126:思いもよらない忠告②
目の前に並んだ料理から各々好きな品に手を伸ばす。ドナルドは串を、サイモンは魚介を小皿によそう。
「好きなの食べろよ」とドナルドにすすめられ、場慣れしていないライアンは、見よう見まねでサイモンと同じ料理を小皿に取った。
ジョッキを持ちあげ、軽く乾杯すると、サイモンがライアンが知りたかった内容の一つを前置きなしに呟いた。
「カスティル男爵領の魔道具設置は終了したんですよ」
「あれ、終わったんですか」
「要所の設置は終わったな。流れてくる瘴気の量が目に見えて減った」
「それは良かったです」
連れて行ってもらった手前、ずっと気になっていた。
男爵領の魔道具設置については新聞の扱いも小さく、あまり公にはしたくない様子が伺えた。そうなれば、ネイサンに聞くのが一番早い。ライアンは、時期を見て、聞いてみようと考えていたのだった。
「これで俺たちの負担も今年は軽減される。ただ効果が期待できるのも長くて数年だから、休めるのも今だけだよ」
「それでも魔道具で負担が減るのは良いことですね」
「相当、魔石を消費するんだぜ、あれ」
「対症療法になりますからね。根本はなにも変わりません」
地方をめぐる衛撃騎士団は、ここ数年悪化していく様に直に晒されている。特にドナルドやサイモンが入団してからは、坂を転げるように悪化していた。
(現場を回っている騎士の見解は厳しいな)
それだけ、ここ数年厳しい状況が続いているということだろう。
人々を無駄に怖がらせないため、瘴気の増幅傾向は大々的に報じてはいない。
故に瘴気について人々は誤解している点も多い。
シルビアがああいった行動に出たのも、一部分だけ周知し、全体像を伏せているがために生じる誤解による影響があっただろう。
国はオーランドの功績を目立たせることで、悪化している現状を人々から見えないようにしているのだ。高揚感をもって不都合な現実を覆い隠しているとも言え、傾斜傾向の現実を隠すことで人々が自暴自棄になることを防いでいるとも言えた。
この世の終わりなどと騒がれ、暴動などが起きた場合、そこに割く人員だって、今は惜しいのだ。
ただ一部。
守秘義務を負う衛撃騎士団は現状を正しく認識している。
オーランドがどれほど森の奥に進んでも、空の孔の拡張を止める術はまだ見つかっていない。
ミレニアムの厄災は近づいてくる。
男爵領に設置した魔道具も、所詮焼け石に水。
ドナルドとサイモンもそれは重々に承知している。
そして、ライアンは、そんな最悪の中で、現場に飛び込むことになる。
互いの状況を理解する三人は、第三者に聞かれてはいけない話をしている自覚があった。自然と声は低く、囁くように小さくなる。
「これから冬になるので、森の奥に分け入るのも難しくなります」
「探査はまた来年以降ということだ」
「ライアン様は、黄貂がどうなるか聞いていますか」
「いいえ、まだなにも。王都に運んだまでしか」
「あれはすべて森に返すことになったんだ」
「戻すんですか、あれらを」
「探知用の魔道具をつけてな」
「男爵領から王都までの距離なら確認できると実証されてます」
「冬の間、森に入れないから、その間、森の奥で何があるか知るためだそうだ」
「へえ……。あの個体数を飼うのは費用もかかるし、場所の確保も大変だろうと思っていたんですよ。そういう目論見で、王都まで運ばせたんですね」
「魔道具管理官も同行していたから、妙案を出してくれたらしい。耳につけた探知用の魔道具によって、人が入れない奥まで進んでくれる個体があれば、森の内側で何が起こっているのか、黄貂の五感を通して、知ることができる」
「なにか分かると良いですね」
「期待はしないさ。きっと、がっかりするだけだ」
「……」
それきり黙って、三人はしばし料理をつついた。現状の厳しさがライアンにもひしひしと伝わってくる。
