102:魔法魔石科の授業開始②
「剣豪オーランドが男爵領から花嫁を連れてきたと……」
もったいぶった台詞にじろりとオーランドはネイサンを睨んだ。「おー、こわ」とネイサンはわざと怖がるふりをする。
オーランドは壁を見つめた。
「花嫁か……」
ジョンはすでに覚悟はできているといっていたものの、実感はない。
十六歳まで手元で愛し育ませてもらったことを感謝するとまで言われているというのに。
(リディアの魂を継いでいるとはいえ、クリスティンはクリスティンだからな)
リディアが赤子を蘇生させた場面を目撃しているものの、リディアとして捉えることができるかと言えば、なかなかそうはいかなかった。
成長途中でリディアの記憶が蘇れば違ったかもしれない。
クリスティンは普通の子どもとして育ち、生まれ変わりという期待は成長するごとに薄れていった。
今はクリスティンとリディアを別人として捉えている。
目のなかに入れても痛くない愛しい娘。それがクリスティンだ。
彼女が幸せであればいい。この世界で笑っていればいい。
頬にキスしてもらえるだけで、十分に心が温まる。
馳せる想いは、愛しいという一言でしか表せない。そこにはなんの欲もなく、無私なる願いしかなかった。
大切な花を手折りたいとは思えない。
どこまでも、愛でて慈しむ存在がクリスティンだ。
「まったく、実感がないな」
「学院の歓迎会にしゃしゃり出て行って何を言う」
「……」
グラスに視線を落とす。
クリスティンの傍に立てば、周囲が彼女をどう見るか、分からないオーランドではない。
そういう目的をもって飛び入りした一面は認める。
「そろそろ、ライアンの負担を減らしてやってくれよ。よく自暴自棄にならないで、真っ直ぐに育ってくれただろ、俺の甥っ子も」
ネイサンはぼやく。叔父であり、師でもある彼は、ライアンを心から心配していた。
現在、王家の直系はデヴィッド一人。
彼一人で未来の王家を背負っている。
代わりは異母姉の一粒種であるライアン。
彼に至っては、魔力を備えていることで、デヴィッドのスペアだけでなく、オーランドのスペア、さらには、現在内々では次期スタージェス公爵最有力候補のネイサンのスペアでもある。
次世代の二人に負担を強いていることはオーランドもよく分かっていた。
「そうだな。頼りになる青年に育ったな」
「だろう」
珍しく褒めるオーランドに、ネイサンも得意げに応える。
「王妃のことを考え、二の足を踏んでいた王もやっと妾を受け入れることを決めた。
王妃もこのままデヴィッド一人に負担を強いるのを良しとしていない。貴族達も国民も、王子が一人しかいないという現状を心もとなく思っている」
早々にデヴィッドが産まれたことで、次の子もすぐだろうと誰もが思っていた。ところが待てど暮らせど懐妊の兆しがなく、目論見が外れた。こんなに長い間第二子に恵まれないとはだれも思わなかった。
気づけば十年以上経っており、王も考えを改めることに迫られた。
「内々にライアンが聖騎士になることも決まった。
来年以降、お前の負担も軽くなる。そうなれば必ず、王と立場を同じくする王弟にも婚約や結婚などの声があがってくるだろう」
「ライアンが動けるようになったなら、もう少し王都に留まり、役目を果たせということか……」
今までは、瘴気を払う象徴として、最前線に立つことを望まれていたオーランドの風向きも変わりつつあった。
「オーランド。お前はクリスティン以外の娘と婚約できるのか。お前に婚約者が現れればクリスティンも遠慮するようになるんじゃないのか。男爵は身分から考えて、妾でも許すとは思うが、正妻と妾では扱いをかえなければいけない。そうなれば、耐えられないのは誰だ」
「……」
「学院にいけば、出会いも増える。
どこの馬の骨とも分からない男とクリスティンが恋に落ちて、婚約すると言い出し、卒業後に結婚したらどうするんだ」
「……」
「カスティル男爵なら通じる話も、他家では通じるわけがない。嫁いだら接点がなくなるのは必須だろう。
リディアの記憶が蘇る可能性だって、完全には否定できないというのに……」
ネイサンが言うことは頭ではすべてわかっている。繰り返し考えてきた事だ。
「他の男にかっさらわれることだって面白くないくせに、なにをためらっている。そんな現実を目の当たりにして、耐えられるはずないだろう。違うのか」
「……」
否定はできない。
なのに、クリスティンの花嫁姿は見たくても、その隣に立つイメージがどうしてもわかない。
泥水で遊び、オーランドの身体を山と見立てて登り、肩車すれば髪を引っ張るお転婆な子だった。
心のどこかで、そのままでいてほしいと願っている。
「結婚か……」
リディアの記憶が戻っているなら少しは考えたかもしれないが、今のクリスティンを思うと腰が引ける。
腰が引けるなら、なぜ歓迎会に顔を出したということにもなる。
ネイサンの言う通り、他の男にクリスティンをみすみすくれてやる気になれないからだ。
オーランドも分かっていた。
どんなに完璧な男が目の前に現れようとも、許すことなんてできないと。
そうなれば、結局、クリスティンを囲うのが最良の選択になると。
どこか違和感を感じながら、その道しか選べない。
矛盾していようとも、両方オーランドの本心であった。
「もういいだろう。オーランド。
少しは肩の荷を降ろせよ。
結婚していない俺が言うのも何だが。
一人の女を幸せにするために人生の舵をきれよ。
リディアの魂はクリスティンのなかで生きているんだろう。
なら、彼女を幸せにすることだけに生きたっていいじゃないか。お前はもう十分に頑張っただろう」
(俺がなにを頑張ったというんだ)
必死に説得してくるネイサンをオーランドは横目で見た。
(まったく、こいつはどうしてこう的を得たことばかり言うのか……)
だからこそ、親友であり悪友なのかもしれない。
「そうだな。
クリスティンを見守りながら、考えることにする。十五のクリスティンは、まだなにも考えていない。三年は時間がある。
俺が傍にいることを理解して、声をかける愚か者もいないだろう。あの娘は特別な娘だ」
「……そうだな」
「差し当たっては、俺の後継になるライアンの方が心配だな。実戦経験もまだ乏しいからな。
長期休みの時にでも、男爵領を起点に森の奥にでも連れて行き、慣れさせるか」
オーランドのぽつりとこぼした一言に、ネイサンの表情がぱっと明るくなる。
「そうしてくれ。来年、いきなり聖騎士に任じられて、森へ行くなんてことになったら、俺の方が心配で胃がやられてしまいそうだ」
「自慢の甥っ子なのにか」
「自慢であることと、心配することは別だ」
「過保護だな」
「お前に言われる筋合いはない」
口角をあげるオーランドに、憮然とネイサンは言い放った。
※
馬車が停まった。
(城についたな……)
昨夜を思い出していたオーランドが両目を開く。