32:衛撃騎士団④
「子どもの前で大の大人を小突くのも、教育上よろいくないのでは?」
涼しい顔の騎士団長に、額を押えたドナルドは、口をすぼめて嫌味を言う。
意に介さず、騎士団長は地図を広げた。
「クリスティン嬢と顔見知りなら、話が早くていい。この地図を見よ」
「はい、わかりました」
ドナルドがひょいと地図を覗く。
騎士団長は目配せで、クリスティンにも地図を覗くように指示をした。横からクリスティンも地図を見る。
「向かってもらうのは、クリスティン嬢が今朝方様子を見に行った地点だ。クリスティン嬢、場所を示して」
「はい」
目的地の赤い丸をクリスティンは指さす。
ドナルドはその地点を確認しながら顎を撫でた。
「近いですね。今日中に戻ってこれそうだ」
「日が暮れる前に戻るように。野営はなしだ」
「了解」
騎士団長は再び地図をまるめる。
「すぐに出発しなさい。後は、いつも通りだ。先鋭隊の分隊はここに待機している。深追いはせず、必要とあれば助力を求めに戻るように」
「はっ」
ドナルドは敬礼する。
クリスティンに微笑みかけてから騎士団長は踵を返し歩み出す。
親鳥を追いかける雛のように、騎士団長を追いかけようと動き出しそうになったところで、クリスティンは自ら足を止めた。照れくさそうに誤魔化す笑みをドナルドに向ける。
ドナルドは肩をすくめて、おどけた笑みを浮かべた。
「さあ、行こうか。クリスティンちゃん」
「はい。よろしくお願いします、ドナルドさん」
「よろしく。では、すぐに出発しろということだし、行くか。今朝の様子は車内で聞こう」
「はい」
ドナルドと連れ立って幌馬車に向かう。騎士団長と分隊長の様子から状況を察した隊員はすでに乗り込んでいた。
御者席には、サイモン・リンゼイが座っている。
しっかりとした体躯の彼は、髪を短く刈り、見た目だけは厳めしい。
「サイモンさん、こんにちは。本日、同行させてもらいます」
見た目に似つかわしくない人懐っこい笑顔をサイモンは見せた。
「クリスティンちゃんも来るのかい」
「はい。よろしくお願いします」
「今回クリスティンちゃんは、俺たちの案内役だよ」
ドナルドは懐から地図を取りだし、サイモンに見せる。騎士団長と同じ地図であり、赤い丸が幾つか記されていた。目的地を示し、御者役のサイモンに地図を渡すと、幌馬車に乗り込む。顔ぶれを確認し、「クリスティンちゃんがのったら、出発してくれ」と、サイモンに声をかけた。
ドナルドが差し出す手を握り、最後に乗り込んだクリスティンは見知った顔ぶれに挨拶し、ガタゴトと動き出した車内で、御者席近くの空いた場所に腰掛けた。
斜め向かいに、荷物を抱き込む見知らぬ人が座っており、目に付いた。顎あたりまで流れる薄茶の髪は丁寧に櫛で梳かれており艶がある。座る姿からもどこか品があり、騎士というより文官に見えた。
その隣にはフードを深く被った人が、腕を組み足をのばして、寝ている。
荷物を抱き込む人が顔をあげた。ぱちりと目が合い、慌てて軽く会釈する。
ドナルドがクリスティンの隣に腰を下ろした。
「彼は、今回の任務ために特別に同行する方だ。魔道具の設置個所を確認する第二部隊の魔道具管理官で、ケネス・マッコーエン様さ」
クリスティンははっとした。
ひそっと敬称をつけて呼んだドナルドが、にやりと笑う。
「ケネス様は、マッコーエン侯爵家の方だ。粗相がないように気を付けろよ」
騎士団長よりも身分の高い人が分隊に所属していると知り、クリスティンはびっくりする。
「そのとなりで寝ているのは、魔道具管理官の見習いだ。見習いだから、気にしなくていいぜ」
「うん」
「じゃあ、今朝の様子がどんな感じだったか。教えてくれないか」
走り出した車内で、クリスティンは簡潔に状況を説明した。
空き家近くに到着する。
幌馬車を降りたドナルドは、分隊長補佐であるレスリーに本来の仕事を任せ、クリスティンと一緒に鶏小屋へと向かった。
