131:車内にいたのは③
「やあ、クレス。おはよう」
ライアンの気さくな挨拶に、クリスティンは頬を引きつらせた。
(さっき別れたばかりの人と、すぐさま会うってどういうことなのよ!)
「どうした? クレス、俺たちがいて驚いたのか」
からかうようにライアンは笑んだ。
思いもよらない罠にはまった気分にかられたクリスティンは、片方の口角を震わせ、やっとの思いで「やあ、ライアン」とかすれた声で答えた。
逃れられないものかとちらりと尻目を向ける。後ろにはエイドリアンが馬車に乗ろうと段に片足を駆けており、退路は完全に絶たれていた。
(ない、ないわ~。ない、ない、ない! これじゃあ、牢屋に閉じ込められる気分よ。最悪、最悪だわ)
車内では進行方向側にライアン、その正面にデヴィッドが座っている。
「いつまでも驚いて、固まっていたら、エイドリアン殿が乗れないだろう。ほら、こっちに座れよ」
気の良い兄貴分といった雰囲気を醸し、ライアンが座面をポンポンと叩く。
しぶしぶクリスティンは馬車に乗りこむ。囚人にでもなったかのような重々しい気持ちで、ライアンの横に腰掛けた。
なるべく壁際に身体を寄せ、ライアンと拳一つ分距離を置く。
二人を直視できず、斜め下へ視線を落とした。
エイドリアンが乗り込む気配がして、俯いてもいられないと、顔をあげたところで、緊張した面持ちのデヴィッドとばっちり目が合った。
(ひえっ! そんなに見ないでください)
じっと見られていたと気づき、正体がばれるのではないかと怖くなる。デヴィッドの視線が居心地悪く、クリスティンはもじもじしつつ、視線を天井に逃した。
乗り込んだエイドリアンが、扉を閉める御者に、「すぐに出してくれ」と伝えた。
朗らかなエイドリアンの声音に惹かれ、クリスティンが前を向くと、正面にエイドリアンのほれぼれするほどの美貌があった。麗しい尊顔は、髪や瞳が同色というだけでなく、容貌そのものがマージェリーとよく似ている。
美男美女の完璧な兄妹であり、男爵家のわいわいとした土臭い兄弟姉妹とはまったく違う。
「三人とも狭くて申し訳ないね。街中を移動する馬車のサイズは小さいから仕方ないとはいえ、窮屈だろう」
「いいえ。こちらこそ、急なお願いにも快く応じていただき、ありがとうございます」
ライアンが、謙遜するエイドリアンに愛想よく答える。
硬い表情のデヴィッドも軽く目礼した。
道すがらライアンから聞いた、王妃様の意向でマージェリーをデートに誘わないデヴィッドの背景をクリスティンは思い出す。
マージェリーに苦手意識を持つデヴィッドにしてみたら、敵陣に乗り込む心境に近いのかもしれないと、デヴィッドの心情を推し量った。
馬車が走り出す。
「妹からもクレス君の迎えを頼まれていたからね。ついでと言えばついでだよ、ライアン。気にしないでおくれ」
(エイドリアン様が私の迎えをマージェリー様から頼まれていたなんて、なんて畏れ多い!!)
