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1:罪を背負う旅のはじまり①

「婚約を解消する。この書類にサインを……」


 憔悴しきった王太子のジャレッドが震える声で告げる。

 ジャレッドとテーブル越しに向き合うリディアは、指先を絡めた両手を力なく机上に触れさせている。

 二人とも互いに目を合わせないよう、俯いていた。


 目があえば微笑みを交わす。そんな仲睦まじい二人を見つめてきたオーランドは呆然と見つめる。この場に居ながら、まるで部外者のように棒立ちをし、喉を閉められているかのように声一つ発せられなかった。


(なんだんだ、この雰囲気は。こんな二人を、俺は今まで見たこともないぞ)


 場に垂れ込む暗澹とした空気に飲み込まれるオーランドは、指先さえも、縛り付けられたかのように動かせない。

 訳も分からぬ儀式に急きょ同席させられ、未だ現状を把握しきれていなかった。


(俺が王都から離れている間に、どうしてこうなった。なぜこんな未来を迎えることになったんだ)


 月明かりが窓辺を照らす闇夜に紛れ、まるで闇の儀式でも行い、誰かを呪い殺そうかという様相だ。

 テーブルに置かれたただ一つの洋灯が、机回りを囲む人々の凹凸を際立たせる。

 リディアの養父であるスタージェス公爵とリディアの一族の代表者であるデボラ。彼らは、テーブル越しに向き合う二人を無感情に監視する。


(俺が……。俺に、問う隙さえ与えてはくれないのか)


 王都に戻り知らされた時には、すべてが決した後だった。若輩者に知らされるのは最終決定と、役割のみ。

 オーランドはなにもかも蚊帳の外だった。

 いつも、どこでも。

 それが立場というものだとしても、今ほどそれを悔しいと思ったことはなかった。


 ジャレッドが震える指で書面を滑らせる。リディアの目前に押し出された書類から、震える指をジャレッドが離した。握った拳を、腹に押し付けた。


 洋灯が照らす橙と黒のコントラストが、リディアの横顔に陰鬱な影を落とす。生気を欠いた両目からは何の感情もよみとれなかった。


(リディア、お前はそれでいいのか)


 リディアの横顔から目を離せないオーランドは喉奥で呻いた。

 歯がゆさのあまり、唇を薄く噛む。血が出るほど噛みたかったものの、我慢する。


 個々の心音さえも聞こえようかという仄暗い静寂のなかにあって、オーランドだけは空間に馴染まない想いを腹に燻らせていた。


 憔悴した面持ちのリディア。

 艶やかな濃い赤茶色の髪と瞳を持つ彼女は十六の頃よりジャレッドの婚約者であった。


 同じ学院で過ごすなかで、二人の仲睦まじい姿を見てきたオーランドは、末永く二人は寄り添い、国を治めていくのだと当たり前に信じ、その治世を支える柱の一人として生きていこうと決めていた。


 それが一転し、こんな事態になるとは夢にも思わなかった。


 事情説明を受けたのは直前。

 婚約解消の原因は対立でも不仲でも、不貞でもない。


(リディアはなにもしていない。なにもしていないのに……)


 兄とリディアを見つめ、宿すことも許されない怒りを瞳の奥底に沈めるオーランドは拳を握りしめる。


 地方討伐に出ていた一月(ひとつき)の間に、リディアが国に災いをもたらす魅了の魔女であると判明した。


 魅了の魔女は国の端にある鬼哭の森に追放される習わしだ。

 追放されるだけではない。

 魔女は処刑される。

 古来より、その様に定められ、王家は国を統治する裏で魔女を狩っていた。


 魔女を狩る者も決まっている。

 王家の血を引く者のなかで、最も魔力の強い者が代々就任する聖騎士。

 表向きは鬼哭の森から流れてくる瘴気を払い、森奥に潜む魔物を狩り、国の安寧のために働く職業とされているものの、その真の役割は魅了の魔女を狩ることであった。


 第四十八代の聖騎士に任じられているオーランドは、聖騎士として、魅了の魔女を処刑せねばならない。

 

 殺し方も決まっており、鬼哭の森の奥にある石造りの巨大な古代神殿の祭壇での断首と決まっていた。

 首と胴を切り離し、とうとうと流れる血を祭壇と月に捧げるまでが、聖騎士の役割である。

 証拠として首を持ち帰り、一族へと返納するまでが儀式として定められていた。


 そんな廻り巡ってきた役回りにオーランドの腸は話を聞いて以降、ずっと煮えたぎったままであった。


(俺がリディアを殺さねばならないだと!

 俺の魔力は魔女を断罪するためにあるだって!

 そんないつ誰が決めたかも知れないしがらみに、なぜ俺は従わなくてはならないんだ!!)


 血反吐が出るほど叫びたかった。


(俺はリディアを殺したくない!!)