黄貂退治を目撃したドナルドとサイモンは、ライアンの力はすでに一般の騎士を凌駕していると理解していている。とはいえ、騎士になりたての訓練時期に子どもだったライアンが、より厳しい最前線に立つことに、二人は心苦しさを感じていた。
黙する二人の雰囲気が重苦しくなれば、ライアンもやるせなくなってくる。
(せっかくの休暇、本来は現場を忘れて楽しみたかっただろうに……。俺がついてきて、二人の楽しい時間を奪ってしまったようで申し訳ないな)
そんなライアンの微細な気持ちを察してか、重い空気を断ち切るようにドナルドが麦酒を一気に飲み干し、ジョッキの底でどんと机を叩いた。
「嘆いても、憂いても、現実は変わらん。ところで、ライ坊」
いきなり子どもの頃の呼び名でドナルドに呼ばれ、ライアンは目を丸くする。
「なんで、こんな時間に、夜道をほっつき歩いているんだ。お家に帰りたくなーいなんてお年頃はとっくに過ぎているだろう」
「えっ?」
「優秀な学院生が夜遊びする時間じゃないよな、ライ坊」
片眉を弓なりに押し上げ、ドナルドは空のジョッキをずいっとライアンの方に近づけた。
「何してたんだ」
「いえ、ただ……、知り合いを家まで送っていっただけですけど」
「女の子か」
「なんで、わかるんですか」
「普通、送っていくなら、女だろう」
びっくりして素直に答えてしまったライアンは、墓穴を掘ったとうろたえる。
面白いネタを見つけたと、ドナルドとサイモンがにやりと笑った。
「下から歩いてきたということは、平民ですか」
サイモンにも痛いところを突かれて、喉がしぼまる。
「いいのかあ、ライ坊。お前、浮気になるだろ、それ」
「浮気ってなんですか」
「婚約者ぐらいいるんだろ。仮にも、三男とはいえ、三大公爵家のご子息なんだから」
「いませんよ。俺には」
「いないんですか」
「いません」
「なんでだ。その顔で、その立場で。あぶれるような男じゃないだろ」
「事情が事情なんで、定められないんです」
「「ああ……」」
ドナルドとサイモンも複雑な顔になる。
「ドナルドさんとサイモンさんだって、どうなんです。いい年でしょう、奥さんはいないんですか」
「俺たちはなあ」
二人は顔を見合わせる。
「結婚するにしても、家に帰れませんからね」
「そうそう。見合いは来ても、全部、仕事でぱあだ」
平手を上に向けて、ドナルドは指をすぼめて開く。手をあげたついでに、店員を呼び、今度はワインのデキャンタとグラス三つを注文した。
店員が去り、話は続く。
「今のところ、犠牲者はいないが、けが人は多いしな」
「死人だっていつ出たっておかしくない」
「黄貂を退治した時だって、ライアン様たちがいなければ、どうなっていたことやら」
「最初の犠牲者が出てもおかしくなかったよな」
「特に、あの鶏をなだめられなかったですよね」
「ああ、あれと戦うのはごめんだな」
「殿下が、あれは家畜だと保証してくれて本当に良かった」
話が見えなくなり、ライアンは小首を傾げた。
「あの場に鶏なんていましたっけ?」
「いたんだよ。でっかい鶏が。黄貂を押しつぶして鎮座した姿は圧巻だったぞ」
「牛みたいに大きい鶏を保護したんですよ」
「牛みたいに大きい鶏って……」
それ魔物でしょうと言いそうになるものの、先の会話に気になる一言があり、声がしぼんだ。
「しかも、賢いときた」
「餌代がかかるとカスティル男爵の長男がぼやいたら、次の日から、朝一声鳴くと、森に出かけて帰ってくるようになったんですよ。どうやら、森で食事をして帰ってくるとか」
「しばらくしたら、隣の馬も一緒に行くようになったんだぜ。驚くだろ」
馬まで話に出てきては、ライアンもちんぷんかんぷんだ。
「一月もたたないうちに、馬も精悍な顔になって、見違えるようでびっくりしましたよ」
