135:一矢報いる③
やっとデヴィッドがおずおずと顔をあげ、マージェリーを見た。
「マージェリー……」
「はい」
「来週は……」
「来週ですか?」
「予定は……」
「予定? 来週は収穫祭でしょう。それがなにかありまして」
王都をあげて祝う収穫祭だが、高位の貴族であるマージェリーはいつも屋敷ですごしていた。屋敷の最上階からは、王都を見渡せるし、そこから花火も見物できる。貴族らしく、人々の賑わいを眺め、寛いですごしており、デヴィッドも同様に城で過ごすとマージェリーは思っていた。
「時間はあるか」
「常に時間はあるとも言え、無いとも言えます。しかし、今現在は時間がありませんね」
マージェリーはちらりと暖炉上の置時計を見た。
早くしてほしいと、視線で訴える。察したデヴィッドは渋い顔をした。
進まない二人を見つめるクリスティンはむずむずし、落ち着かない。
(がんばってよ、殿下。来週の収穫祭、一緒に歩こうと言えばいいだけでしょ。なにを回りくどいことをしているの~)
身体をばたばたさせたくなるものの、黙って見ているライアンやエイドリアンがいるため、彼らに合わせて我慢する。
「殿下、用件がないなら、私は会場へと戻ります」
マージェリーが身体を傾ける。クリスティンを見て、微笑んだ。
目が合ったクリスティンはドキリとした。
「クレス様、お待たせして申し訳ありません。会場へ向かいましょう」
差し伸べられる手を見て、クリスティンはうろたえる。
(待って、待って、まだなにもはじまってないのに)
マージェリー越しに見えるデヴィッドがうつむく。背後から陰気な雰囲気が漂い出しているかに見えた。
(時間を稼がなくちゃ。殿下が、マージェリー様を収穫祭に誘うまでは!)
目的を達しないままに、会場に戻るわけにはいかない。
「マージェリー様、デヴィッド殿下がまだなにか言いたげのようです。お話しが終わってから、会場に、戻りませんか?」
マージェリーの視線がデヴィッドへと向く。
俯いたままデヴィッドは微動だにしない。
「殿下、なにかお話があるのでしょう。僕のことはかまわず、お話しください、ねっ」
(お願い、お願い。早く言って。一言でいいの。収穫祭を一緒に歩こう、それだけでいいのよ)
はらはらしながらクリスティンは、デヴィッドの様子を伺う。
デヴィッドの背後に立つライアンは無表情だ。エイドリアンもさっきと変わらぬまま見守っている。
(早く、早く。一言でいいの。来週の収穫祭を一緒に歩こうと、それだけでいいから、言って!)
祈るような気持ちで、クリスティンは胸元で手を握る。
デヴィッドが顔を振り上げた。
「マージェリー。
君はいつもそうだ!」
唇を戦慄かせ、デヴィッドが怒鳴った。
「君はいつも、私にだけに厳しい! まるで私は嫌われているようではないか」
デヴィッドの怒鳴り声を受け、マージェリーの雰囲気が一気に冷える。
クリスティンは、ひえっと声なき悲鳴をあげ、半歩後ろに引いた。
(そうじゃないでしょ、殿下。今、言わなくちゃいけないことは違うでしょ)
ライアンの眉がひくっと動き、口元が引き結ばれる。背後のエイドリアンは変わらず、苦笑いを浮かべていた。
「ですので、耳を傾けておりましたけど、一向にお話しにならなかったのは殿下ではないですか」
「違う、違う、違う」
デヴィッドが大きく頭を振った。
地団太を踏みそうな勢いだが、踏みとどまりマージェリーを睨んだ。
「私はちゃんと伝えようと思っていたんだ」
「ですから、なにをと伺っています」
「その言い方だ!
