96:デート未満のお散歩④
「食べようか」
穏やかな笑みを浮かべるライアンが、二人の間にアップルパイが入った紙袋を差し出した。
「そうだね。これを食べるためにここにきたもんね」
クリスティンが紙袋を開く。
覗き込むと、円形の生地を半分にたたんで形成した半円型のアップルパイが二つ入っている。
「お先にどうぞ」
「うん」
クリスティンは素直に、アップルパイを一つ手にした。卵黄を塗って焼いた艶やかな表面はパリッと仕上がっている。
見た目からして美味しそうだ。
ライアンが手に取ったのを見届けて、「いただきます」と食べ始める。
一口目で二人は目を見張った。
バターがたっぷり入った生地は何度も薄く引き伸ばされ、何層も重ねており、包まれたリンゴは果汁が濃縮されるほど煮詰められている。しっかり焼かれた表面は香ばしく、リンゴも食感を残しつつ甘酸っぱい。
内側は果汁が沁み込みしっとりしているのに、表面の生地はさくっとしている。食むごとに、リンゴとバターいっぱいの香ばしい生地が混ざり合う。
一口飲みこんで、二人は目を合わせた。
「美味いな」
「美味しいね」
声が合う。
美味しいものを前にすれば人は自ずと嬉しくなる。
そして、言葉を失う。
二口、三口と食べて、あっという間に食べ終わってしまった。
「美味しかったぁ。美味しかったよね、ライアン」
「ああ、美味かった」
クリスティンは幸せな気持ちで空を眺める。
お腹が満たされ、幸福な余韻を十分に味わい、立ち上がった。ちょうど道の隅にゴミ箱があり、紙袋はそこに捨てた。
二人の気持ちはほぐれ、他愛無い話をしながら、噴水近くまで戻ると、子供向きの大小さまざまな飴玉を売っている小さな出店があった。
店先では親が子どもに飴玉を買ってあげていた。子どもは嬉しそうに舐めながら親と手を繋いで歩き始める。その顔はにこにこしていた。
(ラッセルにお土産買っていこうかな)
笑顔に惹かれ、思いついたクリスティンは、ライアンに断りを入れ、小さな飴が入った小袋を購入した。
「飴玉、好きなのか?」
「小さいお友達にあげるのよ」
ラッセルが喜んでくれるといいなと思ったところで、はたと気づく。
騎士団の稽古場は城に近く、王都の上方にある。学院も然り。
オーランドの屋敷は少し手前にある。
(どこかでうまくライアンと別れないと、貴族が住まう地域に何の用なのかと思われるんじゃない?)
途中で別れればいいやと店の前で一緒に歩き始めた時には気づかなかったリスクに思い至る。
それによってどんな問題が起こるか思いつかなくとも、とにかくライアンとは色々なところで奇妙な接点ができやすい。
これ以上に変に感づかれる尻尾を増やしたくなかった。
(おいちゃんの屋敷に入っていく姿を見られたら、大変だもの。クレスはおいちゃんの直弟子、クリスティンはおいちゃんの保護下にある。そこで、ティンがおいちゃんの屋敷に入っていったら、致命的、致命傷、即即死。だめ、それは絶対に阻止!)
