99 グラード公からのお誘い
サモン一行はロレンティアの手前で馬車を送還し、“バヌー”を手で引いて街へと入った。
これは、“このままでは人目に付きますよ”というスターリアの意見に従ってそうしたまでだ。
そのおかげでさほど目立つことはなく街に入れたのだが、なぜか今サモンはベイヤード商会本部の会議室にいた。
スターリアと冒険者ギルドへ依頼の経過を尋ねに寄ったところ、職員からスターリア宛に言付けがあり、サモンも一緒にベイヤード商会へと招かれてのことだった。
通された部屋で待っていたのは、ベイヤード商会会頭のサバスの土下座姿であった。
そしてやや遅れてロレンティア領主グラード・ユージン公爵が姿を現し、片膝を着いての挨拶し、大森林の主を呼びつけたことの謝辞を述べたのだった。
初めは驚いたサモンだったが、堅苦しい話は抜きにしてくれるよう願い、用件を述べるよう催促した。
「お忍びであるということは重々承知しておりますが、さすがにご挨拶を申し上げない訳にもいかず、格式ばったものもお好きではないとお聞きしましたので、このような形をとらせていただいた次第でございます」
ロレンティア領主を名乗った男は、公爵でありながらサモンに対して恭しく言葉を述べる。
言葉には公爵邸に呼ばずに、商館の一室に呼んだのもサモンの性格に気を使ったことを暗示していた。
「そうか、用件は挨拶ということかい?」
「は、はい、確かにご挨拶を申し上げたいというのが第一ではございますが、もう一つ此度の目的などをお聞かせ願えればと思った次第です、ハイ」
「ん、来た目的だったら俺のことが伝わっている時点でわかっているんじゃないのかい?」
当然、自分を呼んだということはスターリアの休暇願いの件で漏れたはずなので、おおよその見当はついているはずなのでは?ということだ。
「あ、はい、“バヌー”と“ケイジュ”をお探しだということは聞いておりますが、敢えてこの2つをお探しになっているのが気になりまして……」
グラード公に成り代わってサバスが答えた。
一般的に“バヌー”と“ケイジュ”の価値は、耕作と食用だ。
であれば、大森林から遠く離れたロレンティアまで探しに来なくても代用品はいくらでもある。
何か“バヌー”と“ケイジュ”でなくてはならない目的が、あるのではないかと。
大森林の主が、わざわざ足を運び探しに来た目的が他にあるのではないかと疑っているのだ。
「ん~、敢えてと言われるほど重要な理由はないよ。自分が食べたいものを探しに来ただけだから」
“へ?”
わざわざ大森林の主が自ら足を運んでやってきたからには、重要な目的があるはずだと深読みしていたサバスとグラード公にとっては全くの肩透かしな回答であった。
サモンの回答にサバスとグラード公も沈黙する。
「まあ、それについてはスターリアにも言ってあるけど、“バヌー”と“ケイジュ”を複数飼って乳と卵を安定して手に入れたいんだよ。ただそれだけさ」
サモンはスターリアに説明してあることを大筋二人に説明した。
そしてイザハル村の事。
村で“バヌー”を育てるために支援をすることを話した。
サバスもグラード公もなぜそこまでしてまでと口にしたが、育てられるなら近い方が“バヌー”への負担が掛からなくて良いだけだと返し、一応黙らせた。
「しかし、それほどのものなのでしょうか? その甘味とやらは?」
まだ本格的な甘味を味わったことのないサバスが、素直に疑問をぶつける。
「まあ、少なくともまずくはないよ。甘いものが嫌いな人もいるかもしれないけど、大抵は気に入るんじゃないかな? 特に女性や子どもはね」
ミリスやモデナの顔を浮かべて、サモンは強調した。
そうした者達の笑顔もサモンの重要な行動原理だ。
「サモ……、アカシ殿がそこまでおっしゃるのであれば、左様なのでしょうけれど。蜜でもよいのではないですか?」
商会のトップであるサバスでさえ、“甘味”というものを知らない。
蜜や甘い果実などはわかるが、どうもサモンの言う“甘味”をイメージできないのだ。
「う~ん、確かにそうだけれど。甘いだけじゃね……、食感や匂い、見た目だって楽しみたいわけさ」
「食感や匂いですか……。なるほど、そうなのでしょうなあ、その手の方、食に道楽を求める貴族もおりますからな」
まがりなりにもグラード公も貴族だ。
それも帝国内でも高位の貴族だ。
そんな彼からすれば見知った者にも食に道楽を求める者も多くいるのは確かだ。
グラード公にも理解はできる。
