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22:浸食される領地②

 クリスティンは父がいる執務室の扉前に来た。

 両開きの扉を力任せに押すと、大きな音を立てて開く。ノックもせずに、ずかずかと入り込んだ。

 物音に驚いたカスティル男爵は、両目を見開き顔をあげる。


「おはようございます、お父さん」

「クリスティン。どうした、こんな朝っぱらから」


 手にしていた書類を男爵は降ろし、突然現れた娘と向き合う。

 机上には処理するための書類が何枚も散っていた。

 

「領地の様子を屋上で確かめてきたの。風の流れが悪いわ。このままではもうすぐ実る作物にも影響が出てしまう。来月収穫できなかったら、また領民が他領へ移住してしまうわよ」


 執務机に両手をつけて、クリスティンは挑むように睨みつける。

 父のカスティル男爵は皺を寄せた眉間をもんだ。


「分かっている。今日の午後、遅くても夕方までには衛撃(えいげき)騎士団が到着する予定だ。彼らが来れば、瘴気を払ってくれる」

「それでは遅いわ、お父さん。さっきも言ったでしょう。このままではせっかく実っている作物にも影響が出てしまう、と」

「クリスティン。それは重々承知していることだ。騎士団の方々もこちらの事情は把握している」


 眉間から手を離した男爵は、頭を左右に振った。

 悠長な男爵にクリスティンは不満げに口を折り曲げる。


「お父さん。それじゃあ、遅いのよ。私ならいけるわ」

「やめなさい。王都に向かう日も近い。先日、合格通知が来たばかりだろう」

「こんな状況では、私だって、安心して王都になんていけないわよ」

「クリスティンならそう言い出すだろうと考えられた殿下が、対策を考えてくださっている。今回の衛撃騎士団は、その下準備のために来てくれるんだ」

「おいちゃんが?」

「そうだ。クリスティンが安心して王都に赴けるように、オーランド殿下が準備してくださっているんだ。

 それさえ整えば畑作地は守られる」

「どんな準備をするの」

「さあ、そこまで詳しいことは伝わってきていない。瘴気から畑作地を守るための準備としか知らせはきていないんだ」

「それは私が王都に行くにはとても良い理由になるけど、今、目の前に迫っていることには、なんの対応策にもなっていないわよ」

「分かっている。が、我々では手出しは難しいだろう。騎士団の方々を待つのが賢明だ」

「あのね、お父さん。ここには私がいるの。いつも通り、私が出るわ」

「やめなさい。王都に行く直前に怪我でもしたらどうするんだ。オーランド殿下も向こうで、クリスティンのために色々と準備してくださっているというのに!」

「怪我なんてしないわよ。森から漏れてくる瘴気を払ってくるだけなんだから」

「やめなさい。数時間もすれば騎士団が来る。

 これから王都に行くクリスティンが、もし怪我をして行けなくなったら私が殿下に顔向けできない」

「ケガなんてしないわよ。魔物がここまで来ることは滅多にないじゃない」

「滅多にないだけであるだろう。流れてくる瘴気とともに、稀に誘われてやっくる魔物が! なにかあってからでは遅いんだ」

「心配し過ぎよ、お父さん。森のなかに入るわけじゃないのよ。

 だいたい、こんな状況だったら領地が心配で王都の学院にだって、おちおち学びに行ってられませんよー」


 いーっとクリスティンは父の男爵に顔をしかめて見せる。


「クリスティン!

 そういう問題ではないんだ。

 王都に行けば、一応は貴族の娘として、さらにはオーランド殿下の……」

「お小言なんて聞かない聞かない」


 両手で耳を塞いだクリスティンはひらりと身を翻す。


「待ちなさい、クリスティン」

「待てって言われて、待つ子どもなんていないわよ」


 背を向けたクリスティンは舌を出し、意味深な笑顔を父親にむけてから、勢いよく走りだす。

 その背に向けて男爵は手を伸ばし、引き留めようと体が動くものの、立ち上がる間もなくクリスティンは廊下へと消えていった。

 後には開け放たれ、廊下が丸見えの出入り口だけが残される。

 

