101:魔法魔石科の授業開始①
カーテンの隙間から朝日が漏れ始め、クリスティンは目覚めた。
腕を伸ばしながら身体を起こす。弾力があるベッドで心地よく眠ることができ、心身共にすっきりしていた。
寝る前にオレンジのワンピースから、ベージュの寝衣に着替えている。艶のある柔らかい布地で作られており、とても着心地が良かった。
あらためて、胸元の布地をつまむ。
(高級そう。絹で作られているんだろうな。うちから持ってきた綿の寝間着と違うもの)
さっと立ち上がり、衣裳部屋に向かう。目当ての制服を見つけて、素早く着替えた。
寝衣を片腕にかけて、衣装部屋を出る。同時に、扉をノックする音が響いた。
「どうぞ」
声掛けすると、ベリンダが入ってきた。
「おはようございます」
「おはよう、ベリンダさん」
「朝の準備を手伝いにまいりました」
「えっ! もう私、制服に着替えちゃったわよ」
「ふふ、お早いですね。殿下から、聞いた通りです」
「おいちゃんから、何を聞いたの」
「男爵のお城では、鶏より早く起きると伺いました」
「なっ!」
何という言われようかと、クリスティンは両目を見開いた。
「さあ、御髪を整えましょう。まだ寝ぐせが残っておりますよ」
「えっ、うそ。どうしよう、なおさないと」
慌てて手で寝ぐせを探し、整えようとするものの、横に跳ねた髪は手櫛程度ではなおらない。
(また跳ねてたら、昨日みたいに、おいちゃんにからかわれちゃうわ)
ベリンダに促され、衣裳部屋に戻ったクリスティンは、窓際の鏡台で丁寧に髪を梳いてもらった。
「もう、寝ぐせはないかしら」と、鏡を見ながら念入りに点検する年頃のクリスティンをベリンダは微笑ましく見つめる。
さらに薄化粧をしてもらい、伊達眼鏡をかけ、身なりが整った。
朝食の準備はできているというので、そのまま学院に行けるよう鞄を持って部屋を出た。
食堂の手前でベリンダは去る。
オーランドはすでに食堂で待っており、新聞を読んでいた。
「おはよう、おいちゃん」
オーランドが顔をあげる。
「おはよう、よく眠れたかい。クリスティン」
「うん。とても。寝衣は着心地が良いし、ベッドのかたさもちょうど良かったわ。天蓋付きのベッドも初めてよ。まるでお姫様みたいだったわ」
口元をほころばせるオーランドが、新聞を置いて立ち上がり、クリスティンが座る椅子を引いた。
「いいのに。自分で座れるんだから」
そう言いながらも、クリスティンは座った。元の席にオーランドも座る。
クリスティンの視界に新聞の一面が映る。
大々的にオーランドの活躍が載っていた。鬼哭の森から流れる瘴気を払い、森の奥へと分け入り、魔物の生息域が広がるのを抑えていると賞賛される記事だ。
「すごいね。活躍しているね」
「俺だけじゃない。衛撃騎士団も動いているからな。こうやって王都の屋敷に戻る時間を得られるのも、彼らがいるおかげだ」
「騎士団の活躍は載らないの?」
「端には載っている」
一面記事の端に騎士団の動きが載っていた。でも、扱いが小さい。
「騎士団もおいちゃんと同じことをしているのに、記事の大きさがまったく違うのね」
「その辺は広報担当が采配しているからな。王家の広報と新聞社は繋がっている」
「そんなこと私に明かしていいの?」
「かまわないさ。ちなみに、俺にまつわる記事のネタはウィーラーが集めているんだ」
「ウィーラーはそんな仕事もしていたの」
「それが彼の本職だよ」
クリスティンは仰天する。
何らかのかかわりを持っているとは思っていたが、まさかオーランドを追いかける記者だとは想像さえしていなかった。
「……、知らなかったわ」
「大した話じゃない」
オーランドの口調があまりにも軽く、本当に大したことじゃない錯覚を覚えそうになったものの、そんなわけがないとクリスティンは思いなおした。
(おいちゃんとウィーラーの間にはまだなにかありそう……)
これ以上は子どもが知ってはいけないことだと考え、表向きはオーランドの弁を鵜呑みにすることにした。
奥からロジャーが現れ、朝食を用意する。
一緒にベリンダとラッセルも料理を持って出てきた。足元には、ロロもついてくる。
