33:餌に誘われる魔物①
厩舎を出ると、ドナルドはクリスティンに幌馬車で待機するように伝えた。
父から言い含められている手前、大人しく指示に従う。
誰もいない車内に乗り込み、座り込んだクリスティンは膝をかかえる。
(私、まだ子どもだから、邪魔なのかな。
子どもだけど、色々できることもあるのよ)
実戦経験は乏しいが、剣の扱いだってそれなりだと自負している。魔法だってそこそこ使える。
(そりゃあ、先生よりずっと劣るけど。ダメってほどではないと思うのよ)
出発前にわくわくしていた分だけ、気持ちが沈む。大切な任務に関われると思っていたのに、肝心な時は子ども扱いされることが不服であった。
口が折り曲がりそうになり、(だめだめ)と頭を振った。
(これから先は大人の仕事。魔物が関わるなら、子どもの私は出る幕じゃない。朝だって怒られることしているのに、ここで引かないと次はないわ)
視線の先に、腰に佩く剣の柄が見えた。
(私だって瘴気を払えるし、領地を守れるし、戦えるのよって本当は言いたいよ……)
オーランドからもらった剣には、青と赤のまだら模様の魔石が飾られている。その魔石を指先でつつく。
(本当は、王都に行きたいわけじゃないもん。おいちゃんと先生が薦めるからいくだけだもん)
クリスティンは目を閉じる。
瞼の裏に己のありたい姿を映し出す。
ホルンに騎乗し、右に左に領地を渡り、瘴気を払い、魔物の脅威からすべてを守る。クリスティンが守る領地で、人々は安心して暮らすのだ。
(私にだってできるもの)
心配ばかりする大人たちによって、夢を阻まれる現状は少し面白くなかった。
しばらくすると、分隊の面々が幌馬車に乗りこんできた。御者役のサイモンが全員乗り込んだことを確認し、無言のうちに馬を走らせる。
ドナルドは、サイモンと一緒に御者席に座った。
道中、たまに馬車が停まる。畑地に点在する民家に立ち寄り、降りたドナルドが家主と話して戻ってきた。
なにを話しているのか分からなかったものの、クリスティンは周辺の聞き込みをしているのかなと推測する。
車内は出かけた時より、ピリピリしていた。分隊長のドナルドに、気安く訊ねられるような雰囲気はない。
(やっぱり魔物が鳥の餌を食べに来ている可能性が高いことが問題なのよね)
重苦しい空気の中で、クリスティンは息を潜める。
男爵家の古城に到着する頃には、クリスティンの気持ちは落ち着いていた。大人しく幌馬車を降りたクリスティンにすかさず、ドナルドが話しかける。
「ありがとうな、クリスティンちゃん」
「私、お礼言われるようなことできていないと思いますが……」
足手まといとは言わないまでも、今回の視察は幌馬車内で待機している時間が長かった。とても役に立った気にはなれなかった。
「まさか。魔物の足跡を見つけただろう」
「でもそれは厩舎にあって、私が勘付いた鶏小屋の足跡は違ったのでしょう」
「いやいや、あれに気づいたから、俺も魔物がいるかもしれないと警戒して周囲を見渡すことができたんだ。そうじゃなければ、民家周辺を探索しなかったかもしれない」
ドナルドのお世辞かもしれないが、クリスティンは褒められたようでむずがゆくなる。
「状況が事前に把握できていたからスムーズに調査できたし、足跡を見つけてくれたから、周辺住民にも注意喚起できた」
(民家をまわったのは、そういう理由だったのね)
自分の行いが役に立っていたのだと思うと溜飲が下がる。
「移動中の車内で、どの地点から多くの瘴気が流れているかを教えてくれたことは本当に役に立ったんだ。特に設置場所を決める魔道具管理官の判断に役だったんだぜ」
「そうだったんですか」
