120:気づかれた、誘われた④
屋敷の食堂で夕食を終えると、ロジャーが食器類を片づけ、食後のデザートを用意してくれた。
プリンを頬張り、ラッセルと「おいしいね」と笑い会う。
半分ほど食べすすんだところで、二人を見つめるベリンダが真剣な顔で「クリスティン様、あの後少し考えたのですけど」と話しかけてきた。
クリスティンはプリンを食べる手を止めて、ベリンダに顔を向ける。
「マージェリー様にクレス様とクリスティン様が同一人物だと気づかれ、ライアン様にも姉弟と疑われたことを考えますと、クリスティン様やクレス様の姿でパン屋の出入りを続けるのは危険かと考えます」
ベリンダと同じことをクリスティンも考えており、表情を曇らせる。
「……私も、そう思うわ」
ライアンは頻繁にパン屋を訪ねててきている。今のところ、気づかれていないが、これからもそうだとは言えない。むしろ、これまでが運が良かっただけと言える。
ウィーラーもオーランドも、まさかライアンがパン屋に来るようになるとは想像していなかっただろう。
三役をこなすにも意味があると言うのなら、もう少しこの状況を誰にもばれずに続けた方がいいはずだ。
「今後、パン屋の出入りは売り子姿のみにされてはいかがでしょうか」
「ティンだけ?」
「はい。学院に行く時、騎士団の稽古場に行く時、面倒に感じられるかもしれませんが、一度こちらの屋敷に立ち寄って着替えられてから出かけた方が良いと思うのです」
「おいちゃんの屋敷を経由して誤魔化そうというのね」
「はい」
細道を出入りする時に、ばったりレオと会ってしまったことを考えると、いつライアンと遭遇するか分からない。
それが、ティンの姿ならいいが、クリスティンやクレスの姿となれば厄介だ。今まで以上に出入りに気を付けるとしても、限界はある。
(疑われたら、ライアンなら探索できるはずだもの。慎重を期すなら……)
早いうちに対応しておいた方がいいだろう。
「……そうね。確かに、そう」
「その上で、表の門からはクリスティン様だけが出入りするのです」
「私だけ?」
「はい。クレスやティンの時は裏から出入りします。この二役は平民なのですから、裏から出入りしている方が自然に見えるはずです。
もしティンの姿でばったり誰かと出くわしても、私たちはパン屋の息子夫婦です。パンを届けに来た、昼間はこの屋敷で働いているなどと言い訳もしやすいはずです」
「おいちゃんは私の保護者として知れ渡っているものね。なら、この屋敷に住んでいるふりをする方が自然かもしれないわね」
「私もそう思います」
ベリンダの妙案にクリスティンは嬉しくなる。
「手間をかけてしまいますが、毎朝、こちらに立ち寄ってから出かけることにします」
「クリスティン様が安心して暮らせるようにお助けするのが、私たちの仕事ですから、気にしないでください」
「私、王都のことも貴族のことも、なにも知らないから、ベリンダさんがいてくれて、本当に助かります。色々、ありがとうございます」
クリスティンがぺこりと頭を下げると、ベリンダは「とんでもございません」と恐縮した。
顔をあげたクリスティンと恐縮するベリンダ。目が合うと、二人は姉妹のように微笑みを交わしあった。
夕食を終えて、外に出ると日はとっぷりと暮れていた。
ラッセルとベリンダに見送られ、裏口を出たクリスティンは、街灯に照らされオレンジに染まる道に出た。
人通りはそれなりにあり、主に大人ばかり。時々馬車が通りすぎていく。ひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込み、気分よくクリスティンは歩く。
(夏より、日が落ちる時間は早くなったわ。もう秋なのね)
王都に出て学院に通っているうちに晩夏はすぎさっていた。
(明日も朝は早いもの。帰ってすぐに休まなくちゃ)
早足で横道を出て、メイン通りを下ろうとした時。
「ティン、ティンじゃないか」
聞きなれた声に呼び止められて体が強張った。
(なんで、この人。ここに現れるのぉ)
