113:ばれて、退路を塞がれる①
「カスティル男爵家所縁の者ではないのか」
目が合った瞬間もう一度、聞かれた。
口内に残っていたアップルパイを飲み下したクリスティンは大慌てで首を横に振った。
否定と捉えたライアンが訝し気に問う。
「本当か? 俺はてっきり今年の新入生クリスティン・カスティルと何らかのかかわりがあると思っていたぞ。
歳の頃合いから見て姉弟の可能性を考えたが、違うのか」
「きっ、きょうだいって」
(この人、忙しいはずなのに、こんな些細な事まで考えていたの)
しかも、まさか姉弟に捉えられていたとまで考え及ばず、クリスティンは仰天する。
「クリスティン・カスティルはオーランド様を後ろ盾としている。
クレスだってオーランド様の直弟子として、騎士団に出入りしているんだ。
現れた時期が同じなら、二人の関係性を疑うのは自然だろう。
さらに二人は、どことなく似ている気がするんだ。
もしかしたら姉弟かと思ったんだが、本当に違うのか?」
クリスティンは閉口する。思わぬところで正体がばれそうで、頭が真っ白になる。
手合わせしたより、負けたより、押し倒されたより、驚愕した。
「ぼっ、僕は平民です。だっ、だから、クリスティン……様とは、なんの関係も、ありません」
クリスティンはたどたどしくやっとの思いで言い切った。
(私とクレスが姉弟なんて勘違いされるとは思わないわよ)
ふうんとライアンは釈然としない表情でクレスを眺める。
その視線にクリスティンは恐怖を覚えた。
「クリスティン、様。ということは、知り合いではあるのか」
下手なことを言ったとクリスティンの背筋が凍る。
(出まかせを即興で言っていたらボロが出ちゃうわ。この人、いつもは鈍いのに、こんなことだけなんで聡いのよ)
心のうちで不満をこぼしながら、首を縦に振って、口をつぐむ。
「じゃあ、同じ領内から来たのか」
うんうんと頷く。
「平民ねえ……」
どこか納得できない顔をしているが、もうクレスは平民だと押し切るしかない。
「カスティル男爵家は子どもが多いと聞いたから、てっきりクリスティンの弟かと見込んだが外れたか……。
歳の頃合いから見ても、丁度良い感じなんだがな」
面白くなさそうにライアンは独り言のように呟く。
戦々恐々。生きた心地がしないクリスティンはうつむく。
これ以上話しかけられたくないと、残りのアップルパイを夢中で食べるふりをする。
食べながら、どうする、どうする、とぐるぐる思考を回転させても、なにも思いつかず、気が急くばかりだった。
(言葉を選び間違えたら、きっとそこから芋ずる式にばれちゃう。下手なことも言えないわ)
墓穴は掘りたくない。
目の前にアップルパイがあることをありがたく感じた。
一口食べて、長く噛んで飲み込めば、少しは時間を稼げる。食べることに夢中になっているふりをすれば、しゃべらない理由もできる。
(食べ終わったら、ありがとうございますと言って逃げるんだ)
これ以上、ライアンと一緒にいると、動きすぎた心臓が、今度は止まってしまう。一刻も早くクリスティンは逃げたくてたまらなかった。
クレスとクリスティンが同一人物であり、バレそうで焦っているなんて想像もせず、ライアンは夢中で食べているふりをするクリスティンを見て、お腹が空いているのだろうとのんきに思っていた。
頭に両手をつけ、壁にもたれかかるライアンは、青空を眺め、眩しそうに目を細めた。
(クリスティンとクレスは姉弟ではないか……)
どこか納得できない部分もあるが、今はそれでよしとした。
同年代で同程度の力を扱える者が身近にまったくいないことが、長らくライアンの不満であった。
学院の魔法魔石科で教えるのは自然四系が主体である。それをマスターすることが学院生の目標地点だ。
十歳になる前に自然四系を会得していたライアンからして見ると、学院の授業は児戯である。
そのため、学院ではライアンに気を使い、少々特別な立ち位置を用意していた。
ネイサンが学院に通っていた頃は、リディアやオーランドも一緒であり、最高学年になればオリヴィアもいた。それなりに魔力がある者たちと過ごし切磋琢磨できたが、ライアンは文字通り長年孤独だった。
ライアンにとって、クレスという少年は生まれて初めて出会う同程度の力をもった子どもだ。興味をそそられるし、手合わせしてみたいと思うのは当然だった。
(クレスは声変わりもしていないし、年齢も十二歳ぐらいだろう。それでも、統合四系まではいってるな。さらに上位の四系はどうか分からないが……)
夢中で食べるクリスティンの頭部を後ろからライアンは眺める。
(まっ、知らなかったら、おいおい教えて行けばいいか)
自然と口元が弧を描く。遊び相手を自分で育てるような面白味を感じていた。
(クレスと出会って喜んでるのって、俺の方だな)
浮かれている自分に気づき、ライアンは苦笑する。
食べ終わり、紙袋を畳むクリスティンが(なんとかここから逃げないと……)と考えていた時、手を伸ばしたライアンが、クリスティンの頭部を大きな手で包み込んだ。
頭部に重みがかかり、クリスティンはびくんと体を震わした。
わしわしとライアンの手が左右に揺れて、髪を乱す。
クリスティンが振り向くと、ライアンが頭を撫でていた。
「美味かったか」
悪意のない清々しい笑顔に、クリスティンの心臓が再び鼓動を早くする。一気に体も火がついたように熱くなった。
クリスティンは手にした紙袋をぎゅっと握りしめる。
ライアンはもたれていた壁から背を離し、クリスティンの顔を覗き込んでくる。
(近い、近い、近い~!!)
「今日はありがとうな。俺のわがままに付き合ってくれて」
またわしわしと頭をなでながら、額がつかんばかりの距離で、満面の笑みを浮かべる。
一気に真っ赤になったクリスティンは、ぱんとライアンの腕を手で弾き飛ばした。
撫でていた手が浮き、ライアンは目を丸くした。
きっと涙目で睨みつけたクリスティンは立ち上がった。
見上げるライアンの顔には悪意の欠片もない。
クリスティン一人だけ、焦ったり、びっくりしてばかりである。
(なんなのよ、この人! いっつも、困ることばっかりじゃない)
何を言ってもボロが出そうで、本当のことを何一つ言えない不満で一杯になる。逃げ出したくとも、理由なく背をむけるのもおかしいと足踏みしていると、急にひらめいた。
その言葉は、するりとクリスティンの口を滑り落ちる。
「次こそは負けませんからね!」
男の子と間違えているライアンに、捨て台詞を吐いたクリスティンは踵を返し脱兎のごとく逃げ出した。
残されたライアンは、ぷっと吹き出し、笑い出す。腹を抱えて、大声で笑い出しそうになるのを堪えた。笑い声が聞こえては、負けず嫌いの少年を傷つけると気を使って、喉を殺したのだ。
「どんだけ、負けず嫌いなんだよ」
クリスティンの背が小さくなると、楽しそうに的外れなことを呟いた。
逃げ出したクリスティンは走りに走り、中庭の木陰まできて、膝をおり、肩で息を繰り返す。
(もう、ライアンっていや。面倒、すっごい面倒!)
会いたくないと思っても、クリスティンでも、クレスでも、ティンでも、どこでも会うことになるから厄介だ。
「ああ。なんで、こうなるのぉ」
ぼやいていると「クレス様」と聞き覚えがある声で呼ばれた。
声の方に顔を向けると、マージェリーが歩いてくる。彼女はゆっくりと木陰のなかに入ってきて、クリスティンの前に立った。