99:新たな噂③
食後、クリスティンはラッセルとロロと一緒に庭先で遊んだ。
子どものように駆け回り、キャッキャッと笑い転げる。飴玉も二人でコロコロと口の中で転がして、楽しんだ。
夕刻になり、夕食の下ごしらえを終えたロジャーが迎えに来て、飴玉の小袋を握りしめてラッセルは帰っていった。
屋敷に戻るとベリンダがおり、夕食前に風呂に入ることになった。
芝生の上を転げまわり、髪にも草をつけているクリスティンは素直に従った。
風呂からあがり、橙色のワンピースを着せられる。
水滴を拭きとった髪に油分を絡め、くしでといてもらった。
部屋まで送ってもらうと去り際にベリンダは、これで帰宅するため夕食には旦那様が迎えに来るといった。
クリスティンは寝る用意も自分でできる。
ラッセルを一人寂しく留守番させていることをいずれ心配するだろうとオーランドが配慮し、ベリンダに先に帰るよう指示したのだった。
ラッセルを気にかけていたクリスティンは、オーランドの読み通りほっと安心し、ベリンダを見送った。
一人になると、クリスティンは持ってきた香水を身につけ、ベッドにごろんと横になる。
「……」
黙っているとライアンのことが思い出された。今、一番頭が痛い人物だ。
青い短髪の青年。
ふいにパン屋に来て、困っていたところを助けた。
端整で小奇麗な男性がまごつく様は今思い出しても愛らしい。ティンとして会うだけだったら、好印象だろう。パンを買いに来てくれる常連さんの一人として仲良くできたかもしれない。
クレスとして稽古場でも会う分も、気の良いお兄さんだ。
問題はクリスティンとして会う学院でだが、これもデヴィッドと生徒会や魔法魔石科で関わるだけなら、厳しいだけですむ。二人一緒に怖がっていればいいのだ。
(三役すべてで会うから問題が大きくなるのよ)
悩ましい顔でクリスティンはため息を吐く。
王都に来てから、一番お世話にもなり、心配してくれている人なだけに心が痛む。
(悪い人じゃないんだけどなあ……)
とにかく困る。対応に困る。
どの立場でも必ず遭遇するうえに、それぞれの状況から逃げようもない。
(立場が違うと彼について知っていることも違うから、どっかでこんがらがってしまうかも。ああ、そしたら、ばれる危険も高くなるのよねえ。関わらないのが最善だと思うけど、そういうわけにもいかないし……)
悩ましいことこの上ない。
ライアンの存在が頭からなかなか離れず、クリスティンはベッドの上で頭を抱えた。
(悩んでも仕方ないんだけどなあ……。やっぱり関わる機会が多いから、気になってしまうんだろうなあ)
眉を潜めて渋い顔をしていると、扉がノックされ飛び起きた。
もう一度、ノック音が響いたので、転びそうになりながら、急いで扉を開ける。
廊下に出るとオーランドがいた。
ばっちりと目が合い二人は両目を瞬かせた。
「おいちゃん。本当に迎えに来てくれたの?」
「そうだが、どうした? なにかおかしいか」
「屋敷の主でしょう。今度から時間を指定してくれたら、私が出向くわよ」
「それなら、気にするな。どうせ隣の部屋にいるんだ。ついでだろう」
わざわざ迎えに来るのだと勘違いしていたクリスティンは急に照れくさくなる。
「ならいいや。一緒に行こう」
クリスティンが笑うとオーランドの口元も弧を描く。
二人は歩き始めた。
オーランドの手が伸びて、クリスティンの髪を手櫛で梳いた。
「寝ぐせがついている。横になっていただろう。濡れた髪だとあとが残るぞ」
「うそ」
クリスティンは慌てて両手で髪を整える。
「俺の前だろ。気にしなくていい」
「普段はちゃんとしているのよ。今日はちょっと気が抜けたの。お休みの日だもの、仕方ないでしょ」
「そうだな。明日、ベリンダに整えてもらえばいいさ」
「はあい。そうします」
「どんなクリスティンも可愛い娘だ」
