ討伐する必要はなさそうなきがするのだけど」
「森は繋がっているからね。飼料の味を覚えた魔物が、他の地で厩舎を襲っても困るだろう。もし民家に押し入ることになったら、取り返しがつかない。現れる地点が定まっているうちに対処することになったんだよ」
「そういうことね」
クリスティンは安堵の表情を浮かべた。
「これで安心して眠れるわ。教えてえくれて、ありがとう。お父さん」
自室に戻ったクリスティンは寝間着に着替え、香水を振ると、ベッドの上にゴロンと寝転がる。両手を頭に添えて、天井を見上げた。
空き家周辺で見てきた景色が脳裏をよぎる。
(流れてくる瘴気は、昨日ほどじゃないとは思うけど、今夜はまだ少なくないはずよね。明け方の月の位置は低めのはずだし)
鶏小屋のくぼみ。開け放荒れた厩舎の扉。食べられていた飼料。気になることが頭の中でぐるぐるめぐる。
「大丈夫。騎士団が動いているもの」
呟いても、胸騒ぎのさざ波はおさまらない。
「……」
(今は寝よう。そして、明日の朝も早めに起きて、屋上に領地の様子を見に行こう)
「大丈夫、なにもないわ。なにもないはずよ」
横になったクリスティンは、膝を折り曲げ、目を閉じた。
その頃、ドナルドが率いる分隊を中心に、対魔物に秀でた先鋭隊を含め再編成された討伐隊は、鶏小屋と厩舎を監視できる空き家に潜んでいた。
熱を発しない魔道具のランプで、足元を照らす程度の光を灯す。薄暗い室内で、騎士団の面々は待機していた。
分隊長のドナルドは副隊長のロバートと交互に休み、指揮をとることとした。鶏小屋と厩舎を窓から監視する者を除き、仮眠をとりながら騎士達は見回りの順番を待つ。
空き家の扉が静かに開かれた。野外の星明りが室内に差し込む。
見回りを終えた三人が入ってきた。
薄手の外套を羽織り、フードを被る彼らは、光源近くに座るドナルドの傍にきた。
三人のうち二人がフードを取り払う。フードのなかにも防護マスクとゴーグルをつけていた。彼らはすぐにゴーグルをとると、防護マスクもはぎ取った。
現われたレスリーとサイモンは息苦しかったとばかりに顔をしかめて、深呼吸を繰り返す。
「あつかったぁ」
「残暑が残るこの季節に、この装備は、老体にはさすがにきつい」
「お疲れ様。それで外はどうだったんだ、レスリー」
「変化なしだ。夜空も綺麗であり、瘴気の気配もないそうだ」
レスリーがちらりと視線を横に流した。その先にはフードを被ったままの三人目がたっている。
彼はゆっくりとフードを剥いだ。
防護マスクどころか、ゴーグルもつけていない素顔を晒す青年が現れる。群青の短髪をゆらし、明け方の空を思わせる印象的な青い瞳が輝く。
彼が口を開きかけると、ドナルドは居ずまいを正し、レスリーとサイモンも姿勢を正した。
「予想通り、高く昇る月が降りてこない限り、瘴気の心配はないと言い切れます。窓辺から月の位置を確認し、降りてきた頃合いに備えましょう」
「それで、大丈夫なのでしょうか」
「ええ。いつもと勝手が違うかと思いますので、不安かと思いますが」
「いいえ、そんな。滅相もありません」
ドナルドが慌てて両手を振ると、青年は微笑んだ。
「いいんです。普段は瘴気を感知する魔道具を使用し、危機察知に備えている規則は存じていますから」
「我々には、瘴気をそこまで感度高く察知する力はありませんので、道具を頼らざるをえないのです」
「分かっています。ですので、心配なら見回りに行かれてもいいでしょう。ですが、見えなくとも瘴気が漂ってくれば俺が感知できます。無理に夜通し見回りをせず、休んでいた方が体力ともども温存できてよいと思います。