賑やかな食卓を喜ぶクリスティンのためにオーランドはみんなで食事をするように計らっていた。
クリスティンの隣にラッセルが座る。
ラッセルの足元では、待てが苦手なロロが餌入りボウルに顔を突っ込んだ。
ラッセルとクリスティンが笑いながら食事をする。二人が交わす会話を、オーランドは心地よく聞いていた。
にぎやかな食事を終える。
ラッセルはロジャーと共に片づけをはじめ、クリスティンは学院に行くために立ち上がった。
「クリスティン、俺はこれから城に行く。今日は学院まで送ろう」
「すぐに旅立つわけじゃないの」
「ああ。一度城に寄って、兄と話してから出る予定だ」
立ち上がったオーランドと並んでクリスティンは歩き出す。
クリスティンは、ロジャー一家に「いってきます」と言い、食堂を出た。
馬車は玄関先にすでに停まっており、二人が乗り込むとすぐに走り出した。
「いつも王様にご挨拶してから行くの?」
「いや、特別だ。今回は、領地を受領するにも色々確認が必要だからな」
「へー。そういえば、おいちゃんから王様の話を聞くのってはじめてかも」
「そうか」
「仲良かったんだね」
「クリスティンの兄弟ほどじゃあないよ。今回は、式典の参加もあるからな。任せっきりにしていたら、小言がくる」
「なにそれ」
ドレスを作ってもらい参加することになる夜会のことかなと思いつつ、クリスティンは笑ってしまう。
「それに、なるべく早く領地は欲しい。クリスティンの幼い兄弟たちやそれに準ずる領地の子どもたちとその母たちだけでも、安全な地に逃れていてほしいだろう」
「おいちゃん……」
領地のことを慮ってくれていると知り、クリスティンの胸はじんと熱くなった。
「ありがとう」
「その方が、安心して学べるだろう」
「うん」
クリスティンの笑みにオーランドは柔らかい笑み返す。
彼女の平穏こそがすべてである。どうすれば、この子が笑顔でいてくれるか。それだけがオーランドの動機になっていた。
あっという間に学院の正門に到着する。
「送ってくれてありがとう」
「俺の屋敷に泊まりたかったらいつでも泊ってくれ。ロジャーたちにもそう伝えてある」
「ありがとう、おいちゃん。でも、パン屋の仕事があるもの。よほどじゃないと、働くことを優先するわ。生活だってあるもの」
「そうか」
御者が扉を開いた。オーランドが先に出て、手を差し伸べる。その手を取り、クリスティンは車外に出た。
「二週間で戻る。戻ったら、また屋敷に泊まってくれ」
「うん」
オーランドはクリスティンの手を両手で包み込み、少し身を屈めた。
「領地を守りに行く聖騎士に女神の祝福をください」
悪戯っぽく笑いながら、オーランドがクリスティンを流し見る。屈んだことで、彼の頬が彼女の目の前にきていた。
男爵領を守ってくれていると思うと、クリスティンも無下にできない。
「仕方ないわね」
クリスティンはオーランドの片頬にキスをした。
幼い妹や弟にお休みのキスをするのと同じ感覚だ。
「ありがとう。女神様」
オーランドが背筋を伸ばし、クリスティンの手を離した。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
軽く手を振り、クリスティンは馬車に乗りこむオーランドを見送った。
周囲の学院生は、その様子をゆっくりと歩きながら盗み見ていた。
クリスティンが振り向く。中央校舎へと目を向けると、複数の学院生と目があった気がした。彼らはすぐに顔をあらぬ方へ向けたため、クリスティンは気のせいと思うだけであった。
オーランドにとって、いかにクリスティンが特別な存在か、周囲に印象付けていたなど気づくことはなかった。
クリスティンがいなくなり、一人になった途端、オーランドの表情から感情が消え失せた。
馬車に揺られながら、腕を組み、足を組む。
彫像のように動かなくなり、目を閉じた。
思い返すのは、昨日のネイサンとのやり取りであった。
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