134:一矢報いる②
クリスティンはマージェリーの手を取ると、胸元に引き寄せて、ぎゅっと握りしめた。
クリスティンのキラキラ輝く眼差しを受け、マージェリーは目を丸くする。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。私なんて、マージェリー様と接点を持てるような立場ではないのに、こんなに良くしていただいて……。なんと言えばいいのか……本当に、言葉もありません。とても嬉しいです。嬉しいとしか言えないけど、本当に、本当にありがとうございます」
頬を上気させ、声を弾ませるクリスティンに、マージェリーは暖かな眼差しを向ける。
「いいのよ、気にしないで。私こそ、二度も助けていただいたもの。これからのことを思えば、これぐらいしか、してあげられることを思いつかなかったの。あからさまに来てと誘うのも変ですし、木陰で確かめないと確信が持てなかったのも事実ですもの」
「マージェリー様には男爵領のことでもご支援いただいています。ならば、あれぐらいお助けするのは当然です。
今後も、なにか力になれることがあれば、できうる限りお助けします。敬愛するマージェリー様に求められたならば、真っ先に駆けつけ、お守りします」
「ふふっ。まるで私のための騎士のようね。私が王太子妃になった暁には、貴方を護衛騎士に指名したくなってしまうわ」
「そんな、もったいないお言葉です」
マージェリーの手を離したクリスティンが、拳一つを胸に添えて、直立する。
「不詳、剣豪オーランドの直弟子クレス、至らぬこともありますが、精一杯マージェリー様をお守りいたします」
貴族の最高峰と言える三大公爵家のマージェリーに気さくに話しかけられ、これほど親切にしてもらえると思ってもいなかったクリスティンは、マージェリーへ返せることは体を張って守ることしかないとばかりに、胸を張った。
少年姿のクリスティンが一生懸命宣誓する姿に、マージェリーは両目を細める。
クリスティンの姿に、明るい笑顔で話しかけてきた幼少期のデヴィッドの面影を重ね見ていた。
例の一件でマージェリーもまた、気づいた。
先々を考え厳しく接したことが、デヴィッドの負担となり、彼に重圧をかけていた、と。
ライアンがいたとしても、直系の王族は少なく、次世代を背負う彼が背負っているものは重い。
それを知るからこそ、しっかりしなくてはと行動したことが裏目に出た。
あの事件を引き起こしたのはデヴィッドのせいだけではない。
マージェリーにも非があった。
それに気づかせてくれるきっかけをくれたのは、まぎれもなくクリスティンである。
本心を軽々しく口にすることははばかられる。立場もプライドもあるマージェリーは口をつぐむしかない。
だが、言えないことはあっても、気持ちだけは本物だ。
感謝は行動となり現れ、想いを載せた行動は感謝と忠誠という結びつきをうむ。
気持ちが通じ合えば、互いの心にじわっとぬくもりが広がる。
そんな見つめ合う二人に水を差すかのように、その時、部屋の扉が唐突に開かれた。
音に誘われマージェリーが先に扉側の動きに気づく。
部屋に入ってきた来る予定のない人物を視認し、マージェリーは瞠目する。
マージェリーの表情が変化したことで、クリスティンも扉に目を向けた。
開かれた扉から花束を抱えたデヴィッドが入室する。
その姿を見て、クリスティンはほっとした。
(良かった。来てくれた。私、ちゃんと足止めできたわ)
続いて、ライアンも入ってきた。
最後に部屋に足を踏み入れたエイドリアンが扉を後ろ手で閉める。
(どうか、ふたりが上手く行きますように)
マージェリーの本心を知るクリスティンは心よりそう願った。
なのに、デヴィッドはいつものように渋い顔をして目を逸らす。
(私が傍にいたら邪魔なのかも……)
二人の邪魔をしてはいけないと気づいたクリスティンは、立ち話をしてたマージェリーから一歩離れた。
「殿下……」
マージェリーが呟く。
止まりかけたデヴィッドをライアンが背後から小突く。数歩進むと、押すなとデヴィッドが尻目でライアンを睨んだ。
悪びれもせずに、ライアンがもう一度、今度はデヴィッドのわき腹を小突いた。不服そうに口をすぼめたデヴィッドが前を向く。
これから婚約者を誘うとはいえない不満げな顔で、デヴィッドはマージェリーを見据えた。
ライアンが立ち止まり、デヴィッドだけが進む。
そのまま、マージェリーの数歩前に立った。
「マージェリー」
口を折り曲げデヴィッドが呼びかける。
マージェリーもいつもの抑揚乏しい声音で「はい」と答えた。
その声を聞いた途端、デヴィッドが顎をひき、マージェリーを睨んだ。まるで臨戦態勢をとるかのようであり、女の子をデートに誘う顔とは程遠い。
マージェリーの背後に立つクリスティンも二人の間から緊迫感が漂い始め、(大丈夫なの、このままで)と、心配になってきた。
デヴィッドの後ろに立つライアンでさえ、そんな二人の雰囲気に気づき、眉間に皺を寄せた。
扉を閉めたエイドリアンは眉を反り返し、片手を頬にあてがった。困ったなと言いたげに、苦笑いを浮かべた。
(会えばいつも通りということですか)
クリスティンは口を真横に引き結んだ。
(マージェリー様だって、殿下にあえて嬉しいはずですよね、そうですよね)
クリスティンの目の前で、二人のやり取りが始まった。
「……マージェリー」
「はい、なんでしょう」
「……、……、……」
「殿下。呼びかけておいて無言では、私はなにも答えられません」
「だっ、だから、なっ……」
「だから?」
「……」
「本日は我が家主催で茶会を開いているのはご存知でしょうか」
「……知っている」
「義姉とともに主催者として客人を招いているため、私ももてなさねばならない立場にあります。長く会場をはなれるわけにはまいりません。用件があるなら、端的にお願いします」
デヴィッドが苦虫をかみつぶしたような顔になる。急かされたのが、面白くなかったのだろう。
はらはらするクリスティンは頬を両手で包んだ。
「だからな。今日はお茶会と聞き、来たのだ」
片手に抱える花束をデヴィッドは突き出した。怒った顔のまま、視線を逸らす。怒りを露にするは怯えの裏返しだ。
デヴィッドの態度があまりに頑なで、見ているクリスティンは心臓が痛くなってきた。
「これは?」
「花束だ」
「見ればわかります」
「やる」
「……」
いつもなら、無粋な物言いを諫めるところだが、周囲にいるのが、兄とライアン、それにクリスティンと使用人だけとうこともあり、マージェリーは無言で花束を見つめる。
いつまでも受け取らないマージェリーに向け、デヴィッドはずいと花束を突き出した。
マージェリーは手を伸ばし、そっと花束に手を添える。
「これを、私に……」
「そうだ」
「……」
怒られると思っているのか、不遜な物言いな割に、デヴィッドは腰が引けていた。
かさりと花束を包む紙をマージェリーが手にすると、ぱっとデヴィッドは手を引いた。
視線はいまだそらしており、マージェリーの顔をちらりとも見ていない。
(殿下、なんで無言なんですか。
今、ここで収穫祭に誘わなくてどうするんですか!)
クリスティンの頬に添えていた手が自然と落ちる。
祈るように指を組んだ。
いつまでも始まらない二人に、苛立たし気に指を動かす。
落ち着かないクリスティンは、もどかしさに我慢できなくなり、むずむずしてきた。