念のため、俺は監視をする窓辺の下で休ませてもらいます。そうすれば、空気がよどみ次第、感知できますから。
最終的な判断は分隊長にお任せします」
青年はぺこりと頭を下げる。
レスリーとサイモン、そしてドナルドは彼より深く頭を垂れた。
顔をあげた青年は苦笑する。
「そんなにかしこまらないでください。一応、俺は忍びで参加させてもらっている身なんで」
青年は再びフードをかぶると、踵を返す動作とともに、ドナルドに後目を向ける。
「昔みたいに、ライ坊と読んでくれも構わないんですよ」
楽しそうな囁き声に、ドナルドは「いっ」と呟き、慌てふためく。
前を向いた青年は、窓辺に向かう。
外を監視する騎士に「ここ、失礼します」と告げ、彼は窓の右下に座り込んだ。
幌馬車で眠っていたように、足を投げ出し、腕を組むと、すぐに船を漕ぎ始めた。
残されたレスリーとサイモンはドナルドをしれっと見下す。なにも言っていないのに、「昔の話だ、昔の」とドナルドがひそひそ声で言い訳を始める。
「ちょうど俺が訓練している時期によく来てて、遊んでやってたんだよ。ほら、俺兄弟多いだろ。子どもの扱いには慣れてたんだよ」
レスリーとサイモンが聞きながら、ランプを囲んで座る。
「そもそも、サイモン。お前は、あの時、知っていたのに、教えてくれなかったじゃないか」
「いや、基本。あそこでは誰でも知っていることだし。みんな、分かっていて、かまっているんだと思っていたんだ。自業自得だろ」
すまし顔のサイモンは、手のひらでドナルドを制す。
「昔はどうあれ」と呟き、レスリーが頭部を撫でながら、青年の寝姿を盗み見る。
「あれでまだ成人前なんだから、驚きだ」
サイモンとドナルドも、視線を合わせてから、青年を見た。
「オーランド殿下と同行しているようなものですからね」
「オーランド殿下そのものとも言えるだろう。なにせ、次代の聖騎士様だからな」
「ほんの少し前まで、声変わりもしていない子どもだったというのに、時間がたつのは速いものですね」
「いやいや、子どもの成長とはそんなものだろう」
三人は視線をライアンからランプに戻す。
寝入る青年の名は、ライアン・ストラザーン。
近衛騎士団長秘蔵の直弟子であり、ストラザーン公爵家の三男にして、未来の聖騎士である。
太陽光も空に射しこまない時間帯だというのに、クリスティンは、かっと目を見開いた。
ざわざわと胸騒ぎが胸の内で渦巻き、ぎゅっと寝間着を握る。
(嫌な感じがする)
こういう虫の知らせは当たることが多い。
飛び起き、窓辺に駆け寄る。
窓を開くと、星が瞬く夜空があり、彼方に広がる森の奥すれすれに月がぽっかりと浮かんでいた。
クリスティンは手の甲を口元に寄せる。
(やっぱり、瘴気が紛れているわ)
ひんやりとした気持ちの良い風に潜み、流れてくる微量の瘴気が粘膜に触れると、ぴりりと痛みが走る。
森から瘴気が流れ込んできているのは明白だ。
(待っていないといけないけど……)
騎士団がいると分かっていても、クリスティンはいてもたってもいられなくなる。
(ここまで流れてくるのなら、すでに空き家周辺は瘴気でつつまれているかもしれない)
だとすると、魔物と交戦中の可能性だってある。
(どうしよう、すごく気になる)
そわそわするクリスティンは、背後のクローゼットと眼前の森を交互に見た。
(今からここを出ても、着く頃には日が昇っているわよね。だとしたら、きっと、私が行く頃にはすべてが終わっているはずよね。うん、きっと、着く頃には終わっているわ。
だから、ちょっと見に行くだけ。見に行くだけよ)
弾くように窓を閉めたクリスティンは、窓辺から飛ぶように翻り、クローゼットに向かった。