26:男爵家の兄弟姉妹②
「そっか……。私は最初から、食堂に行くしかなかったのね」
急ぐ理由がなくなったのを見計らうように、クリスティンのお腹がまた鳴った。
朝からホルンに乗って動き回り、瘴気を払ってきているのだ。義務感や責任感により抑えられていた空腹に身体が堪えきれなくなったのだろう。
タイミングの良さに目を丸くしたクリスティンは、お腹を隠すように両手を当て、苦笑いを浮かべた。
(どうしてこういう時になっちゃうのかな~。民家に立ち寄った時も、奥から良い匂いが流れてきて、堪えられなかったのよね)
十代相応の食欲を備えているクリスティンの身体は正直だ。
ケイトが呆れ顔で片方の口端をあげ、得意げな声音で言う。
「やっぱり、まずは食べてからよ。お腹を空かせたまま、お父さんを探していたら倒れちゃうわよ」
「本当にそのようね」
昇りきった太陽のおかげで、瘴気の心配もない昼間の時間帯だ。調査するにも午後からで十分に間に合う。騎士団なら、空き家に潜伏して夜通し見張ることもできるだろう。
魔物のことなら彼らの方が詳しく、対処法も知っている。
(確かに、急がなくても大丈夫よね)
そう心のうちで三度言い聞かせ、クリスティンは逸る気持ちをなだめる。瘴気と向き合った高揚感が身体に残存し、それが焦りに変わっていたのかもしれない。
領地の安全を守りたくとも、身体を壊しては元も子もない。父がいないという冷や水を浴びて、クリスティンは冷静になれた。
表情が和らいだからか、「ねえ、クリスティン」と、ケイトの横にいたエマがおっとりとした口調で呼びかけてきた。
「これからケイトと私、お掃除しようと思っていたの。それで、アンとピーターをどうしようかなって話していたのよ」
「そうなんだ。なら、私も早めに食べて、お掃除手伝わないとね」
ケイトには臆してしまうものの、年齢差があるエマには姉としてクリスティンは応じる。
エマは軽く頭を左右に振った。
どういうことかな、とクリスティンは小首をかしぐ。
「ここから応接室も近いでしょ。だから私とケイトで掃除するから、クリスティンはこの子たちを見ててほしいの」
「それは良い考えね。マークも一緒にお願いするわ」
淡々としたエマの提案に、ケイトも嬉々として相づちを打つ。
クリスティンだけが複雑そうな表情に変わる。
「えっ……と。それは、ご飯を食べてからってことかしら」
「ご飯は私が応接室に運ぶわ」
「それって、エマ。あなたの提案は、私が子守をしながら食事をするってことよね」
「うん」
「妙案ね。アンがクリスティンの食事を運んでいる間に、私が掃除道具の準備をするわ」
「ねえ。エマ、ケイト。それなら、私が早めに食べて、お掃除を手伝った方が良いと思わない。ほら、私の方が身長あるし……」
「心配しないで、クリスティン。私たち、二人でできるの。ねえ、ケイト」
エマとケイトが視線を合わせ、頷きあう。
力強い二人の妹に、クリスティンはたじろいでしまう。
おっとりとしながらも芯の通った声でエマが言った。
「じゃあ、クリスティン。私、お食事を運んでくるから、ピーターをお願い」
抱いていたピーターをクリスティンに渡そうとするエマから、クリスティンは流されるままに末っ子を受け取った。
ケイトとエマは互いの同意を優先し、動き始める。
置いてきぼりを食らったクリスティンが声を荒げた。
「まっ、待ってよ。二人とも大丈夫なの? 私、手伝わなくても!」
ケイトとエマ。二人の目が同時にクリスティンに向けられる。
まっすぐな視線に付け入る隙はまったくなかった。
「問題ないわ」
「大丈夫よ」
二人は口をそろえてはっきり言った。
妹たちの答えに、クリスティンの方が次になんと言っていいか分からなくなる。
まるでいなくてもいいという扱いに、心がずきりと痛む。
「さあ、行くわよ」
ケイトの一声で、エマがくるりと背を向け、歩き出す。
唖然とするクリスティンの横を、アンを抱いたケイトがするりと抜ける。
「さあ、クリスティン。急ぎましょう。時間がないわ」
ピーターを抱えるクリスティンは、通り過ぎるケイトの背を追いかけるように体を捻る。その背をすがるように見つめていた。
マークも横を通り過ぎる。
「二人とも素直じゃないよね」
その時、ぽそりと呟いた一言がクリスティンの耳に届いた。
(どういう意味)
問う間もなく、マークはケイトの横へと駆け寄っていく。
しばらく歩くと、通路に面した扉をマークが開いた。
廊下に立ちすくんだままのクリスティンに、つんとした横顔のケイトが流し目を向ける。
「クリスティン、どうしたの。ピーターがこっちに来たそうにしているわよ」
その呼びかけにはっとしたクリスティンが、一生懸命ケイトたちに手を伸ばしているピーターに気づいた。喃語を発していたものの、その声さえ上の空で聞こえていなかったことに気づく。
「今、行くわ」
ピーターをしっかりと抱きしめ、クリスティンはケイトを追いかける。歩み出したことを確認したケイトが扉をくぐり、マークが続いた。
応接室は、オーランドが来た時に子どもたちと遊んだり、男爵と酒を酌み交わす一室だ。
元はソファ席と暖炉がある客人をもてなすためだけの部屋だったが、子どもが生まれてからはおもちゃ置き場と化していた。部屋の隅には多様なおもちゃが集められ、山を作っている。
オーランドが来る時はさすがに見栄えが悪いとこぼす母に気づいたクリスティンとロイが十歳前後からおもちゃを部屋の隅に集めるようになった習慣が今も引き継がれていた。
クリスティンが一歳の時に贈られたおもちゃからとってあり、なおしなおし、子どもたちはそのおもちゃで遊んで育ってきた。
男爵家の兄弟姉妹にとって、ここは床にどれだけおもちゃを散乱させても怒られない、天国のような場所だ。
ソファ席近くにアンを降ろしたケイトが、おもちゃの山に近づき、二人の遊びやすようなおもちゃを見繕って戻ってくる。
その間に、クリスティンがピーターをアンの横に座らせた。
おもちゃを見繕って戻ってきたケイトが、クリスティンに話しかける。
「長椅子に座って、クリスティン。双子はローテーブルの横で遊ばせておけばいいから」
「……うん」
しゃがんで双子におもちゃを渡したケイトは、にっこりと双子に笑いかける。「ここで遊んでね」と話しかけてケイトは立ち上がる。
「マーク。クリスティンと一緒に双子をお願いね。
クリスティン。掃除に行くから、ここのことはお願いね」
「わかった」
「……うん」
マークが元気に返事をし、クリスティンは渋々頷く。
クリスティンもマークと同じように、貫禄がついたケイトに従う他なかった。