 伸ばした手を頭にあてがい男爵は叫ぶ。


「嫁入り前の娘が! 剣をふるってばかりでどうするというんだ!!」


 何の返答も帰ってこない虚空を見上げ、男爵は重々しいため息を吐いた。


「ああ、こんなことでは先が思いやられる。やっと、殿下にお返しする時がきたというのに……」


 


 



 

 父の執務室を飛び出したクリスティンは、居館を飛び出し、厩舎へ向かう。

 丁度ロイが馬を厩舎から外に出していた。


 灰色の身体に白いぶちが目出つ体色の馬は、乗馬用としてオーランドから贈られており、名をホルンという。子どもたち共有の馬として飼われ、世話も子どもたちに任されていた。

 ホルンはすでに馬装を終えており、いつでも出発できる準備が整えられていた。


 クリスティンはロイの手際の良さに目を輝かせる。


「ありがとう、ロイ。さすがね」


 手を振って近づく姉に、ロイは不満そうな顔をみせた。


「お父さんの了承は得られたの? クリスティン」

「まさか」


 歩み寄る姉の返答にロイは、やっぱりと息をつく。


「大丈夫なの? 最近はどんどん物騒になってきているだろう。

 騎士団の方々だって、手を焼くようになっているそうじゃないか。

 瘴気による影響を食い止めるだけでなく、森から流れてくる魔物たちとの応戦頻度が増えているってお父さんもぼやいていたんだよ」

「分かっているわよ」

「お父さんは、そういうことを加味して行くなと言っているんだよ」

「分かっているわよ」

「分かっていて、どうしていくって言えるの」

「ロイ。今、ここでこの状況を何とかできるのは私しかいないの。瘴気による家畜や作物への影響は見たことがあるでしょう」

「そりゃあね……」


 手綱を引くロイの胸元に、クリスティンは人差し指を立てる。


「瘴気が蔓延すれば、作物は出荷できなくなるわ。家畜は魔物のように扱いにくくなったり、成長しなくなったり、卵を産みにくくなったり、乳の出が悪くなったりする。巨大化して、狂暴にもなるかもしれないわ。家畜が魔物化したらどうするの、それこそ駆除が大変じゃない」

「そこまでの事例はまだ聞いたことがないよ」

「例えよ例え。とにかく、耐えきれなくなった領民は男爵領を離れていく。

 農産物は誰も買ってくれないし、私たちは出荷できない作物だけを食べて、細々と暮らさなくてはいけなくなる。

 どう考えても悪循環よ」

「そりゃあね。瘴気が増幅している理由だって、よく分かっていないしね」


 手を下げたクリスティンは拳を腰に当て、胸を張る。


「こういう時こそ、出来ることは何でも試してみる。

 できる者が、出来ることをすべきでしょう。

 魔力を保持している私が、領民を助けに行く。この行為が道理にかなっていないとは言わせないわ」


 強い意思を瞳に輝かせるクリスティンを心配しつつも、次期領主となるロイは姉の真っ直ぐな正義感に共感するところがあった。

 手綱を渡してとばかりに手のひらを見せるクリスティンにロイは素直に従った。


「もうすぐ王都に行くわけだし、午後には騎士団が来るんだ。

 その辺も踏まえて、危なそうだったらすぐ逃げてきてよね」

「分かっているわ」


 手綱を受け取ったクリスティンは、ホルンの首をたたき、挨拶すると、すぐさま騎乗する。


「お父さんも、僕も、ただクリスティンの心配をしているだけなんだ。その辺はちゃんと分かってよ」

「大丈夫、大事なことはちゃんとわきまえているから。先生とおいちゃんの言いつけは守るわよ」


 手綱を引き、馬の胴を蹴る。

 ホルンはいななき、走り出した。

 馬を駆り、去っていくクリスティンを見送るロイは呟く。


「分かってないよ……、たぶん」


 クリスティンと一緒に、オーランドから絵本を読んでもらったり、稽古をつけてもらっていたロイは、姉へ注がれるオーランドの形容しがたい情感に勘付いていた。

 クリスティンが王都の学院に通うのも、殿下が絡むことだと誰に聞かずとも理解していたのだった。


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