117:気づかれた、誘われた①
オーランドの屋敷が見えてきた。
駆けていたクリスティンの歩みが遅くなる。
(このまま、クレスとしておいちゃんのお屋敷に入っても大丈夫かしら)
マージェリーに正体がばれて警戒心が強くなっていたクリスティンは、貴族の邸宅が並ぶ区域は人通りが少ないというのに、誰かに見られていないかときょろきょろしてしまう。
(ティンとしても表から出入りしてしまっているうえに、クリスティンとしても頻繁に出入りしているんだもの。これでクレスまで出入りしていたら、おかしいわよ)
知らないうちに見られて、気づかれる恐れを感じ身震いする。近くに住んでいる学院生に、勘付かれることだってありうるだろう。なにせ、マージェリーは後姿だけで看破している。勘の良い人がどこに潜んでいるか、わかったものではない。
もう気づかぬうちに流される噂にはこりごりだった。
クリスティンは、ぐるっと回りこみ屋敷の裏口から敷地に入った。
屋敷の裏手に出るとロジャー一家が暮らす平屋がある。
(ベリンダさん、いるかな)
クリスティンは髪を結わえていた紐を解いた。絡まる髪を手櫛で整える。手に土がついた。ライアンと戦った名残だろう。
(公爵家のお屋敷を訪ねるなら、髪も綺麗にしておかないと失礼よね)
手に着いた土を払う。
平屋の向こうに芝生が見えた。今日もラッセルとロロが遊んでいる。
一緒に遊びたい衝動を抑えて、平屋の扉を叩いた。
「ベリンダさん、ベリンダさん。クリスティンです。ご在宅ですか」
もう一度叩こうとして、拳を下げた。今は昼間であり、もしかしたら屋敷内の掃除をしているのかもしれない。むしろその可能性が高いだろう。
クリスティンは庭に向かう。
庭で遊んでいたラッセルとロロが気づき、駆け寄ってきた。
「こんにちは、お姉ちゃん」
「こんにちは。ねえ、ラッセル、ベリンダさんはどこかしら。平屋をノックしてもいらっしゃらなかったの」
「お母さんはお屋敷の掃除をしているよ」
「そっかあ。なら、お忙しいかしら。ちょっと相談したいことがあったんだけど」
「お姉ちゃんが来たなら別だよ。一緒に探そうよ」
「いいの」
「うん。お姉ちゃんが困っているって知って、案内しない方が怒られそうだもん」
にっこり笑うラッセルにクリスティンは、きゅんとなる。
(やっぱり、ラッセルの笑顔は癒しだわ~)
くうぅと堪能している間も、ラッセルは食い入るようにクリスティンを見ていた。
「どうしたの、ラッセル」
「今日の恰好、すごくかっこいいね。まるで、騎士様みたい。近衛騎士団長様みたいでかっこいい」
「そっ、そうかな」
まっすぐに褒められ、クリスティンも照れてしまう。
「うん」
「ラッセルは近衛騎士団長様をご存知なの」
「うん、たまにいらっしゃるんだ。ご主人様のお友達だって、握手してもらったこともあるんだよ」
誇らしげにラッセルが胸を張る。
クリスティンの頬も緩む。
二人は手を繋ぐと、屋敷に入っていった。
廊下を歩き、いくつかの部屋を覗いた。
ベリンダは丁度、応接室の掃除をしていたところだった。
突然二人が現れ驚くベリンダにクリスティンが相談があると伝える。
さっと表情を整えたベリンダが「では、掃除道具を片づけ、お茶を用意してきますね」と、仕事も途中であったろうに片づけを始めた。
仕事中の邪魔をしたと感じたクリスティンが謝罪すると、気にしないでとベリンダは笑んだ。
ラッセルはクリスティンにばいばいと手を振り、いくつかの掃除道具を抱えて、母と共に退室していった。
一人になったクリスティンは長いソファの端に座った。抱き込むようにして、肘掛けにもたれかかる。
程なく、戻ってきたベリンダが暖かい紅茶を淹れてくれた。
一口飲むと、色々あったクリスティンも、やっと人心地がつくことができた。
「ありがとう、ベリンダさん」
「私に相談したいことがあるなんて、なにか特別な事でもありましたか?」
カップを置きながら、ベリンダが心配そうに問うた。
「実は……」と、クリスティンは、ライアンの一件からマージェリーにばれたことまで詳細に語る。
一呼吸おき、暴露しないという約束の代わりに、マージェリーが開く明日のお茶会に誘われたことを正直に明かし、話を締めくくった。
「だいたい話が見えました」
「ベリンダさん、それじゃあ、これから私はどうしたらいい?」
縋るクリスティンに、ベリンダは真顔で答える。
「その前に、王都の慣例として、王家や一部の有力な貴族の方々は頻繁に近しい方々とお茶会を開くということはご存知ですか」
「いいえ」
「お茶会は貴族の嗜みであり、日常のひとこまとお考え下さい。特に、これから社交シーズンに入りますので、この時期に開かれるお茶会は、その前の根回しも兼ねていると思われます。
有力な貴族が開くお茶会のなかでも、ウルフォード家のお茶会は参加できるだけでステータスとなるお茶会です」
「やっぱりねえ……」
「気に病まないでください、クリスティン様。むしろ、今回、クレス様として招待を受けたのは、運が良かったと言えます」
「運がいい?」
気落ちしかけていたクリスティンをすくいあげるようなベリンダの一言に、クリスティンは不思議そうに瞬いた。
「私の立場でこのようなことを告げるのは失礼なことですが、男爵家のクリスティン様では参加することが難しいお茶会です。なにせ、ウルフォード家のお茶会に参加できるのは、ほとんど伯爵家以上の家格の方々なのですから」
ぴきっとクリスティンは凍り付いた。
「古くから農業を主体とする広大な土地を有する侯爵家や伯爵家、例外的に古く公爵家から独立した子爵家の方しか参加を許されない会なのです。分家で成り立ち、騎士職の多い子爵家や男爵家は滅多に呼ばれることはありません。貴族間にも階層というものがあります」
真っ白になったクリスティンは、泣きそうな顔で、ベリンダの袖を引いた。
「ベリンダさん。どうしよう、私、私、そんなところに怖くていけないわ」
「大丈夫です、クリスティン様」
袖を掴む手の甲を、ベリンダが優しく撫でる。
「だからこそ、クレス様としてマージョリー様はお呼びになったのでしょう。クレス様であれば、殿下の直弟子であり、マージョリー様を助けた方になります。この二点があれば、男の子として笑顔で立ってさえいれば、それなりに恰好がつくでしょう。
クリスティン様として参加する場合は、社交のマナーも問われますし、周囲から棘のある好奇の視線も受ける可能性がありましょうが、クレス様なら、ラッセルのように元気に笑ってさえいれば少々のことは許してもらえると思われます。
マージェリー様を助けたという実績をもって招待されたオーランド殿下の直弟子という少年を無下に扱うご婦人はいないでしょう」
「そっ、そうかな」
「ええ。だからこそ、マージェリー様は、クリスティン様ではなく、クレス様を招待したのではないでしょうか」