25:男爵家の兄弟姉妹①
城に戻ったクリスティンは馬から降りると、歩いて厩舎へ向かった。ホルンの手綱を引いて進み、開かれた厩舎の入り口を覗くとロイがいた。
彼はホルンと同じ厩にいる牛や山羊、鶏の世話をしていた。
数年前は門番やメイド、馬丁など、城内で働く者が何人もいたが、今ではその人数が減り、子どもたちも城の暮しを維持するために、手伝いをしなくてはいけなくなっていた。
クリスティンが働くロイに呼び掛ける。
「ロイ、ただいま」
ロイが顔をあげた。
鶏の餌やりをしていた手を止めて、戻ってきたクリスティンに駆け寄っていく。
「お帰り、クリスティン」
「もしかしてロイは、私が出てからずっと家畜の世話していたの?」
「まさか。朝食を食べてからだよ」
「そうよね、ご飯食べないと力がでないもんね」
「クリスティンこそ、先走って出て行ったけど、お腹空いていないの」
クリスティンからホルンの手綱を受け取ったロイが、安心したとも、呆れているともとれる笑みを浮かべた。
「立ち寄った民家で軽食をいただいたから大丈夫よ」
「やっぱりねえ。食べるのも忘れて飛び出すなんて、お母さんも呆れてたよ」
「……、私、怒られそう?」
「怒られはしないと思うけど。とりあえず、伝言。お母さんから。戻ったら食堂に食べに来なさいって」
「分かったわ、ありがとう。食堂に行くわ。食べなかったら、お母さんに怒られそうだもの」
クリスティンのおどけた表情がさっと真顔に早変わりする。
「ロイ。衛撃騎士団の方々が到着したのね」
「うん。だから、今はお父さんは大忙しだよ」
「そっか……。お父さんに報告したいことがあったんだけど、すぐに伝えるのは無理そうね」
「なにか、あった?」
ロイの問いに、クリスティンは、空き家の鶏小屋で、足跡のようなくぼみを見たことを端的に説明した。
渋い顔をしたロイが、一瞬俯き、顔をあげる。
「それ、お父さんに報告した方が良いね」
「でしょ。ところで、食堂にお母さんはいるかしら」
「いないよ、今頃は洗濯物を干しているよ。天気もいいしね。食堂には、クリスティン用のスープとパンが置いてあるだけだよ」
「なら先にお父さんの執務室に立ち寄ってから食堂に行くわ」
心配事や不安を抱えていても、家族の前では努めて明るく振舞うクリスティンは笑顔で踵を返すと、ひらひらと片手を振って、居館へ向かった。
クリスティンが廊下を歩いていると、背後から呼び止められた。
「クリスティン、戻ってきたのね」
ひときわ高い声に、クリスティンはびくっと肩を震わせる。声の主が脳裏をかすめ、表情が強張った。恐る恐る、カクカクとした動きで振り向く。
浮かべる笑顔は薄笑いであり、とってつけたように張り付いている。
「……、ケイト……、ただいま」
後ろを向いたクリスティンに、一歳に満たない末っ子のアンを抱いたケイトがずんずん近づいてくる。ケイトの右横にはエマが末っ子のピーターを抱き、左横にはマークがいた。
男爵家は、七人兄弟姉妹。
もうすぐ十六歳になるクリスティンを筆頭に、長男のロイが十四歳、次女のケイトが十歳と続く。
八歳の三女エマ、六歳の次男マークはケイトと年が近いこともあり、三人はよく一緒にいた。
はっきりした性格のケイトを先導に、大人しいエマが従い、やんちゃなマークがついていく関係だ。
「おかえりなさい、クリスティン。食堂に食事が用意されているわよ」
「ええ、知っているわ。厩舎でロイから聞いたもの」
「それは良かったわ。でも、この廊下を進んでも食堂はなくってよ」
「うっ、うん……。そうね」
ケイトの鋭い指摘にクリスティンはたじろぐ。
まるでなにもかもお見通しよと言いたげなケイトの視線に動揺してしまう。
(お父さんの執務室から先に行こうと思っていたのに~)
瘴気が漏れてくるのに合わせて空き家近くまで魔物が出てきているなら、早めに知らせたい。とはいえ、妹たちを心配させたくもないので、正直に話せない。まごまごするクリスティンを見透かすようにケイトが指摘する。
「お父さんの執務室があるわね、こっちには」
クリスティンの視線が空を泳ぐ。
察しの良いケイトが息をついた。
「まあ、いいわ。どちらにしろ、執務室に行ってもお父さんはいないわよ。さっき衛撃騎士団長と外に出られたもの。ロイは厩舎の作業中で、知らなかっただろけど」
「お父さん、いないんだ」
クリスティンは拍子抜けする。とたんに緊張がすとんと落ちて、お腹がきゅっとしまった。
「そうよ。どこに行ったか分からないから、追いかけられないわよ。お母さんは知っているかもしれないけど、それこそ尋ねに行ったら、まずはご飯を食べてからにしなさいと、大目玉を食らうわよ」
淡々と脅してくるケイトに、クリスティンはなにも言い返せない。
この一年で、長女のクリスティンと次女のケイトの立場はすっかり入れ替わっていたからだ。
一年前、クリスティンは受験勉強を始めた。
父からも母からも「家のことはいいからがんばりなさい」と励まされ、王都での後見人がオーランドと決まっていたことにより、どうしても受からなくてはいけなかった。
オーランドをいまだおいちゃんと呼んでいるものの、クリスティンもさすがにオーランドがどれだけ偉い人なのか分かってきていた。
衛撃騎士団の騎士達や父である男爵の応対を見ていて、王弟という立場が本来はどれだけ高いものなのか知るに至ったのだ。
魔力があるクリスティンがオーランドの後ろ盾を得て王都の学院に通う。
それがどれだけ前代未聞のことであり、喜ばしいことか。十分に理解する男爵家の面々は、受験を後押しすることを決めた。
必然として、クリスティンの家事手伝いを行う時間は減らすことになる。
同時期、今まで雇っていた使用人が、家族が移住するなどの理由で辞職していった。人手が減ったうえに、妊娠中の母は今までにないほど悪阻が重く、寝てばかりとなる。
本来なら長女のクリスティンが先導をきって、兄弟姉妹をまとめ上げるべきだったが、受験勉強があり難しい。
誰かができなくなれば、誰かが浮かび上がるものである。
こうして、九歳のケイトが颯爽と頭角を現した。
やきもきするクリスティンが手伝おうとすると、「クリスティンは、受験勉強があるでしょ」とぴしゃりと部屋に引き返させらせた。
クリスティンがいなくても、母の指示を受け、立派に城内をまとめ上げたケイトは、一目置かれる存在となり、生活の領域においては、長女でも太刀打ちできない貫録を備える実力者となったのだ。