歪な笑みを顔に貼り付け、硬くなった体をぎこちなく動かす。
振り向けば、会いたくなかった人がそこにいた。
「ライアン……」
名を呟けば、彼は嬉しそうに寄ってきた。
「どうしたんだ。こんなに暗い時間に歩いているなんて」
ライアンがちらりとクリスティンがでてきた横道に視線を流した。その道は、貴族の屋敷が多い区域に通じている。
怪訝な顔をするライアンに、ベリンダとのやり取りを思い出したクリスティンが咄嗟の言い訳を早口で告げる。
「こちらにパン屋のおかみさんの親戚が働いているお屋敷があって、それで、ちょっと、届け物にきたのよ。それで、これから、帰るところなの」
心のうちで、ベリンダに(ありがとう。さっそく、提案が役に立ちました)と感謝するクリスティンは、信じてくれるかとドキドキしながら、ライアンを見上げた。
軽く目を見開いたライアンは、反射的に視線をさっと横に流し、戻す。暗がりにいるため、クリスティンには見えなかったが、彼の耳と首元はうっすらと赤く染まっていた。
「……、それで、今から帰るのか」
「うん、そう。そうなの」
信じてほしくて、クリスティンは必死に肯定する。
「こんな夜道を……」
「夜道って、まだ六時すぎよ」
「いや、暗いだろ」
「そんなことを言ったら、冬になったら出歩けないじゃない」
「……、送っていく」
「えっ、なに」
「家まで、送っていく」
「ふえっ」
あまりのことに、変な声を出してしまったクリスティンはぱっと口を押える。
ライアンは眉間に皺を寄せて、どこか苦しそうに見えた。口に添えた手をクリスティンはゆっくりと降ろす。
「本当に、いいのよ。この時間なら一人で帰れるわ」
(むしろ、一人で帰りたいです。引き下がってほしいです)
祈るような気持ちでライアンを見つめるクリスティン。
彼女に見つめられ、照れるライアンは視線を再び逸らした。逸らした視界の端に、ロバを引く配達人が映りこむ。ロバを引く年配男性にレオの幻像が重なると、背にぞわりと言い知れない鳥肌が立った。
「……、違うんだ」
「違う? なにが」
「俺は……、ティンに……」
「私に?」
たどたどしく言葉を紡ぐライアンに、何を言い出すのかとクリスティンはハラハラする。心臓がばくばくと鳴り始めた。このいたたまれない状況から、逃げ出したくてどうしようもなくなる。なのに、逃げ出すきっかけが見いだせない!
「どうしても、ティンに……、言いたいことがあって」
ライアンは大きく息を吸いこんだ。
「来週、収穫祭があるのは知っているだろうか」
「収穫祭?」
聞いたことはあっても、見たことがないクリスティンは聞き返してしまう。
その反応から、(ティンは収穫祭は初めてなのか)とライアンは勘づく。
「来週の収穫祭、一緒にまわらないか。王都には出てきたばかりなんだろう。俺が。俺が、ティンを案内をしてやる」
ライアンの発言内容を把握しきれず、クリスティンは「えっ?」と、聞き返した。
彼女のきょとんとする顔を見て、ライアンもぐっとなにかを堪えるような表情になる。必死に、「だから」と続ける。
「来週の収穫祭、俺が案内してやるよ」
内容を把握したクリスティンは、ひえっっと口を丸くして、声なき悲鳴をあげる。
(来週! 収穫祭! 案内! とんでもないわ!! 一日ライアンといるなんて断固拒否よ!)
いつも読んでいただきありがとうございます。
更新ごと追いかけてくれて、とてもありがたく感じております。
ただ予告した通り、一旦120話で一休みさせてもらいます。
さすがに、150万字予想の小説を毎日2000から3000文字投稿し続けるのは無理でした。
短い話より色々考えることが多かったです。
来年は、60話先行して執筆し20話投稿するペースを保てるようにしていきたいです。
では、140話までは書き上がっているので、12月中に投稿します。
12月1日に次話投稿済ませてますので、ぽつぽつ年内に20話投稿していきます。
しばらくお待たせしますが、引き続きよろしくお願いします。