 どんなに魔力を持っていても、運命を断つ力など欠片もないことが悔しかった。

 強かろうと、尊敬されようとも、それが宿命の連鎖を断ち切る力には、けっしてならない。

 


  ※



 魅了の魔女は断罪される。

 生まれたことが罪だからだ。

 

 魅了の魔女は王家に連なる者を惹きつける。

 その魅力に惑わされ、国が滅びかけたことが三度あった。


 まだ、魅了の魔女が存在すると知られていないとある時代。

 一人の女を取り合う二人の王子のいがみ合いが発展し、政争につながった。第一王子と第二王子の争いは貴族を分断し、激化した派閥争いは城内部(しろないぶ)で流血沙汰をも引き起こした。

 現状を嘆いた一部の貴族と平民が蜂起し、女を暗殺し、政争はぴたりと止んだ。

 王子たちは失意のあまり蟄居(ちっきょ)した。

 自らの行いを悔いたのではなく、女を失った悲しみに打ちひしがれて、生きる気をなくしたのだと言われている。

 二人の王子は衰弱死し、残された姫が公爵家から婿を得て、なんとか国情を整えた。

 政争が激化した背景には、女の魅了が公爵家にも及び、あわよくば彼女を手にしようとた者たちの私情も絡んでいたと言い伝えられている。


 国を転覆させかねない魅惑を備えた、異常な魔力を持つ女を『魅了の魔女』と名付けた。


 魅了の魔女は王家を惑わす。その影響は王家の血と連なる公爵家まで及ぶ。


 魔女の特徴は高い魔力。そして、王族にしか感じ取れない芳香を放つことだ。


 二度目に現れた魅了の魔女は王を誘惑した。どんなに魅了の魔女を追放せよと王へ忠言しても、聞き入れられず、魔女の望むまま、彼女の欲するすべてを王は与えた。税は重くなり、人々を苦しめる。

 忠言に及ぶのは、侯爵家や伯爵家ばかりであり、公爵家は魔女の魅力に屈し、のらりくらりとしていた。

 その中で、唯一、正気を保っていた者がいた。当時の王太子であった。彼は魅了の影響を受けない貴族の力をかり、王を捕縛(ほばく)した。逃れた魔女をどさくさにまぎれて匿った公爵家からも奪い返し、王太子は魔女の首をはねた。魔女が息絶えると、王も公爵家も正気に戻る。王は全ての罪を背負い断頭台の露と消えた。


 王太子はなぜ魅了に毒されなかったのか。

 王太子だけでなく、公爵家のなかにも毒されていない者がいると判明する。彼らは一様に、ある一定以上の魔力を備えていた。


 王となった王太子は、手始めに公爵家から一番魔力の強い者を選び、その者にスタージェス公爵位を叙爵した。

 以来、スタージェス公爵は世襲ではなく、強い魔力を有する王家に連なる者を特別に迎え入れ、代々魔女の監視者となる業を背負った。


 時を経て、三人目の魔女が産まれた。

 彼女はすぐに当時のスタージェス公爵に見いだされる。


 しかし、彼女の魅了は強く、王家や他の公爵家の一部が彼女を匿おうとした。


 スタージェス公爵は何人かの魔力の強い王族の協力を得て、魔女を捕らえた。その魔女を、国の端にある鬼哭の森で毒杯を(あお)らせ、奥深くにある古代神殿で断首した。


 魅了の魔女が消えると、王家や公爵家の人々も正気に戻る。


 これにより、魅了の魔女が見つかった際の手順が決められた。


 魔女の魅了が力を完全に発揮する前に捕らえ、鬼哭の森で、その時最も魔力の強い王家に連なる者が、魅了の魔女を断首する、と。


 スタージェス公爵は絶やすことはできないとし、前身となる聖騎士が設けられた。


 何度、魅了の魔女が出現しても、その手順にのっとり、王族は秘密裏に魔女を葬ってきたのだった。



  ※



 今宵。

 月も星も綺麗な雲一つない真夜中。

 まるで闇の儀式でも行おうかという雰囲気が漂う室内で、今まさに、新たに見出された魅了の魔女が、生まれた罪を償わんとしていた。


 部屋の中央に椅子を添えないテーブルが置かれ、六人が取り囲む。端に置かれた洋灯が人々の輪郭を橙に染め上げる。

 

 生気が消えたリディアの眼は、まるで断頭台に登る前夜に、牢獄でうつむく囚人そのもの。


 椅子のないテーブルを囲む六人のうち二人は見届け人だ。

 スタージェス公爵、リディアが産まれた一族の代表者デボラ。二人とも魔力を持ち、魅了の魔女の影響を受けにくい。

 二人は、テーブルの上に差し出された婚約解消の書類を凝視している。


 陰鬱としたリディアと向き合う疲れ切ったジャレッドの横にはリディアの妹のオリヴィアがおり、見開いた目から絶え間なく涙を流していた。


 リディアとジャレッドの横顔を見つめるオーランドは、ふつふつとたぎる怒りをすでに抑えきれなくなっていた。


(リディアはなにも悪くない。なにも悪くないのに! なぜ、彼女だけが産まれてきた罪を問われなくてはならないんだ)


 兄である王太子ジャレッドの所業も、スタージェス公爵の決断も、父たるの王の虚無な説明も、なにもかもが納得できない。許せなかった。


 ジャレッドが置いた書面をリディアが引き寄せる。横に置かれたペンを持ち、インク壺にペン先を浸す。


 未練を残す男と、覚悟を決めた女。

 決別を宣告された二人の心はもう異なる方向を向いていると象徴する所作であった。


 ペン先を持ち上げ、リディアは深く息を吸って吐いてから、サインする。

 紙とペン先がこすれる音の雑音にオーランドは眉をしかめた。

 書類に著名したリディアは、ペンを置く。

 スタージェス公爵が書類を手にして、著名を確認した。彼が軽く頷くと、その場にいた全員が、婚約の解消が滞りなく終わったと認識する。

 ジャレッドが両手を顔で覆って呻いた。


 ほんの数秒のことなのに、オーランドにはひどく長い時間に感じられた。






 

 本来、魅了の魔女を断罪するのに、このようなまどろっこしい書類のやり取りは不要だ。

 魔女を断罪するのに、表の法は無効である。

 では、なぜ、この場で婚約解消を儀式のように行ったのか。

 その理由は、リディアを魅了の魔女と知っていながら隠ぺいしたジャレッドに対する自覚を促すための罰であった。


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