115:ばれて、退路を塞がれる③
クリスティンがマージェリーに問い詰められている、同時刻。
デヴィッドもまた母である王妃オリヴィアに、問い詰められようとしていた。
※
いつもの昼食時間より早く女官が、自室に迎えに来た。「王妃様がお呼びでございます」というものだから、訝しがりながらも、デヴィッドは食堂へ向かう。案内した女官の手により食堂の扉が開かれる。先んじて王と王妃が待っていた。
(なぜ、二人が揃いも揃って?)
昼食にはまだ早い。
一歩食堂に足を踏み入れると、ひゅっと下から冷え冷えした重苦しい空気が巻き上がった。
ぞくりと背に悪寒が走る。
新入生歓迎会でライアンに諫められた感覚が蘇り、ぶるりと震えた。
(もしや、母上が怒っている!)
ぴきっと体が凍り付いた。
入室したデヴィッドを母である王妃が一睨みする。
鋭い眼光に射貫かれ、一気に鳥肌が体中に広がった。
(たっ、大変だ。母上が、母上が! 怒ってる!!)
唇が震えた。
ただならない室内の空気に足が竦む。
「デヴィッド、座りなさい」
抵抗を許さない声音。
ぴきっと固まった身体を歪に動かし、デヴィッドは進む。
(大変だ、大変だ、大変だ。どうする、どうする、どうする! いや、どうしようもない!!)
母ににらまれれば足掻いても無駄である。
デヴィッドは、小ぶりな食堂中央にある六人がけの円卓にそろそろと座った。目の前には母がおり、母の横には一席開けて父である王が座る。
口を横に結んだ王は、視線を斜めに落としていた。その表情から、王妃の怒りは止めようが無かったのだとデヴィッドも悟る。
紅茶入りのティーカップをそれぞれの前に置くと、案内した女官や侍っていた侍従が去った。
しんと静まり返る食堂。
心音が耳に張り付いたかのように鳴り響く。
(もう、ダメだ。私は終わった)
始まる前から、デヴィッドは白い灰と化した。
厳かに王妃が問う。
「学院の新入生歓迎会で、いったい何をしでかしたのか。わかっているのですか、デヴィッド」
「はっ、母上。あの……、なぜ、それをご存知で……?」
引きつりながら、デヴィッドはたどたどしく訊ねる。
よもや母の耳に歓迎会の一件が届いているとは思っていなかった。
「オーランド様が仲裁してくださったから、大事にならなかったとはいえ、いったいどこをどう考えれば、あのような愚行を思いつくのか」
眉を歪めて、ふるふると頭を左右に振る。
「母には理解ができません」
デヴィッドの唇が恐怖で戦慄く。
「母上……、なぜ、なぜ、それを……」
歓迎会から一週間経っていた。
当日に、オーランドに諫められ、ライアンに怒られている。
城に戻って父である王からも怒られるかと恐々としていれば、なんの咎めもなく、あの件はオーランドが丸く収めてくれたのだとばかり思っていた。
(今さら母上の耳に、どこから入ったのだ!)
ことのほかマージェリーを気に入っている王妃に例の一件が耳に入ったとなると非難されることは目に見えていた。
学院内で事が収まり、この件はもう終わったのだと安心しきっていたデヴィッドは、まさか掘り起こされるとは思っておらず狼狽しながら、父を盗み見た。
額に青筋が浮かびそうなほど、冷徹な怒りを堪える王妃に対し、王は両方の眉毛を曲げ、両目も細め、口も真横に結んだままだった。
(父上……、入室した時より眉間の皺が濃くなっていやしませんか! ああ、ということは、逃げ道はないということ……)
母の怒りは止めようもないと悟る。
薄っすら目をあけた王が、少し口をすぼめて息を短く吐き出した。
(しっ……?
しっ、ですよね。
しっ、って。
それは口答えするなという意図ですか! 父上!!)
無言の意思疎通を交わす父と息子。
知ってか知らずか、母はすこぶる不機嫌に息子に怒りたぎる両眼を向ける。
「デヴィッド」
「はい!」母に低い声音で名を呼ばれ、脳天から突き抜ける返事を反射で返す。「なんでしょうか、母上」
「母の情報網を侮ってやしませんか」
「めっ、滅相もございません」
定期的に茶会を開き、有力な夫人たちと交友を深めていることはデヴィッドもよく知っている。
しかし、婚約破棄の宣言はそれほど多くの者の耳には届いていないはずだ。幸いにも、オーランドから衣装を贈られたクリスティンが、その扇をもって、周囲を誤魔化してくれている。
「デヴィッド。貴方がマージェリーの心底に気づいていないのは、年齢もあり、仕方ないことと、私も見守っていました。
背も伸びきる頃には、貴方を支えるために、マージェリーが周囲へ気を配っていたことを理解する日も来るでしょうとね……。
それがなんですか。
勝手に、婚約を破棄しようとするなど!
さらには、相手はオーランド様が後見となる男爵領のご令嬢というではないですか」
「そっ、そのことは知らなかったのです。まさか、叔父上の…」
「言い訳無用! いい加減になさい!!」
母の逆鱗に触れたデヴィッドの口が縦に開き固まった。
ライアンやトレイシーのフォローもあり、歓迎会直後にマージェリーには謝っている。その後、学院内でマージェリーと何事もない関係に戻っていた。クリスティンとの関係も修復され、デヴィッド自身も十分に反省したつもりであった。
(はっ、反省はしているんです。もう、早まったまねはしないと! だから、だから……)
反省の弁さえ言い訳になってしまうと、デヴィッドは声もだせない。
「……今さら、くどくどしかりつけるつもりはありません」
厳かな声音にほっとするのも束の間、「しかし!」と母に叩きつけられ、デヴィッドはわずかに椅子から飛び上がった。
「デヴィッド。この一週間、あなたの動向を注視していました。
それなりに反省はしているようですね」
「はっ、はい。もちろんです」
「その反省もまた、マージェリーの寛大さがあってのこと。
あなたが分かっていないのは、マージェリーの懐の深さに甘えきって、許されていると勘違いしている点です。
あなたはいつまで、マージェリーにおんぶにだっこでいるつもりなのです」
「いえ、そんなつもりは毛頭…」
「つもりはないと言うのですか」
「はっ、いえ……」
怒りの琴線に触れ、デヴィッドは片手を口に添えて、あわあわする。父はすでに両目を瞑り、祈るような顔を天井に向けていた。
母の怒りは父でもなだめようがなかったのだと腹をくくったデヴィッドは、いかなる罰をも覚悟した。
「明日、ウルフォード公爵邸にて、茶会が開かれます。もちろんそこには主催者の一人であるマージェリーもいます」
「はい!!」
「あなたはそこへ、花束を持って、挨拶に行きなさい」
「へっ……」
「そして、来週末に催される収穫祭を一緒に歩こうとお誘いするのです!」
「……えっ?」
きょとんとするデヴィッドに母が念を押す。
「あなたは茶会を訪ね、マージェリーに対し、直接、来週末に、市街で開かれる収穫祭を一緒に歩くように誘うのです」
内容を数秒の間を開けて理解したデヴィッドは「ええぇぇ!」と叫びながら、椅子を背後に押しのけ、立ち上がった。