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136:一矢報いる④

(ここでマージェリー様を諫めるの!?)


 エイドリアンがマージェリーに注意すると予想していなかったクリスティンは、目を白黒させて、兄と妹を交互に見る。


 エイドリアンの一声に、ライアンはデヴィッドから手を引いた。

 興奮するデヴィッドも口を閉じ、荒い呼吸を整えている。

 自ずと二人の視線はマージェリーに向けられた。


 もらった花束を抱くマージェリーが全員の視線にさらされる。

 いつもの冷たい表情に動揺の影が落ちた。

 眉を歪め、口を引き結ぶ。目を眇め、顔が左右非対称に変化した。

 冷たさを漂わせていた仮面がぼろぼろと崩れていく。

 両目にじわっと涙がたまる。その涙がこぼれないよう唇を薄く噛み、マージェリーは頑なに口を閉ざす。


「マージェリー」


 穏やかにエイドリアンが呼びかける。


「殿下が本音をおっしゃられた。ならば、マージェリーだって、本当のことを言わないといけないよ。

 マージェリーはなにを思って行動していたのかな。これは君が話さなければ、伝わらないことだよ。何も言わずに分かってほしいというのはよくない甘えだよ」


 最初の一声とは正反対の、エイドリアンらしい穏やかな声音で告げる。


 瞳を潤ませるマージェリーは、ぎゅっと両目を瞑った。目尻に盛り上がった涙が光り、雫一つ、流れ落ちた。


「私は……、私は……、慈善を是とするウルフォード公爵家の長女で、いずれは王太子妃になるよう物心つく頃には定められていて……。

 王家ただ一人の殿下を支えていかないといけないと……」


 マージェリーが言葉を詰まらせる。


「私が至らないと……」


 腹の底で不満がまだ燻っているデヴィッドが売り言葉に買い言葉とばかりに言いかけたところで、ライアンが背後から手を回し、その口をふさいだ。

 「余計な口を挟むな」とライアンが囁いた。

 立ち消えたデヴィッドの言葉は誰の耳にも届いておらず、マージェリーは大きく息を吸い、再び話し始めた。

 振り上げかけた拳を降ろし、デヴィッドは大人しくマージェリーを見た。


「国の内情だって良くないわ。月と太陽が重なる瞬間は刻々と近づいている。瘴気は年々濃くなるばかりでも、急ごしらえの対応策しか、私たちは準備できないのよ。

 災害がどこまで広がり、いつまで続くのか。誰も予想ができない。

 人々は混乱し、不満を募らせるかもしれない。王家を疑い、貴族を疑うことだって考えられる。私たちが不甲斐ないから、こんな事態になるんだって思われたら、人間同士の闘争に発展することだってあるのよ。

 すでに状況は傾斜している。私たちは、その中で、人々の前に立つのよ。

 厳しいわ。厳しくなるはずなのよ。

 だから、少しでも、良い行いを重ねて、人々に信頼されるように努めておかないと、人心を繋ぎ止めておかないと……。

 きっと、将来、大変なことになると思ったのよ」


 目尻に膨らんでいたマージェリーの涙が弾ける。ぼろぼろと透明な雫が頬を伝い落ちた。


「ウルフォード家の家訓は、慈善よ。

 私が困っている人々に手を差し伸べれば、家訓を体現する善い行いとみてくれるわ。

 全部、全部、かこつけていたのよ。

 人々のためなんて嘘よ。真っ赤な嘘。

 家訓にのっとった理想的な公爵家のご令嬢というのも、違うの。

 違う、違うのよ。

 私は私のためにやっているのよ。

 すべて私情なのよ。

 私は、私のために、私の……、大事な人を守るために。

 家訓をかさに、慈善家の仮面を被っているだけなのよ」


 泣きながらマージェリーが訴える様を、クリスティンは呆然と聞いていた。


(殿下のため……)


