132:車内にいたのは④
馬車がウルフォード公爵邸の門をくぐった。
正面の門から続く道は円環し、門へと再び戻るフラスコ型をしていた。
王都は狭いというのに、整えられた芝生が広がる。
市民が暮らす地域とは比べ物にならないほど空が広い。雲がゆったりと流れ、邸内は忙しない時の流れから切り離されているかのようであった。
馬車は速度を落とし、ウルフォード公爵邸の正面玄関前で止まった。
御者が扉を開く。扉に近いエイドリアンが先に降り、クリスティンが続く。
緩やかな階の上に、公爵邸の入り口が見えた。
これぞ貴族の邸宅と言わんばかりの三階建ての建物は、白と金が映える美しい左右対称の造りをしており、目を凝らせば、軒に窓枠、柱に至るまで、細やかな意匠がこらされている。
(まるで絵本のお城みたいだわ)
クリスティンは、階の最下層から仰け反るようにお屋敷を見上げた。
そびえるような高さを誇りながら、艶があり、色気さえ醸す。
無骨な男爵領の古城とはまったく異なる趣きを漂わせる。
広いと思ったオーランドの屋敷でさえ、比べようもない。
(これが王都の貴族のお屋敷なのね)
格の違いを見せつけられるようであった。
「さあ、クレス君、急ごう。マージェリーも待っているからね」
エイドリアンがクリスティンに微笑みかけ歩き出す。
馬車を降りたライアンとデヴィッドも階をのぼり始め、クリスティンも続いた。
のぼりきると丸い柱に支えられたエントランスが広がり、天井が落とす影のなかに、開かれた両開きの扉があった。
数人のメイドと執事の出迎えを受ける。
エイドリアンが使用人に指示を出す。心得た使用人は、主人の意向に沿い動き始める。
メイドがライアンとデヴィッドを、執事がクリスティンを案内し、それぞれ違う別室へと移動した。
エイドリアンが一人、マージェリーをむかえに会場へと向かった。
※
車内にて、ライアンとエイドリアンが、短い会話のやり取りで、ぱっぱと計画を立てていった。
話の展開が早すぎて、クリスティンが理解できたのは結論のみ。
ライアンとエイドリアンが立てた計画は、こうだ。
クレスを一室に待たせ、エイドリアンがマージェリーをむかえに行く。
会場に直接エイドリアンが連れてくると思っているマージェリーを、貴族のお茶会に参加することを平民のクレスがとても不安に感じていると伝え、クレスが待つ別室に誘い出す。
クレスが部屋でマージェリーの足止めをし、その間にデヴィッドとライアンが、クリスティンとクレスがいる部屋へやってくる。
そこでデヴィッドがマージェリーを来週の収穫祭に誘うのだ。
※
執事の案内で調度品が多数飾られている広々とした応接室に通されたクリスティンは長椅子に座るように促された。恐る恐る、腰掛ける。絵画に彫刻、花が生けられた花瓶、大きな置時計など、見たこともない品々に圧倒され、縮こまってしまう。
緊張するクリスティンに、執事が紅茶をいれてくれた。ありがたくうけとる。温かい紅茶に口をつけ、上目づかいで天井を見た。
(うまい計画よね。クレスを餌にマージェリー様を誘い出すなんて。
会場にデヴィッド殿下を連れて行っても、ちゃんと話しかけられるかわからないもの。どこでもうまく立ち回ることができる方だけど、マージェリー様だけはダメなのよね。王妃様に怒られるというなら、失敗だって許されないわけでしょ)
見知った少数の人間が見守る場なら、少々言葉を選び間違えてもなんとかなる。態度が悪くても、誰に見られているわけでもない。いざとなれば、ライアンもおり、フォローしてくれるだろう。
(周りに人がいるがために、アプローチを殿下が先送りにしていたら、ライアンもやきもきしちゃうものね)
クリスティンの口元が緩む。
なにせ、ライアンがデヴィッドの手助けをするのは収穫祭でティンと過ごすためなのだ。マージェリーを誘えなければ、当日、ライアンはデヴィッドに振り回され、とばっちりを受け兼ねない。
用事があると言えばいいのに、王様や王妃様の手前断りにくいのか、悪態をつきながらも、律儀に付き合うことだろう。
(舎弟にすると言っておきながら、面倒見がいいだけじゃない)
狭い馬車に肩をすぼめて相乗りし、エイドリアンの妙案にすぐに乗ってきたライアンが可愛く思えてきた。
しぶしぶでも、人のために骨を折っているのも、すべてはティンと一緒に収穫祭を歩きたいがため。エイドリアンの提案に食いつくのも、本懐をとげるためなのだろう。
さも、殿下のためのように見せておいて、ちゃっかり自分のために動いているのだ。
本心では一生懸命、ティンのために動いているライアン。格好つけていても、可愛らしく照れる横顔が脳裏をよぎった。
きゅっとクリスティンの胸が切なく痛む。
一生懸命な彼を嫌いかと言えば、そういうわけではない。
嫌いではなく、面倒なのだ。
どうしてか、なぜか、とても。
なにせ彼とは、この場だけの付き合いで終わらない可能性があるのだ。
近いうちに鬼哭の森へと入っていくライアンと故郷の未来を想像すると、重苦しくなる。彼を拒否し続けることは、彼への感謝を欠いている選択のように思えてくる。
将来、オーランドに代わって動くライアンの無事を祈る日も来るかもしれない。
領地から離れた地に馴染んだとしても、古城周辺はいつまでもクリスティンの生まれた故郷であることに変わりはない。
遠い空の下で、森に踏み入れるライアンに、過去となった一週間後の未来をふりかえり、悔やみながら、無事を祈る。そんな未来は苦しいだけだ。
さらに数年後には、ティンがクリスティンだったと明かしているかもしれない。同一人物だと知られた時に、断っていたら、やっぱり気まずい。
(やだな……。拒否できなくなるじゃない)
とはいえ、クリスティンにも邪な気持ちはある。
マージェリーとデヴィッドのデートが上手くいかなければ、ライアンはティンを誘いにくくなる。
デヴィッドの誘いを邪魔すれば、当日、ライアンがデヴィッドに振り回される状況が想定される。
ライアンにどうやって断ればいいかと悩む必要なく、約束は有耶無耶のうちに消えるだろう。
(そんなことできるわけないじゃない)
悪い考えを、ぱっぱと払うように、軽く左右に頭を振った。
(マージェリー様がデヴィッド殿下を好いているなら、絶対に殿下に誘ってもらえればうれしいはずよ。人の恋路を邪魔しようなんて、恰好悪いにもほどがあるわ)
大好きなマージェリーが悲しむ真似はしたくない。
うまくいくかいかないかはデヴィッドの問題だ。彼が失敗するなら仕方ないとしても、クリスティンから邪魔をするなど、無粋極まりない。騎士道精神にも反し、言語道断だ。
クリスティンは真剣な面持ちで前を向く。
(屋敷に到着してすぐにマージェリー様を呼び出し、殿下の用事を済ませるなんて、うまい計画よね。先に延ばせば伸ばすほど、こういうのって意気込みが萎れそうだもの)
となれば、大事なことは、クリスティンがどうやって、マージェリーを足止めするかである。
マージェリーに聞きたいことはそれなりにあった。
(お茶会が初めてで不安だって言おう。そして、どんな家々の方が集まっているのか会場に入る前に教えてくださいとお願いしよう)
クリスティンからしても、予備知識はあった方がありがたい。それだけ聞いている間に、殿下は必ず来るだろう。
(私ってちょっと律儀じゃない)
悪くなりきれない。
そんな自分に重いため息が漏れた。