「さらに顔にまで、こう、斜めの傷をつけてさ。元々軍馬だろうけど、あんなたくましくなるとはな。けっこう奇麗な顔立ちだったのに、もったいない」
ドナルドは頬に指で線を引く仕草をする。
「鶏に弟子入りしたみたいに、よくついていくよね。馬の弟子を取った鶏なんて、後のも先にも二度と見ることはなさそうだ」
「あの鶏はなあ、ライ坊。
馬房に鎮座しているだけで、いっつも雌鶏が寄り添っているんだ。しかも、通路には、可愛いひよこをぴょこぴょこ歩かせているの。
俺たちでさえ持っていないものを、ぜーんぶもっているんだぜ。
可愛い嫁さんがな、黙っているだけで寄り添ってくれるってわけ。
可愛い子どもは目の前を、父ちゃん見て見てって歩いててさ。
なに、あの、幸せ一家は! ってかんじなんだよ」
「あれは目に毒だね」
ドナルドの熱弁に、サイモンは苦笑して同意する。
「隣にあんなの見せつけられてたら、馬だって憧れるよな。だってあいつぼっちだったんだから」
(馬がぼっちで、幸せ一家の鶏? 鶏ってそもそも数羽の群れでいるものでは……)
不思議に思うものの、笑顔を張り付け、ライアンは黙って耳を傾ける。
「なにあの妻子持ちの貫禄。そもそも、独り身の俺たちだって、負けてるだろ」
「鶏と比べても仕方ないよ」
「考えても見ろ、サイモン。あれを人間に例えて見れば、数人の嫁さんに慕われて、可愛い子どもたちに囲まれて暮らしているようなものだぞ」
「まあ、俺たちからして見ても、ちょっと遠い生活だよな」
「そうだよ、鶏にも負けることになるなら、騎士団入団直後に結婚していれば良かったよ。あったんだよ見合い話! でもさあ、もう少し仕事に慣れてからと思うだろ、普通~」
「騎士団はいったら、時間の余裕もないよね。女性騎士もいるけど、わりと結婚しているしね。あれは親の方が見越してすすめているよね。産休に入って、城の侍女に転向する子も多いし」
ライアンはやっと少しだけ理解できた。
(なるほど。鶏の方が、人間より幸せそうって話なのか)
嘆くドナルドに、諦めているサイモン。
ライアンには二人が、そう見えた。
「ライ坊」
ドナルドが急にライアンの肩を叩く。
目を丸くしたライアンがドナルドを見たところで、店員が「おまたせしました」とワインが入ったデキャンタとグラスを持ってきた。「どうも」とサイモンが受け取る。店員が去ったところで、固まっていたドナルドが再び動き出す。
「いいか、ライ坊。
彼女作るなら、いまのうちだ。
結婚するなら、学院卒業直後だ。
お前も、俺らのところに来るんなら……」
真剣なドナルドの眼差しに、ライアンは生唾を飲み込んだ。
「チャンスはもうこないと思え」
「さあさあ、ワインもきたことですし、飲みなおしましょう」
大らかなサイモンが、三つのグラスにワインを注ぎ入れる。グラスの一つを、ライアンの前に置いた。
赤い液体が入ったグラスから辿り、ライアンはサイモンに目を向け、大人しく「どうも」と頭をさげた。
「平民の子に片思いなんて、大変だね」
「なんで片思いって分かるんですか、サイモンさん!」
見抜かれてライアンはぎょっとした。
「そりゃあ、この時間ですからね。相手が彼女なら、彼女って言うでしょ」
「そんな……」
「半分はひっかけです」
「サイモンさん!」
「真面目な話です。
今頑張っておかないと、戻ってきてからなんて考えていたら、戻ってきた時には、その子は結婚してますよ」
ダメ押しの一言に、ライアンは言葉を失った。
「後悔したって、時間は巻き戻らないぜ、ライ坊」
追い打ちをかけるように、ドナルドにまで刺されたライアンはなにも言い返せなかった。
(悠長にしていたらダメなのか)
脳裏にレオと楽し気に話すティンの姿がよぎる。
ライアンはうつむき、テーブルに置いた拳を握りしめた。