 言われてみれば、その通りだと納得できる。

 そもそも、マージェリーはデヴィッドが好きなのだ。どう考えたって、デヴィッドへの厳しい対応は彼を思えばこそ。

 分かってはいても、マージェリーの口から語られることで、クリスティンも腑に落ちる。


(瘴気の影響を直に受けるなかで殿下は大人になり、いずれは国を治めることになる。マージェリー様は先々が見えているから、人々に手を差し伸べ、将来へむけての下地を作っていたのね)


 現在は隣接する領地のみであった瘴気の悪影響も、今後は陸地全域に影響が及んでくる。マージェリーはそういう未来を想定しているとクリスティンは肌で感じ取った。

 

(今までそんなこと考えもしていなかったわ)


 領地さえ守れれば、暮らしを守れる。

 クリスティンは、家族と目の届く領民までしかとらえられていなかった。


(おいちゃんが領地を得て、男爵領の人々を逃すと言っていた。それは男爵領に人が住むことが、これからもっと難しくなることを示しているんだ。

 そして、男爵領で起こったことが世界中に広がっていく……)


 ごくりと生唾を飲み込んだ。


(厳しい。私が思っていたより、ずっと厳しい……)


 今だって、大地に月が近い時や、月と太陽が重なる時は必ず瘴気が濃くなっている。その流れ込む瘴気の量は年々増してきている。だからこそ、聖騎士や衛撃騎士団が東奔西走しているのだ。

 なんのために彼らが動いているのか。

 男爵領のためだけなはずがない。

 視野の狭さをクリスティンは唐突につきつけられた。


(今、世界はどうなっている?

 マージェリー様はどこまで知っているの?

 教えてほしい。マージェリー様が知っていることを。私、もっとマージェリー様とお話ししたい。もっといろんなことを教えてほしい)


 デヴィッドへのいじらしい一途な想いも含めて、冷たい仮面の下に隠されていたもの重さを含め。


 領地を思えばこそクリスティンも悩んでいた。

 マージェリーもまた同じように、人に言えない悩みを抱えていた。

 誰にも言えないけど、一人で立ち向かう。

 そんな姿に、共感を覚える。

 涙するマージェリーに感化され、クリスティンもまた、もらい泣きしそうになっていた。


 一方、マージェリーが泣くところなんて見たことがないデヴィッドは、目を見開き彼女を凝視していた。さらに語られる内容を咀嚼すると、嫌われていなかったのだという真実に気づかされる。

 不甲斐ない王太子だとしても、嫌われていたわけではない。その事実に、腹の底にくすぶっていた怒りの火が沈静化していった。


 未だ涙を流すマージェリーを見つめ、デヴィッドはライアンの手を押しのける。さらにその手でライアンの胸をどんとはじき、一歩前に出た。顔を赤らめ、目尻はつり上がっていた。


 クリスティンは、デヴィッドがまた何を言い出すか分からないと、マージェリーをかばうように立ちはだかる。


「マージェリー。

 私は王妃(はは)に言われてここにきた」


 肩に力が入り、赤らんだ顔をしているものの、デヴィッドの声音は低く、落ち着いていた。ひとまず、クリスティンもじっと耳を傾ける。


「先日の非礼に対し詫びるよう諫められた。王妃(はは)から言われたのは、『来週の収穫祭を平民のふりをして二人で歩く』ことだ。平民のふりをする準備まで母が行ってくれるとまで言われては、私も母に従わざるを得ない」

「王妃様が……」


 マージェリーの呟きに、大事なことを言いきり顔色が良くなったデヴィッドが頷く。そして、視線を床に落とした。

 母から言われて来たなど正直に言わなくてもいいことまで言っている自覚がないデヴィッドであったが、そのいらぬ説明からマージェリーは事の子細を理解し、これが王妃からの贖罪であると看破していた。


「来週、収穫祭の時には迎えにくる。城に寄り、母が準備した平民の衣装に着替えて、出かける。

 わかったな。来週だからな。覚えておけよ!」


 捨て台詞のようにデヴィッドが念を押すと、横にいたライアンもやっと安堵の表情を見せた。

 言うことを言い、用事は終わったとばかりに、踵を返そうとデヴィッドが身体を捻った時だった。

 

 後ろのマージェリーをちらりと見たクリスティンははっと気づく。

 

(このままだと、マージェリー様はすぐにお茶会に戻れないじゃない!!)