クレスには、ちゃんと話しかけるのに、どうして私に問いかける声はいつも氷のように冷たいんだ。
だから、私はいつもいつも、マージェリーが怖いんだ。あれだけ周囲に気を配るのに、私にだけはいつもいつもなぜそんなに厳しい。
昔は私と変わらない背丈だったというのに、先に大きくなって!
身長が高くなってからじゃないか。私を見下すようになったのは!」
(殿下! 横道にそれすぎです!!)
突然の不毛な発言に、クリスティンは、いっと口を横に引く。
(王妃様に言われた通り、収穫祭を一緒に歩こうと誘えばいいだけだったというのに、そんな変化球投げるんですかぁ。これじゃあ、ややこしくなるだけですよ、殿下!)
すぐ近くにいるマージェリーの肩がかすかに震えた。
顔を赤らめるデヴィッドが、浅い息を数回繰り返す。
背後に立つライアンが眉を潜めて、一歩踏み出した。
「それは……」
マージェリーらしくなく声は震え、語尾が立ち消える。手にする花束に力がこもり、がさりと雑音を鳴らした。
いつもと違う反応に、クリスティンはマージェリーの背を凝視する。
(マージェリー様。どうしたの? いつもの調子なら殿下にばしっと言っているところでしょう)
クリスティンが思うように、かつてのマージェリーなら王太子らしからぬ態度を諫めていた。しかし、そんなことを繰り返してきたことが新入生歓迎会の引き金を引いたと、マージェリーなりに自覚していた。
決して反省する気はなかったが、このままの態度ではいけないという自覚は芽生えており、デヴィッドへの接し方を見直さないといけないと頭では分かっていたのだ。
ただ、今までが今までだっただけに、すぐに態度を豹変することは難しかった。
言葉が続かないマージェリーにデヴィッドが畳みかける。
「背が高くなって、私が小さく見えたんだろう。子どもに見えたんだろう。大人のように大きくなったマージェリーと私では、長らく姉と弟のような開きがあったからな。
至らなさとか、子どもっぽさとか、そう言うところばかり目につくようになって、嫌になったんだろう。
王家の子どもは私しかいない。私だって、わかっている。立派に見せないといけないぐらい。
それなりにはやってきた。
それを見て、最初こそ褒めた周囲も、だんだん当たり前になり慣れていく。それでも笑って、私はすべてをこなしているんだ」
荒ぶるデヴィッドが地団駄を踏む。
「私では不満なんだろう。嫌なんだろう。嫌いなんだろう。王家と公爵家という繋がりだけで、婚約者にされたことが!
私だって、あの件は悪かったと思った。叔父上にもライアンにもクリスティンにも怒られたからな。だから、ちゃんと挨拶して、もう少し頑張ろうと思ったんだ。
飛び級して、ここまで来たんだ。
一人しかいない王家の子で!
期待も大きくて!
求められるままこなせば、できた。当たり前にできたよ。できたけど、犠牲にしたものだってあるんだ」
弾かれるようにライアンが踏み出す。
「マージェリー。いつもいつも厳しいのは、至らない私が不満で、小さい私が嫌いなんだろう。
もう、そう言えよ。そう言えばいんだ!」
ライアンが荒ぶるデヴィッドの肩に手をかけた。
「やめろ、デヴィッド。言い……」
「うるさい!!」
言いすぎと言おうとしたライアンの手を払いのける。ぱしっと響いた乾いた音がやけに大きく聞こえた。
ライアンが一歩踏み出すと同時に、聞いていられなくなったクリスティンも踏み出していた。
ついさっきまでマージェリーの優しさに触れていたクリスティンは、殿下の発言が看過できず、彼女を守るように前に出た。
横を通り過ぎる時、視界の端にマージェリーの瞳が潤み、唇が震えている様が映りこんだ。
動き出したのは二人だけではなかった。
今まで黙って見守っていたエイドリアンが、組んでいた腕を解いた。そして、突き刺すような一声を放った。
「マージェリー。言いたいことがあるなら言いなさい!」