121:噛み合わない二人①
(案内してやるなんて、偉そうになにを言っているんだよ)
口から滑り落ちた不遜な発言にライアンは、はっとする。
頭をかきむしりたい衝動にかられ、命令口調に彼女が不快にならないかと気を揉み、背中からどっと嫌な汗が噴き出してきた。
横道から歩いてきた彼女の姿を見つけた瞬間に跳ね上がった心臓は、嬉しいや照れくさいなどの多様な感情を巻き込み、彼女の耳に届きそうなほど、いまだ激しい鼓動を打ち続けている。
高ぶった感情を表に出さないように気をつけた反動が、横柄な発言につながってしまったようだった。
一方、来週の収穫祭を案内するというライアンの申し出に、クリスティンは内心真っ青になっていた。
こちらはこちらでライアンの言い回しなど気にしている余裕はない。
(ライアンと一緒になんて行動していたら、絶対に誰かに見られそうじゃない! 断る。断るしかないわよ)
予想外に学院で悪目立ちしてしまったクリスティンは、平民の娘姿でライアンと一緒にいるような場面を他の学院生に目撃されることが恐ろしかった。
ライアンと一緒にいるあの子は誰? と、見知らぬ学院生に詮索され、芋ずる式に、ティンがクリスティンで、クリスティンがクレスで、クレスがティンだとばれるかもしれないという嫌な想像が膨らんでいく。
クリスティンはぶるっと震えた。
「ごっ、ごめんなさい、ライアン。収穫祭は……」
クリスティンの震える声が、申し訳なさげ断ろうとしているように聞こえたライアンは、絶望の雷が身体に落ちる錯覚を覚えた。
(断られるのか)
口を真横にぴきっと引き結ぶと、悲哀が全身を駆け巡る。痛いのは心であるはずなのに、身体が軋み、ずきずきと痛んだ。両の拳をぎゅっと握れば、眉間に縦皺が刻まれた。
苦し気とも悲し気ともとれるライアンの表情を見たクリスティンは面食らう。
(まるで、私の一言で傷ついたみたいじゃない!)
断る一択という決心が揺らぎかける。
(でも。だめ、だめ。断らないと!)
可愛そうと甘い感情に流されては、身を亡ぼすかもしれない。
(この人とは、いつでもどこでも会うんだから! 約束なんてしたくないわ!!)
ライアンはクレスをクリスティンと同郷だと気づき、さらには、姉弟ではないかと疑った。短い関係のなかで、それだけのことを推測する彼なら、パン屋の売り子のティンの正体だって、小さなヒントで勘付いてもおかしくない。
(どうしよう、どうしよう。話をそらさないと。誤魔化せることはなにかない)
慌てながらもクリスティンは閃いた。
大きく息を吸いこみ、呼びかける。
「あのね、ライアン」
「……なんだ」
断られると覚悟したライアンは薄く笑む。
クリスティンは、嘘と本当を混ぜながら、慎重に言葉を選ぼうと試みていた。
「あのね。あの……」
「なに……」
言いにくそうなクリスティンを見て、ライアンは一層苦しくなる。切られるならさっさと切られてしまいたいと、尻尾を巻いて逃げたくてたまらない。
辛うじて、夜道に彼女を一人置いていくことはできないと踏ん張っていた。
「ライアンは……、貴族でしょう」
クリスティンは言葉の一音一音を噛みしめるように告げた。
瞠目したライアンは、頭が真っ白になる。
「なんで、そう、思った」
カウンターパンチを食らったかのような表情で、ライアンは抑揚なく答える。
ライアンなりに、貴族であることはかくしているつもりだった。
彼女に気づかれないよう振舞いも気をつけていたのだ。
最初に銀貨を出してしまった落ち度はあっても、それ以降は特に不審な点はないと思っていたし、服装だって少し裕福な平民と言える質素で動きやすいものを選んでいる。ちゃんと平民に擬態できている自信があっただけに、ばれたことがショックであり、意外であった。
「ライアンの服って、いつもきれいだし。繕い一つないもの。平民はね、そんなにきれいな服ばかり着ないから……」
「服か……」
呟いたライアンは袖を掴んだ。そんな細かいところを見られていたとは思わなかったものの、彼女が細部まで気にかけてくれていたと知り、嬉しかった。小躍りしそうになる気持ちを気づかれまいと必死で抑える。
「それに、最初に銀貨を出したでしょう。その後は銅貨を用意してくれていても、ね。きっと、貴族の方なんだろうなって思っていたのよ」
「そっか……」
「せっかく、パンを買いに来てくれているのに、怖がるのもおかしいでしょう」
「そうだな」
「いつも買いに来てくれる方だし……」
(いつも買いに来てくれるって……)
クリスティンのたどたどしい言葉が矢となって、ライアンの心臓を刺した。血濡れの心臓がずきずきと痛みだし、ライアンは目じりを歪める。
(ティンは俺をパンを買いに来てる客としか見ていなかったのか。そりゃあ、そうだよな。まだ会って日も浅いし……)
始まってさえいなかった。
当たり前のことを気づかされ、冷や水をかけられたかのようにさっと臓腑が冷めた。
ティンへの気持ちではなく、収穫祭を二人で歩きたいという期待が砕け散ったのだ。
予想以上に能天気だった己を自覚し、自嘲のあまり口端があがる。
ライアンがあまりに悲しそうな顔をみせたものだから、傷つけたと悟ったクリスティンもまた心がちくりと痛んだ。
沈黙のとばりがおりる。
(ティンは俺のことを客としてしか見ていなかったか……)
彼女と接し、心躍らせていたのは自分だけだったのだと突き付けられたライアンは、いたたまれなくなる。
なにも始まっていないというのに、想いだけが先行し、彼女を誘えた場合しか頭に浮かんでいなかったお気楽さを思い知る。愚かしさを突き抜け、無様な道化になった気分だった。
レオの涼しい横顔がよぎり、(笑うなら笑えよ)と脳内で毒づいた。
マージェリーを誘えないと泣き言を言っているデヴィッドの方が、ずっと現状を理解しているのかもしれない。
(俺はまだ、なんの資格も得ていなかったんだ。だが、まだだ。まだ。嫌われているわけじゃないんだ。ただ、俺はまだティンの眼中にさえ入れてもらえていなかっただけで……)
認めると、心がずーんと重くなった。それはあからさまにライアンの態度にも表れる。
見るからに気落ちしてしまったライアンに対し、クリスティンは泡食った。
(道の真ん中で、こんなに大きくてかっこいい人が暗い顔していたら否応なく目立って、一目を引くじゃない)
思わず周囲をキョロキョロすると、数人の通行人と目があった気がした。
どんなふうに見られているのか。
想像したくもないクリスティンは慌てて、ライアンの袖を引いた。
「あの……、まずは、帰りません?」
おずおずと申し出ると、すがるような瞳を向けられクリスティンは困った。まるで彼が、土砂降りの雨の中、寂しく打ち捨てられた憐れな大型犬のようにしか見えない。
「夜も、遅いですし……」
そう告げると、ライアンは悲し気な顔のまま、こくんと従順に頷いたのだった。
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遅々として進まないけど、毎日書いてます。
短い小説だったら一日5000字ぐらい書けるんだけど、長い小説だと一日1000文字ぐらいになるみたいです。