 早めに戻らないといけない主催者のマージェリーの頬には涙の痕が幾筋も残っている。こんな顔では、会場に出向くことなどできるわけがない。

 弾くように前方に顔を向けたクリスティンは、用は済んだとばかりに立ち去ろうとするデヴィッドにむかい叫んだ。


「殿下! 女の子を泣かせておいて、このまま去るなんて無責任にもほどがあります!!」


 デヴィッドがぴくりと立ち止まる。流し目をクリスティンに向ける。

 その顔が呆けたように見えたクリスティンは、こんなややこしい事態を作った張本人に無性に腹が立ってきた。


「マージェリー様がお茶会にすぐに戻れない状況を作っておいて、このまま去ろうなんて虫が良すぎるでしょう」


 なにを言っているんだと言わんばかりに眉を歪めるデヴィッドとクリスティンが真正面で向き合う。


「要件から切り出していれば、こんな事態になっていません。公爵家のご令嬢が、涙の痕を残して、お茶会に戻れるわけがありません。そんなことも分からないんですか!」


 当然のことを怒鳴られ、デヴィッドがぐっと喉を詰まらせる。

 堂々とクリスティンは片手を横に払った。


「執事さん、メイクのできるメイドさんを呼んでください。それから、衣装直しも必須です。すぐに、大至急、できる方を呼んできてください」


 執事はちらりとエイドリアンを見た。無言で頷くエイドリアンの意図をくみ取り、音もなく部屋を出ていく。


「ライアン!」

 

 よもやふられると思っていなかったライアンが、名を呼ばれ両目を瞬く。


「僕がマージェリー様とお話している間。待ち時間がありましたよねえ。なにしてたんですか、その時間。

 しっかり準備しておけば、マージェリー様が泣かずとも済んだと思わないんですか」

 

 矛を向けられると思ってもいなかったライアンは背をのけ反らせる。

 クリスティンの鋭い眼光に、背中に冷たい汗が盛り上がった。

 詰めが甘いと言われれば、これでティンと過ごす時間が作れると心の隅で浮かれていた一面を自覚しており、否定できなかった。


「クレス、それはな。あれだ……」

「言い訳は無用です。

 デヴィッド殿下のお目付け役であるあなたにも、責任の一端はありますよね。間違いなく、ありますよね! ありますね。あるでしょう!!」

「いや、それはな。それは認めないことはないが、落ち着け、クレス」

「僕は落ち着いてますよ~」


 荒ぶるものをどうどうと落ち着かせようと、ライアンは平手をクリスティンに向ける。

 マージェリーが泣いた一因があると責められれば、落ち度はあると認めざるを得ない。

 ライアンの痛いところを、険を含んだ眼光で、クリスティンは刺し貫く。


「わかっているなら、落とし前つけましょうね。ライアン先輩」

 

 クリスティンは口を弓なりに曲げる。

 非を自覚するライアンは口をつぐんだ。

 クリスティンの視線はデヴィッドに向けられる。


「殿下。女の子をデートに誘うぐらい、五歳児のままごとでだって簡単に言える台詞ですよ。なにを無駄に時間かけているんですか。その無能さ。信じられませんよ」


 凍てつくクリスティンの眼光に晒され、デヴィッドはひっと声なき悲鳴をあげる。


「マージェリー様を泣かせたんです。すぐにお茶会に戻れなくした責任を取ってもらいます」


 腰に拳を添え、クリスティンは殿下とライアンにびしっと言い放つ。


「デヴィッド殿下!

 それに、ライアン!

 二人はマージェリー様がお茶会に戻られるまで、会に参加されている方々を、マージェリー様に代わって、おもてなししに行きなさい!!」


 己を指さしライアンは叫んだ。


「俺も一緒かよ!!」


 はっとクリスティンは呆れるように息を吐き、無能者を蔑むような視線を向けた。


()()時間稼ぎを無駄にしたんです。指導力の低いお目付け役の責任は重いでしょう。

 ライアン()()



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