エイドリアンの何気ない一言に、クリスティンは仰天する。
(こんなことなら、住所を聞いて、歩いて行きますと言っておけばよかったわ。そうすれば、こんなところでライアンや殿下にも会わずに済んだのに)
悔やんでも、馬車に乗りこんだ後では手遅れだ。
「マージェリーはクレスを気に入ってますからね」
「ああ、そうだね。私に使いを頼むほどにね。私としても、可愛い妹の頼みとあらば、無下にすることも出来ないよ」
(いえいえいえ、エイドリアン様が来られるなら、私、真っ先に断ってます。エイドリアン様を煩わせるつもりはなかったんですから)
先に知っていればとこんな事態にならなかったのにと悔やみ、クリスティンは震えあがる。
「僕のためにすいません」
「妹のたのみと言っただろう、君のせいではないよ、クレス君。気にしないで」
「むしろ、俺たちの方が無理に頼んで便乗してしまって、申し訳ありません」
震撼するクリスティンの横で、ライアンが神妙に謝罪する。
「昨日は夜間警護の責任者をしていたから、タイミングがとても良かったよね」
「はい。公爵邸のお茶会へと忍んでいこうにも、歩いて行くのは不自然ですし、王家の馬車に乗るのも目立ちますから。
どうやって行こうか悩ましいところ、エイドリアン殿が城にいらっしゃって助かりました」
話が見えず、クリスティンは怪訝そうに小首をかしぐ。王都に来て間もないため、近衛騎士の仕事について、まだなにも知らなかった。
そんな僅かな表情の変化をエイドリアンが察した。
「クレス君。近衛騎士団の仕事の一つに、城の警護があるんだ。
その中にはもちろん夜間の警護も含まれる。
これから、収穫祭を経て、社交シーズンが続くだろう。その期間は人の出入りが激しくなるため、城の警護も強化されるんだ。
それでたまたま昨日は城に、私が警護の責任者として入っていたんだよ」
「そこに俺が相談に行って、今日のこの状況になったというわけさ、クレス」
「そうだね、ライアン。殿下と一緒に来たんだよね。
ああ、そうだ!
クレスはデヴィッド殿下とお会いするのは初めてだろう」
ひょえっとクリスティンは声なき悲鳴をあげる。
(ちゃんと知らないふりしないと!)
正体が気づかれないようにデヴィッドと話さなければいけない事態に、身体に緊張が走った。
(ああ、もう。これでクレスとしても殿下とお知り合いになってしまうなんて、どうしたらいいのよ。誤魔化すことが増えるばかりじゃない!)
泣くに泣けない状況だ。
困り切ったクリスティンの横顔を見たライアンが、横から肘でこんと小突く。
「緊張しなくてもいい。今日は怖い顔をしているが、平民の同席を不愉快に感じているわけではないからな」
「はっ、はい?」
考えもしていなかったことをライアンに告げられ、クリスティンは目を丸くする。
横を向けば、ライアンが返した平手を、デヴィッドに向けた。
「こちらは、デヴィッド・グランフィアン王太子殿下であらせられる」
まじめくさった仰々しい紹介は、クレスが驚くことを見越して、からかっているかのようであった。
「初めまして、クレス。叔父上の直弟子とライアンから聞いている。紹介に預かった私はデヴィッド・グランフィアン。この国の王太子である」
ばれやいないかとクリスティンの心臓が飛び出んばかりにばくばく鳴り響く。
「はっ、はじめまして……」
頬が引きつる。どもりながら、棒読みで挨拶した。
そんなクリスティンを、デヴィッドとライアンは、平民故に王太子を前にして緊張しているのだろうと単純に考えた。
(挨拶だけで済みますように~)
これ以上話したくないし、近づきたくないと願うクリスティンをよそに、エイドリアンが明るい表情で思わぬ横やりを入れてきた。
「この際だ、クレス君にも手伝ってもらおうか」
「クレスに?」
「へっ」
いきなり何を言い出すのかとクリスティンの目が点になる。
ライアンは顎を撫で、視線を斜め上に向けた。
「クレス君はマージェリーの客人だ。ここにいる誰より、マージェリーに近づきやすいポジションにいる。
そんな彼に、マージェリーを呼び出してもらえば、人目につかずに、マージェリーと殿下が話す場を設けられるとは思わないか」
エイドリアンの案に、クリスティンはみるみる青ざめていく。
視線を戻したライアンがエイドリアンを見つめた。
「それは妙案ですね。最高の提案です、エイドリアン殿」
ライアンの肯定にぞわっと背筋に悪寒が走り、クリスティンは一瞬息が止まりそうになる。
(やめてください、エイドリアン様! それは最悪の提案です!)