オーブリー子爵家出身のレスリーは、額から後頭部まで禿げており、側面に短く刈った白髪が薄く広がる初老の男性だ。
レスリーの指示のもとで、分隊の面々は二人一組となり周囲に散った。レスリーのそばには、魔道具管理官とその見習いが残り、地図を見て打ち合わせる。
集団から離れたドナルドとクリスティンは鶏小屋の前に立つ。
その出入り口にドナルドはしゃがみ込み、鶏の羽毛がくっついた土をつまんだ。
「確かに、足跡みたいな痕跡があるようにも見えるなあ」
「気のせいだったかしら……」
今朝方出向いた時のような高揚感が失せたクリスティンは、見立ての自信が薄らいでいた。
「かもしれないが、断定は難しいな。鶏小屋前にはくぼみがあるが、もともとそういう形をしていただけのようにも見えるしな」
土のついた手を払い、「ちょっと気になるのは……」と呟きドナルドが立つ。
振り向きざまに、指さした。
その先には、開け放たれた厩舎の出入り口がある。
「ここの住人はすでに移住したと聞いているが、逃げるように出ていったのではないだろう。ならば、厩舎の入り口ぐらい、普通は閉めていくんじゃないか」
「確かに……」
移住といえど引っ越しに近く、空き家にも鍵がかかっている。状況を考えれば、厩舎の扉を開けっ放しにして出ていくとは考えにくい。
歩き出しだドナルドを、クリスティンが追いかける。
「移住後、俺も何度か近辺を視察していて、この辺に野営したこともあるが、扉が開いていた記憶はないんだよなあ」
歩きながら、腕を組んだドナルドが視線を斜め上に流す。
「じゃあ、誰かが来て、扉を開けたと考えます?」
「人が来るのも考えにくいな。男爵家の城が見える地点なら、殿下だって城にいく。こんなところで野宿はしないだろう」
「近隣の住民がこちらに来たとか、元住んでいた人が戻ってきたとか?」
「そうであったら、扉は閉めて戻るはずだ」
厩舎の前まで来た。
空っぽの舎内をぐるりと見回したドナルドは、出入り口の扉の縁に手をかけた。
そして、下を見た。
木製の扉は壊れていた。下方にひびが入り、角が割れている。
クリスティンが目を丸くし、ドナルドが渋い顔をした。
「蹴破っているのか……」
二人の脳裏に魔物の仕業、と浮かぶ。
ドナルドが立ち上がった。舎内に足を向ける。クリスティンは追いかけた。
「今朝、瘴気によって空き家が霞んで見えました。夜はもっと濃かったはずです。それこそ、この空き家を包み込む可能性があるほどに」
不安にかられたクリスティンが早口で訴える。
険しい表情のドナルドは黙って奥に進む。
「ドナルドさん。ここまで魔物が来ていたとしたら、目と鼻の先には収穫直前の畑地があり、さらに数軒の民家があります」
前を向くドナルドが顎をしゃくった。
「クリスティン、飼料袋の山を見ろ」
彼の視線の先には、飼料が詰まった藁袋がある。
子どもの身長ほど積まれているものの、時間経過とともに崩れたのか、潰れた藁袋から、餌が床にまき散らされていた。
クリスティンの表情がさっと青ざめる。
「ここの住人は鶏を失い、移住を決めたので、鳥の餌を残していったのだと思います」
「そうか。とはいえ、あんなに散らかして住人が去るとは思えないな」
「……はい」
「地面に散乱した餌もさることながら……」
かがんだドナルドが、飼料袋の下から、穴が開いた袋を、力任せに引っ張った。
袋が抜き取られた拍子に、どさっと飼料の山が崩れる。
ドナルドは、抜き取った袋をかかげ上げる。
中身のない袋がぶらりと垂れ、破れた穴から、パラパラと鶏の餌が落ちた。
(魔物がここまで来たの? そして、飼料を……)
クリスティンは愕然とする。状況を問おうとしても、驚きのあまり声が出ず、空いた口がふさがらない。
ドナルドは冷静に呟く。
「人間が扱う飼料の味を覚えた魔物がいるとしたら、由々しき事だ」
真顔のドナルドを見つめ、ごくりとクリスティンは生唾を飲み込んだ。
「このままだと、瘴気の漏れようによっては、最悪、畑地に点在する民家にまで魔物の脅威が及ぶだろう」