「もう、可愛いって言われても、嬉しくない歳よ」
「そうだな。もう少し大人なら、お世辞も素直に受け取るものだよな」
「お世辞!」
にやっと笑うオーランドに、声が裏返りクリスティンはそっぽを向く。
「どうせ私、まだ子どもだもん。ラッセルと遊んでいる方が似合っているわよ」
「俺はクリスティンが変わらないでいてくれて嬉しいよ」
「成長してないってこと?」
「そうかもな」
「意地悪」
食堂に着いた。
昨日と同じように、オーランドはクリスティンのために椅子を引く。素直に座る彼女の隣に座った。
食事が始まる。
夕食はいつもコース料理であり、作法などうろ覚えのクリスティンはオーランドの様子を横目に、真似して食べる。
さすが王族なだけあって、旅すがら見せていた粗末な姿とは裏腹にオーランドの所作はこなれていた。
カトラリーの使い方などに少しまごつくものの、料理はとても美味しく。ラッセルとたくさん遊んでお腹が空いていたクリスティンは心より満足して食事を終えた。
ロジャーが食器類を片づけ、食後の紅茶を淹れてくれた。
その紅茶を口にしながら、クリスティンはデザートのプリンを頬張る。
クリスティンを見つめ頬杖をつくオーランドが言った。
「クリスティン、今日は早く休むと良い。明日からまた通常通りだ」
「はい」
「俺も二週間は戻らない」
「お仕事?」
「ああ。今回は少し遠出になり、迂回して男爵領の様子を見て戻ってくる予定だ」
「そっか……、いつも男爵領を気にしてくれて、ありがとうね」
「森の奥へ足を踏み入れる前に一休みさせてもらっているのは俺の方だよ」
オーランドの指先がクリスティンの前髪を持ち上げる。
ちらりと前髪の隙間から覗きたクリスティンは再びプリンに視線を落とした。
「心配か」
「そりゃあね」
心配するなと両親は言うと想像できても、兄弟姉妹もいる地が気にならないわけがない。
「俺がいなくても、衛撃騎士団が動いている。彼らがいれば森の際は何とか守られる。心配は無用だ。クリスティンは安心して、学院生活を楽しんでおいで」
本当に楽しんでいいものか、クリスティンは困ってしまう。
家族を残して王都に出たことも後ろめたい。
クリスティンは食べかけのプリンを残し、スプーンを置いた。
「私、魔力があるでしょう」
「そうだな」
「瘴気ぐらいなら払えるの」
「知っている」
「ここにいるより、領地にいた方が良かったかもって時々思うわ。少し寂しいせいもあるけど……」
王都にいては駆けつけることはできない。お金の問題だけでなく、心の片隅にもどかしさは常にあった。誰にも言えない本音をクリスティンは零す。
「私だけ逃げてきたみたいで、後ろめたいの」
オーランドは背もたれに体を預け、腕を組んだ。目を閉じ、淡々と語りだす。
「魔力があるクリスティンを学院に通わせることは、十二歳の時にジョンと話し合って決めた。クリスティンも俺たちの希望を汲んで、よく学んでくれたと思っている」
じっとクリスティンはオーランドを見つめる。
「確かに、ここ数年で瘴気も濃くなり、心配なのは分かる。
だが、子どもの力を借りなくてはいけないほど、俺も騎士団も落ちちゃいない。
ジョンだって分かっている。
今回、領地を譲り受けることを含めて、クリスティンが知らないところで色々動いていることは覚えておいてほしい。信じられないかもしれないが、心配はいらない」
「子どもの私には言えないこともあるのよね」
オーランドは微笑みながら、頷いた。
「ただ学院を卒業した後の進路は別だ。その時は好きに判断すればいい。それまでに男爵領の住民は移住しているかもしれないがな」
「ずっと胸につかえていたの。一人でこっちに来てしまって。
領地で受験勉強を始めた時は、まさかこんな事態になるとは思わなかったもの」
すべてを知るオーランドに打ち明けたことでクリスティンの気持ちは少し軽くなった。