100:新たな噂④
「ウィーラーに三役を言われた時もびっくりしたの」
「そうか」
「学院のクリスティン、稽古場のクレス、パン屋のティン。この三役にも、やっぱり意味があるんでしょう」
「ああ、あるよ」
「聞いてもいいの」
ダメと言われることを覚悟でクリスティンは尋ねた。
「魔力が多すぎることが原因だな」
「やっぱり……」
「魔法魔石科の授業が始まると分かるさ。授業が始まったら、より騎士団に顔を出したくなるだろう」
「そんなものかしら。逆なような気がするけど……」
クリスティンは不思議そうな顔をして、プリンのスプーンを手にした。
「パン屋は寮の代わりだ。
寮からクレスの恰好をして出られないだろう」
「やっぱり、変装をカモフラージュするためなのね」
「ああ。学院でクリスティンの魔力を使ったら大変なことになる」
「使ったわ」
「見ていたよ」
「怒らないの」
「あれぐらいならね」
「ライアンには怒られたわ」
「ほう、怒られたか」
「デヴィッドと一緒に生徒会の書記にされちゃった」
「がんばれよ」
「体のいい舎弟よ」
ぷっとクリスティンが頬を膨らまし、不満げにプリンを食す。
「ライアンは厳しくとも、実力がある。学ぶことも多いはずだ」
「それは分かるわ」
猫から見つめた時に一瞬で看破されている。
ただ者ではない。
「ライアンは若い頃の俺と同等の力を持っている。ネイサン近衛騎士団長さえ一騎打ちの稽古では負けるだろう」
「嘘……。そんなに……」
顔をあげたクリスティンはスプーンを取りこぼしそうになった。
「ああ。だから俺からもクリスティンのことを頼んであるんだ。生徒会書記に任じられたのにもきちんと背景がある」
残った最後のプリンをすくいあげ、口にしたクリスティンは、喉を鳴らして飲み込んだ。
「ライアンの魔力だけはクリスティンを超える。あれは俺の代わりになるほどの力を持っている」
「デヴィッドの次に王位継承権があるだけじゃないのね」
「王位継承権も、スタージェス公爵候補としても、俺と同じ立場だ」
「やっぱり、すごい人なのね」
「ああ。騎士団で手合わせしてもらえばすぐに分かる。ライアンが怖いか。それとも苦手か」
ぷるぷるとクリスティンは首を横に振った。
「大丈夫、厳しい人だけど、いい人だってわかっているから」
「そうか。なにか気になることがあったら、すぐに言え」
「うん」
「さあ、明日は学院だ。長話になった。もう寝なさい」
「はい」
残った紅茶を飲み干して、クリスティンは立ち上がった。
オーランドが座ったまま椅子を斜めに動かし、身体の正面をクリスティンへ向けた。
「おいちゃん?」
椅子に浅く座り直したオーランドは両腕をクリスティンに伸ばす。クリスティンの両腕に大きな手を添えた。
「男爵領は心配するな。なにも心配はいらない」
「子どもが心配してもなにもならないよね。
たぶん、帰りたいの。きっと、その言い訳だったのよ」
「寂しいか」
クリスティンは首を左右に振った。
「来た時よりは寂しくない。
それぞれの場所で関わる人がいるもの。
ただちょっと面倒なだけよ」
「そうか」
「だから大丈夫」
オーランドが首を傾ける。吸い寄せられるように、クリスティンは片頬にキスをした。離れる間際、オーランドもクリスティンの頬に軽く唇を触れ合わせる。
「俺が戻ってきた最初の休日に商会を招く。
昼間ここで、ドレスの採寸をする。予定に入れておいてくれ」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
するりとクリスティンがオーランドから離れた。
「また明日」
ひらりとクリスティンが横をすり抜け退室する。
パタンと扉が閉まる音を聞いた途端、穏やかな雰囲気を纏っていたオーランドが一変した。
顔から感情が失せ、生気が失せた瞳が闇がかる。
クリスティンがいない世界は無味乾燥とした無彩色な世界と化す。
感情の起伏がなくなり、魔力を宿した肉塊のような体感だけが残る。
部屋に残るクリスティンの残り香によって、生きていることを知るようであった。
奥からロジャーが現れた。
「旦那様、応接室の準備は整っております」
「わかった」
オーランドは立ち上がる。
「ロジャー、ネイサンを通したら帰るといい」
「はい。仰せのままに」
二人だけで聞かれたくない話をする意図をロジャーは瞬時に理解する。
