3:罪を背負う旅のはじまり③
オーランドとリディアは長い廊下を歩く。歩くたびに鎖が耳障りな音を立てた。
いつもなら使用人が多数いる公爵邸内も、今夜に限っては人払いされ、誰もいない。
秘密裏に行われる手続きの裏方は、スタージェス公爵夫人がフォローしている。
オーランドは歩調を緩めた。
「リディア。今なら、母や夫人に別れを告げることができる。挨拶していくか」
リディアは無表情で頭を振った。
彼女の意志を確認し、再び歩調を早めると、公爵邸の裏口へと向かう。裏口の傍にある細い木には、愛馬を繋いでいた。
荷物から、すっぽりとかぶるフード付きのロングコートを出し、リディアに身につけてもらう。
首を叩き、馬を宥めてから、リディアを前に乗せ、オーランドも騎乗した。
「まずは、王都を出る」
前に座るリディアをかばいながら、手綱を握るオーランドは馬を駆った。足枷から垂れる細い鎖がなびき、耳障りな金属音を鳴らす。
人通りが少ない脇道を選び、王都の夜道を進む。
抵抗を示さないリディアはオーランドの腕の中で静かに佇んでいた。落ち込んでいるのかもしれないが、かける言葉もない。
魅了の魔女であるリディアを殺す役を背負うオーランドに慰める資格などないのだ。
王都の門に到着した。
門番に声をかけると、出立の連絡を受けていると答え、奥から人を呼んできた。
リディアもオーランドもよく知る人物が現れる。
ストラザーン公爵家の末子ネイサンは、二人の学友であり、次期スタージェス公爵の第二候補でもある。
今回、ネイサンは断首の見届け人として、この旅に同行することになっていた。
「遅かったな」
複雑な表情でネイサンも二人を迎える。
リディアはうつむいたまま何も答えない。
オーランドの表情も沈んでいる。
無理もないと理解するネイサンはひらひらと手を振った。
「さっさと出よう。王都には王家の血を引く者が多すぎる」
魔力量が多いネイサンは魔女の魅了に毒されにくい。
とはいえ、他の王家に連なる者は違う。もし、二大公爵家の有力者が追いかけてきてリディアを奪おうとすれば、無用な血を流す争いとなってしまう。それだけは避けたかった。
王都を出てから、王家の直轄地を抜けウルフォード公爵領を迂回し、懇意にしている男爵領から鬼哭の森に入る。
森に行くには、二大公爵の領地を通った方が近いものの、公爵家との接点を最小限にするためは遠回りするしかなかった。
途中の村々で宿をとりながら、オーランドとネイサンはリディアを連れ、男爵領へ向かう旅を続けた。
リディアはずっと黙っていた。必要最低限の言葉も発せず、頷くか首を振る仕草のみで意思表示を示す。
明るかった彼女はもうどこにもいない。ネイサンでさえ、そんな彼女を痛ましく感じていた。
逃げる素振りも見せない彼女にいつまでも枷をつけていられなくなったオーランドは途中の宿でリディアの足枷を解いた。
王都から離れれば、王家の血を引く者と出会うことも少なくなる。彼女を攫おうとする者と遭遇する可能性は低くなるのだ。
いつまでも罪人のように扱いたくなかったネイサンも見て見ぬふりをし、何も言わなかった。
魔女だと発覚してから一月、リディアはスタージェス公爵邸で療養中とされていた。こうしておけば、懐妊し体調をくずしたかのようにも見えるので、誰も訝らない。正式な発表があるまで、貴族たちは静かにしている。
表向きはリディアはまだスタージェス公爵邸にいることになっていた。
男爵領に着く直前の宿で、三人は一番広い部屋に泊った。
寝室が二つあり、一室をリディア一人で使わせ、もう一室をオーランドとネイサンが使うこととした。
二つの寝室を繋ぐ居室のソファでオーランドとネイサンはワインを傾けている。リディアはすでに眠りについていた。
王都から出て数日、二人は少し気が抜けていた。
「なあ、オーランド。このまま男爵領を抜けて、鬼哭の森に行くのか」
「ああ」
「真面目に、そうするのか」
「それ以外に道はない」
憮然と答えるオーランドに、おいおいとネイサンは眉をしかめる。
「なあ、オーランド。
俺がリディアとオーランドの関係をまったく分かっていないと思っているのか」
「兄の婚約者と婚約者の弟という関係をか?」
「だからな。今さら、そんな建前を抜きにしろよ」
「建前ではない」
「建前だ!」
ワインの赤に目を落して呟くオーランドに、ネイサンは切ってかかる。
口を折り曲げたオーランドに、ネイサンは片眉を歪めて、なだめるように語りかけた。
「そもそもさ、オーランド。考えても見ろよ。
鬼哭の森には誰も足を踏み入れないんだ。
人も訪れないおどろおどろしい森を罪人が昇天できずに滞留する森と呼んで鬼哭の森と称しているが、名付けたのは人間だ。所詮、森は森だろ。
迷信を恐れて、王族だって近づかない。
となれば、リディアがいても、見つかりにくいんじゃないのか」
「……なにを言い出す」
ネイサンが提示しようとしている内容が、おおよそ予想がつくオーランドはものすごく嫌そうな顔をした。
「鬼哭の森に一番近い場所に彼女を生かしておくことだってできるだろ」
「なにが言いたい」
さも、そんなことを考えてもいなかったと装い、問い返しているものの、そのぐらいのことはオーランドも思考済みだった。
結局は、無理なのだ。
生きていて、王族に見つかる恐れを抱きながらビクビク暮らすか。
見つかって、王都に連れ戻されて、政争の種になるか。
発覚のきっかけとなった舞踏会では、伴侶がいるネイサンの兄だってリディアに愛を囁いたというではないか。
魅了の魔女がいると王族に連なる者はだんだんと狂っていく。伝承の通り、オーランドの兄やネイサンの兄も狂っている。
なにより、あの見届け人たちがそれを許すことはないだろう。
「お前たち二人で逃げて、森のなかでくらせよ。一緒に出奔したらおかしいなら、俺たち二人で家を建ててさ。まずはリディアだけでも森で暮せるようにすればいいんだ。
彼女は魔力を使える。
身を守れる。
森のそばで一人でだって暮らそうと思えば暮らせるはずだ」
「荒唐無稽だ」
「荒唐無稽なものか」
「魅了の魔女は国を亡ぼす」
「王都の王族に見つからなければ、関係ない」
「本気で言っているのか」
「そうだ」
「ばかげている」
互いに畳みかけるような言い合いの末、オーランドは吐き捨てた。
「兄上があれだけ骨を折って、なんの益もなかったんだ。
努力も無駄。
リディアも失う。
目の前で、婚約解消をリディアに迫ることを強いられ、無力なままに遂行していたんだ。
そんなことをしては、俺は兄の二の舞だ」
「そんなことがあったのか」
「あったんだよ」
言い捨てたオーランドはグラスのワインを忌々し気に呷った。
喉を鳴らし、飲み下したワインは、いつもより苦かった。