クリスティンは悶々と考え始めるものの、焦るばかりで名案は浮かばない。
「どうしたんだ、クリスティン。顔色が悪いぞ」
「あっ、いや。大丈夫……」
ライアン側に顔を向けたクリスティンは視界に入った店の看板が目に留まり、急に立ち止った。
ライアンもつられて止まる。
(この店の看板見覚えがある)
看板に描かれた花柄。
それはオーランドが祝いの時に買ってきてくれるお菓子の箱に描かれた柄だと同じだった。
子どもの祝いがある時、オーランドはたくさんのお菓子を持参して、集まってきた人たちに振舞っていた。
それを楽しみに来る子も多く、クリスティンも王都に来たら店を探そうと密かに思っていたのだ。
(おいちゃんだから、もっと手が届かない店で買っていると思ったら……)
噴水近くの店である。気軽に入りやすく、値段も手ごろな店だろう。
クリスティンの脳裏に、周辺に住む領民が集まって催された十二歳を祝う宴が蘇る。
(あの時は、楽しかったなあ)
男爵領もまだ住みやすかった時期だ。
あの時からどんどん瘴気が濃くなって、暮らしが厳しくなっていった。
(もうすぐ住めなくなるのかな)
故郷を失うようで寂しくなる。
「ティン。どうした、なにか気になるのか」
ライアンに呼びかけられ、クリスティンは現実に引き戻される。
複雑な思いはあっても、事情を知らないライアンに言えることは何もない。
「この店の印に見覚えがあっただけよ」
「この店か?」
「そう。王都のお土産として故郷で食べたことがあるの。それをちょっと思い出しただけ」
「探していたのか」
「そうね、そう……」
クリスティンは、咄嗟に嘘を閃いた。うまくいけばライアンと上手に別れられる。
「今日は、この店を探しにきたの」
「ここを?」
「そう。王都に来たら必ず探そうと思っていたの。
まさか、こんな近くにあるとは思わなかったわ。もっと上にある店だとばかり思っていたのよ。
お目当ての店が早く見つかって良かったわ」
早口でまくしたて、生唾を飲み込んだ。
本当のことを織り交ぜているとはいえ、上手く誤魔化せているだろうかと不安になる。
ライアンはなるほどと納得した表情を見せた。
ひとまずクリスティンはほっとする。
「買ってやろうか」
「えっ、いいよ。自分で買うわ」
「美味しいんだろ」
「うん。思い出の味だから、美化されているかもしれないけど……」
「俺も食べてみたい。俺の分を買うだけだよ。行こう」
「らっ、ライアン……」
ライアンに肩を押され、クリスティンは店内に入った。
店は小奇麗にまとめられており、淡いベージュとピンクを基調とした可愛らしい店だった。
カラフルな飴玉が大びんに入って飾られていたり、中央のテーブルには焼き菓子が均等に並べられている。
奥の勘定場も広く、ケーキを受け取りに来た客と店員が商品の確認をしていた。数人いる店員は可愛らしい制服を着て、接客している。
壁沿いの棚には、箱に入った焼き菓子が数種類積まれていた。
見たことがある箱が目に入り、クリスティンは立ち止る。
「買ってもらったお菓子がある」
ふらりと歩み出したクリスティンに、ライアンも黙ってついていく。
棚にたどり着いたクリスティンは、焼き菓子が詰められた箱を手にした。
十個入りの箱の値段は中銅貨一枚。やはり庶民でも手に入る値段だ。
(懐かしい。買っていこうかな。十個入っていたら、屋敷でも分けやすいし……)
ライアンが横から手を伸ばし、同じ箱を手にした。
クリスティンが顔をあげると、ライアンは店の中央に顔を向け、軽く手をあげた。すぐさまにこやなか店員が近寄ってくる。
「お待たせしました、お客様」
「彼女のと俺のを合わせて会計してくれ」
「かしこまりました。お値段は中銅貨二枚になります。紙袋もご用意しますか」
「頼む」
「はい。只今、ご用意してまいります」
店員が踵を返す。
ライアンはポケットから小銭入れを出し、中銅貨を二枚用意した。
ひそっとクリスティンはライアンにささやきかける。
「ライアン。私、買えるよ」
「いいよ。これぐらい、気にしないで。俺がティンに買ってあげたいんだ」
「でも……」
店員が戻ってきて、クリスティンは口をつぐんだ。
持ってきた紙袋に菓子箱を入れてそれぞれに渡した店員は、ライアンから代金を受け取り、「ありがとうございます」と頭をさげる。
「行こう」
ライアンは有無を言わさずクリスティンの肩を押し、店を出た。
店の脇まで歩いててきた二人の手には、それぞれに菓子袋が下げられている。
(買ってもらちゃった)
紙袋を見て、ライアンの顔を見た。
いらないと言ったら傷つきそうな顔をしている。
親切を無下にするのも忍びない。
「ありがとう」
素直にクリスティンがお礼を告げると、ライアンは照れくさそうに微笑んだ。