なにも役に立ててないような気がしていたのは間違いだったと気づかされ、クリスティンは嬉しいと同時に、へこんでいた己を恥ずかしく感じる。
「防護壁になる魔道具はあの空き家周辺に遅くても明後日までに設置する。クリスティンちゃんのおかげで、一番最初に魔道具を設置することになるんだ。
畑地の住民にも魔道具が設置されるまでの二日間だけ警戒するように伝えた。彼らも心から安心していたよ。
ありがとうな、協力してくれて」
「いえ、こちらこそ。同行させていただき、ありがとうございます」
照れくさそうにはにかみ、クリスティンは素直に頭を下げた。
顔をあげると、「じゃあ」とドナルドは城門に向かって走り出した。
残されたクリスティンは軽くため息を吐き、空を見上げて歩き始める。頂点は青々としているものの、隅に流れる雲の端は赤く色づいていた。
(私だってできるのにと不貞腐れていた私は、やっぱり子どもだったわ)
居館に戻ったクリスティンは、そのまま弟妹たちがいる応接室へ向かった。
「ただいま」
挨拶しながら入室したクリスティンは弟妹たちには出かけると伝えていなかったと気づく。
後ろ手で扉を閉め、前を向く。こちらを見つめる弟妹全員の視線とかちあい、動揺する。
「どうしたの、みんな。私になにかついている」
本を読んでいたロイとケイトが、ローテーブルに本を置き、ソファ席から立ち上がり、駆け寄ってくる。
「大丈夫だったの、クリスティン。騎士団の方々と現場に行かれたのでしょう」
「うん、そうなの。ケイトもよく知っているね」
「さっき、お父さんが顔を出して、教えてくれたんだ。良かった何事もなく戻ってこれて」
「大袈裟ねえ。今は昼間よ、昼間。怖いことなんてなにもないじゃない」
へらっと笑うクリスティンに、ロイとケイトが顔を見合わせる。
「だって、魔物が出たかもしれないのでしょう」
「僕がばらしたんじゃないよ。お父さんが話したんだからね」
心配そうなケイトと慌てて言い訳するロイを見て、クリスティンは笑ってしまう。
「とにかくすごいよ、クリスティン」
いつの間にか近寄っていたマークが片腕を引く。
「そっ、そうかな」
「そうだよ。騎士団と一緒に行ったんだろ。かっこいいよなあ」
マークから羨望の眼差しが注がれる。
「私はただ事前に現地の様子を見に行ったから、その様子を伝えただけよ」
「でも一緒に行ったことは変わらないだろ」
「そうねえ。現場も一緒に確認したし……」
「すげえ」
「すごくない、すごくない。朝、出かけた場所が、たまたま視察地点だっただけよ」
「でもさ、良かったじゃないか。勝手に行ったことでも、役に立ったみたいで」
「そうね、ロイ」
ぱんとケイトが手を叩く。
「とにかく、無事に戻ってきて良かったわ。私、お茶を淹れるから、みんなは座ってて」
「私も手伝うよ、ケイト」
「じゃあ、厨房にお茶のセットを取りに行きましょう」
靴を履いたケイトとエマが連れ立って、部屋を出ていく。クリスティンも靴を脱いだ。
「ロイ、お茶にするなら、お菓子も食べようよ」
「お前は、かこつけてお菓子を食べたいだけだろ、マーク」
「いいじゃん、いいじゃん」
こうして、戻ってきたケイトとエマがお茶を淹れ、ソファ席で兄弟姉妹たちは楽しいひと時を過ごした。
風呂と夕食を済ませたクリスティンは、寝る前に男爵の執務室を訪ねた。
「ちょっといいかしら、お父さん」
遠慮がちに入ってきた娘の、一日で何があったと聞きたくなるほどの変化に、男爵は苦笑する。
「どうかしたのか、クリスティン」
「あのね、お父さん。昼間に視察に同行させてもらった件についてなんだけど。あの後、どうなったか知りたいの。どうしても気になって眠れないのよ。私がきける範囲でいいから、教えてもらえないかしら」