129:車内にいたのは①
(ライアンもおいちゃんと同じように、森に入っていくのなら、いずれは男爵領のために動いてくれることになるんだ)
断ることを前提に理由を探していたクリスティンは、無性に苦しくなる。ばれたくない、関わり合いたくないといった私情で動こうとしている自分をみみっちく感じた。
二人はメイン通りに出た。
曲がるところであったが、うれいを帯びたクリスティンの表情を見てしまったライアンは、歩調を緩め、彼女の肩を押し、道の端に寄せた。
そのまま足を止め、彼女をかばうようにメイン通りに背を向ける。
ライアンの身体で影がさす。
隠されたクリスティンは、背の高い彼を見上げた。
「驚かせるようなことを言って、ごめん。別に死ににいくわけじゃないんだ。来年や再来年では、今年みたいに気楽に誘えないって分かっているだけさ。今年しか、俺には余裕がないだけなんだ」
「今年だけ……」
「そう。十八を超えると、状況が変わってくるんだ」
聖騎士になるのはもちろん、王が妾を得て、オーランドが妻を娶る可能性が高い影響が大きいとライアンは認識していた。
王族にデヴィッド以外の子どもが生まれれば、立ち位置はがらりと変わる。
事態が刻々と悪化する中で、公爵家の三男という立場を考慮すれば、厳しい状況に置かれることは明白だった。
そこが死地になるとは思いたくないが、どうなるか予想はできなかった。
(平民のティンには細かなことは言えないな。知らなくていいことは知らない方がいいだろう。貴族界隈の話なんて、平民が聞いたっていいことないよな)
貴族という建前で黙しようと考えるライアンとは裏腹に、事情をよく知るクリスティンは眉を潜めた。
「王都には、戻ってくるの?」
「もちろん」
「……一人で行くの」
森の奥に一人で行くのかとクリスティンは聞きたかった。
ライアンは頭を左右に振る。
「いいや。最初は前任者や騎士団とともに動くはずだ。俺一人で、入っていくのは、ずっと先だよ」
「そっか……」
前任者とはオーランドである。クリスティンは安堵し、口端を緩める。オーランドが一緒なら大丈夫と、クリスティンの胸に安心感が広がった。
「俺にとって、今は今しかない。
ただただティンと一緒に、王都の収穫祭をまわりたい。本当に、ただそれだけなんだ。一緒にいたい。並んで歩いて、同じ景色を見たい。
役割とか、立場とか、身分とか、一切合切かなぐり捨てて、ただ、君と、ティンと、一緒に居たいだけなんだ」
貴族であるとか。
聖騎士であるとか。
デヴィッドのスペアとか。
色んなしがらみはあっても、そんなものをすべて脱ぎ去って、ただ一人の人間として、ライアンは彼女と向き合いたかった。
だからこそ、今まで貴族であることを隠していたのだ。
一人の人間として彼女と向き合い、そのままを好きになってもらいたかった。
ところが昨夜、貴族とばれてしまった。
さらには、偶然再会したサイモンに、悠長に構えていたら手遅れになると釘を刺された。重かった。
それにより、貴族であることが彼女の気を引くメリットになるならそれもいい。彼女の気を引ける手札があるなら、全部使おう。出来ることは全部やってみよう。
そう考えをあらため、決意し、時間を割いて、朝出てきた。
言うだけ言い切ったライアンの意志を真正面から受けとめたクリスティンは落ち着かない。
ライアンの声はいつになく、低く、落ち着いていた。
包み込むように見下ろされても、嫌な気はしなかった。そっと柔らかな布地でくるまれるような温もりさえ感じた。
クリスティンはじっとライアンを見つめた。
身体の芯が震えた。怯えるとか、怖がるとはちがう震えに、そっと腕をさすっていた。
(ライアンって、頼りになるという印象は持っていたけど、こんなに大きな人だったかしら)
かっこいいとか、素敵とか、見目がいいとか。
誉め言葉は色々あるだろうが、隣に立つと安心して、頼れる気がするという気持ちはなんなのか。
とらえどころなく迷ってしまう。
兄がいたらこんな感じかと想像するものの、違う気がした。
父代わりのオーランドとも違う。
(この人は、何なんだろう。私にとって……、この人は)
ぼんやりと見つめるクリスティンに、ライアンは重い声で囁く。
「俺をいつでも急に呼び立てることができるのは、さっき話した友人だけなんだ。彼に用事ができれば、収穫祭当日、俺は確実にフリーでいられる」
「!!」
呆けていたクリスティンの意識が覚醒する。
(ライアンを呼びつけられるなんてデヴィッド殿下しかいないじゃない!!)
デヴィッドの婚約者はマージェリーだ。
ライアンがデヴィッドを任せられる相手なんて、彼女以外考えられない。
(マージェリー様のお茶会にライアンもデヴィッド殿下も来るというの!!)
信じたくないことが確定した。クレスとしてデヴィッドと会うかもしれない、いや、確実に会うことになるだろう。
(面倒なことがまた増えちゃう!!)
今まで渦巻いていた言い知れない感覚が引っ込み、クリスティンは気ぜわしくなる。
「茶会で友人は、婚約者を来週の収穫祭に誘うことになる」
怯えるデヴィッドと、厳しい表情のマージェリーが同時に浮かんだ。
あのデヴィッドがマージェリーを誘う姿なんて想像が出来できずに、クリスティンは仰天する。
(デヴィッド殿下が、どうやってマージェリー様を誘うというの! ううん、そもそも殿下自身がマージェリー様をデートに誘おうと考えるとは思えないわ)
「なんで、そんなことに?」
経緯がさっぱり思いつかないクリスティンはティンであることも忘れて問うていた。
「実は、先日、友人が婚約者を傷つけてしまってね。それが、婚約者を気に入っている彼の母の耳にも届いたんだ」
(それって、王妃様ということよね)
一件に関わるクリスティンの口が、ぽっかりと空く。
「大目玉を食らった友人は、母の命を受けて婚約者を収穫祭のデートに誘わなくてはいけなくなったんだよ」
「罰がデートなんですか……」
(確かにマージェリー様を恐れる殿下なら罰になるかもしれないけど……。それって、マージェリー様から見たら、嬉しいことなんじゃない?)
「そう。その辺は二人の関係によるんだけどね。
息子には罰、婚約者にはご褒美になる。聞いた時、なかなかな妙案だなと俺も思ったよ」
(ですよね~)
思わず、クリスティンも生温い表情を浮かべてしまった。
「そういうわけで、その友人が上手く婚約者を誘えれば、俺も収穫祭を自由に動ける。
俺に面倒ごとを持ち込んでくるのはその友人ぐらいだからな。彼が婚約者と一緒に動くことになれば、俺の出る幕はない。
面倒なことを頼まれたなと最初は思ったけど、ティンのために時間を確実に確保できると考えを改め、俺は協力することにしたんだ」
(それもこれも、ティンのためですか……。収穫祭をたった一日、ティンと過ごすために、なんでこの人はこんなに頑張るんですか!)
クリスティンは引きつった笑顔を浮かべる。
(断るのも気が引けるけど、受けるのも怖いわ)
鬼哭の森に行くライアンを無下に断れば、後々、もっと大きな後悔となって返ってきそうだ。
未来にしっぺ返しを食らうのも避けたい。会うたびに、一人胸の内で後悔にずきずきと苛まれるのは、想像するだけで痛い。
(これじゃあ前にも後ろにも進めないわ)
クリスティンが上目遣いで恨みがましい目を向けると、瞬きしたライアンが、照れくさそうに目を細めた。