「じゃあ、そういうことで。別に問題ないよね?」
「はい……。大森林の方が常駐するわけではなさそうですし、ロレンティアの領地ではないので……」
「あっ、そうか。イザハル村ってどこの領地になるの? 話を通さないとまずいかい?」
「ラインスコット伯爵領になると思いますが、おそらくは出資だけであれば、問題はないかと思います。それにその甘味の人気が上がれば“バヌー”の乳も需要が上がり、交易品にもなりえるわけで、こちらとしてもありがたいことになります」
イザハル村は領外ではあった。
しかし、アレクサの競技場と同様、施設を建てるだけだというならば、誰も文句を言うことはない。
「ああ、そうだろうね。だからそれについてはスターリアにお願いしたよ。すぐにってわけにはいかないだろうけど」
サモンの一言に畏まったスターリアに、サバスとグラード公の鋭い視線が向けられる。
サモンによる事後報告となった状況に、スターリアは薄目を開けてサバスを見るが、密かに親指を立てたサバスの姿が見え、ホッと胸を撫で下ろした。
「いえ、新しい産物ができるのであれば、領主としても喜ばしい限りです。特にこの街は交易の街ですので、うまくいけば北方との交易も伸びるかもしれません」
ロレンティアの交易品は木材や布のほか、魔獣の素材に日用品だが、実際には木材は価格が減少しつつあり、逆に輸入している鉱石や油等が高騰し始めていた。
そのため交易のバランス的にも“ラフ・グラン(帝国)”側の取引額が多くなりつつあり、“ラフ・グラン(帝国)”側に押されつつあるのだった。
そういった状況下や先の移住者の問題などもあり、グラード公としても優位性を確保できるような起爆剤を欲していたのだった。
「交易ねえ……。そういえば港をまだ直に見てはいないのだけれど、立派な港があるんでしょ? 海を見たら大きな船が何艘も浮かんでいたよ」
「大きな船? ……はい、恐らくアカシ殿がご覧になったのは、“ラフ・グラン(帝国)”の船だとは思います」
「へえ、“ラフ・グラン(帝国)”の船なんだ」
「はい、恥ずかしながらこちらには、まだあれほどの大きな船を造れる技術を持ち合わせておりません」
これまで大陸内で覇権を争う歴史が長い帝国と聖王国は、国内の技術的な発展は伸びず、早くから北の大陸を統一したのがラフ・グラン新帝国であった。
そのため技術的な進歩の差は大きく、ラフ・グラン新帝国は内政を着実に充実させていく一方、積極的に別の大陸への進出も図るようになった。
結果、外洋航海術や造船技術の向上が図られ、交易や軍事力でも帝国と聖王国にとっても大きな脅威となっていた。
「ふ~ん、確かに大きくて立派な帆船だったなあ。まあ、でもがんばれば作れるんじゃない? そのうち」
二つの大きな帆が印象的なラフ・グランの船は大きくて立派だったが、サモンには今の帝国では作れないレベルでもないように思えた。
おそらくドックや設備の問題のように思えたのである。
それともう一つ。
どうも帝国の船はほぼ三角帆の船であることに気がついた。
これは現代世界においても船の歴史を知っていれば、ラフ・グランの優位性に気づけるのだが、そこが外洋航海の経験が浅い帝国の弱みなのだろう。
長期の航海に必要なものはなんといっても食料や水だ。
そのためには船を大きくすることが必須だ。
しかし三角帆は向かい風に対する逆走性能に優れ、小形であれば操帆作業が容易なのだが、横に振ること(タッキング)によって操船を行うので、大型になると操帆が難しく危険でもあった。
そのためラフ・グランのような大きな船まで発達しなかったのだろう。
「そうかもしれませんが、場所もなければ技術者もおりません。ラフ・グランの造船技術は秘中の秘。停泊中の船にも近づけません」
「へ~、よほどの秘密なんだね。それほどでもないような気がするけどなあ」
そこでサモンが知る先ほどのような三角帆(縦帆)と四角帆(横帆)による特徴や原理を説明してみせた。
「なるほど、そういう仕組みだったのですね。であれば我らでも作ることは可能かもしれませんな」
「ふむ、まさか船が進むのは風に押されるのとばかり思っておったが、引き寄せられているとは……。これは誠に無知の極みだったわ。サモ……、いやアカシ殿は誠に博識であられる。早速船大工どもに知らせてやらねばの」
グラード公はサバスへ笑みを向けると、サバスは頷いた。
そしてグラード公は長く引き止めたことに謝辞を述べ、サモンとスターリアはやっと解放されたのだった。