応接室でネイサンとオーランドは、いつものようにワイン片手に向き合った。
沈んだ目をオーランドはグラスの赤に落とす。
ネイサンはそんなオーランドをもう見慣れていた。
クリスティンが成長していくごとに人間味を取り戻してきたオーランドだが、ここ数年はこのように感情を読み取れない顔をすることが増えていた。
初期は話ずらいと感じたものの、独り言のように話しかけることにネイサンも慣れてしまった。
「シルビアという女子学院生が噂を流した。きっかけを与えれば学院中に噂を流すのは簡単だったそうだ。
現在、学院で最も人気がある男子学院生は、ライアンだ。
まあ、俺の甥っ子だからな。さもありなんというところだろ」
ネイサンの甥っ子自慢に対しても、オーランドは無言でワイングラスを呷る。いつものことだった。
「デヴィッドはまだお子様だし、非の打ちどころがない婚約者がいる。彼女を貶めるぐらいなら、取り入った方が良いと思うだろう。
しかし、ライアンには婚約者がいない。いてもおかしくない立場と年齢だが、選べないんだ。
スタージェス公爵や聖騎士候補ならまだいい。
問題は、第二王位継承権者であることだ。
つまり、デヴィッドがいなくなり、オーランドが蹴った場合、自然とあいつは王太子になってしまう。というか、素行が悪いお前のせいで、俺の甥っ子が不安定な立ち位置なんだ」
「悪いな」
まったく悪いと思っていない抑揚に、ネイサンは呆れた顔を見せ、また話し始める。
「その時、王妃はどうするか。マージェリーがいれば、自ずと彼女が王妃になる。
マージェリーの代わりだって何人かいる。それらの令嬢たちを押しのけていく勇気を持つ者はそうそういない。
人気があるのに、手を出せない高嶺の花。
それが今のライアンの立場だ。
多くの女子学院生にとって、話しかけたくても畏れ多くて話しかけれない相手というわけだ。
そこに急に現れたクリスティンが、デヴィッドだけでなく、ライアンとも仲良くすれば目障りだ。
表に出せない邪な気持ちを焚きつけるのは簡単だろう。ちょっと口添えしただけで、クリスティンの悪評は潜在的な嫉妬心と絡まり、あっという間に広がったそうだ。不満を抱く者たちからしてみれば、噂の内容はどうでも良かった。不満のはけ口があればよかったというわけさ。
あとは知っての通りの流れだ」
ネイサンはちらりとオーランドを見た。
反応は薄い。
そんな噂話は、もう終わったと言いたいことは分かっていた。
「今回、そんな噂は全部消えた。
新入生歓迎会に剣豪オーランドが現れたことによってな。
会場にいた聡い者たちは気づくだろう。
子どもからオーランドと話したと喜び聞いた親たちも、その状況から気づくだろう。
わざわざ、男爵領から連れてきた娘を、世話になっているというだけでオーランドが庇護しないことを。
彼らはこう結論付ける。そして、新たな噂を囁き合う。
剣豪オーランドが男爵領から花嫁を連れてきたと……」
ネイサンの一人語りをオーランドは肯定もしないが、けっして否定もしなかった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
11月3日で一旦毎日投稿やめて、書き溜めに入ろうかと思っていたのですが
ネトコン11の一次に通過しまして、更新止めれないな~ってなりました。
というわけで、一応二次確認するまでは毎日投稿続けることにしました。
二次落ちしたら、一旦毎日投稿やめて、書き溜め期間設けて、六十話先に進んだら、二十話投稿するぐらいのペース配分を保っていくつもりです。
現在139話執筆中で、年内に200話までは書きたいです。
年内の投稿予定は140話になります。
それでは、明日から5章。
引き続き、よろしくお願いします。
プライベートが忙しいので感想欄は閉じてますが、余裕出来たらまた開くと思います。
当初は200話で年内にラストまで書く予定だったんだけど、なんとなく(200話なら24年中に完結できるのに)完結は25年だなと予感して、完結は25年と書いておいたら、その後話数が増えて、460話予定まで伸びて、結局予感通りになりそうって状況です。
毎度書くけど、先は長いよ。460話さえ伸びるかもしれない。
今のところ112話まで予約投稿済、126話まで予約投稿予定です。