97 牧場のすすめ
目指した谷までは1時間と掛からずにサモン達は辿り着いた。
道らしき道はなかったが、獣道のような微かに何かが通った跡を辿りつつ、気配を殺しての接近であった。
その努力の賜物か“バヌー”であろう集団は、サモンに送られてくる探査データでは大きな移動の形跡はなかった。
「さて、どうやって捕まえるかだが、ツーラ達はどうやって捕まえるんだい?」
「縄でふん縛って、他を追っ払ってから、鼻に輪っかをつけるだよ。そうするとたいがいゆうことを聞くだ」
そう言いながらツーラは背負った袋の中から縄の束を掴み出す。
「縄で? 縄でかあ……。まあ、どこでも似たようなものなんだな。でも力負けするんじゃないか?」
「んだ、だから普通はもっと大勢でやるだ。だども、おめえさま“冒険者さま”じゃろ。なら問題あんめえ」
“冒険者だとこんな少数でも捕獲が可能なのか?“とサモンは思ったが、横にいたスターリアは頷いている。
この世界の冒険者がどこまでの能力を有しているかは、サモンにとってさほど問題ではなかったので気にはしていなかったが、ここに来て初めて実感した気がした。
「“冒険者さま”ねぇ~、確かにそうだな。まあ、ここまで案内してくれたんだから、あとはこのニケがやってくれるさ、な」
サモンはニケの肩を叩き、丸投げをしだした。
ニケ任せというのは初めからの予定ではあったが、臆面もなく宣誓するのはどうかというところだ。
当のニケは返答していないが、すぐさま行動に移り進み出す。
そんなニケを見てサモン達も後を追った。
あと100mほどとなった頃合いに、サモンはスターリアとツーラに待機の指示を出し、その場に留まる。
すると先を行くニケは不可視化を展開し、サモン達の視界から姿を消した。
当然ツーラは驚くが、口に手を当てサモンが黙らせる。
すでにサモン達の目にも“バヌー”の姿は捉えられる距離だ。
悟られてはならない。
するとしばらくして、群れの一頭の首にどこからか縄が飛んできて巻き付いたようだ。
いや、巻き付いたわけではない投げ縄のようだ。
首を絞められた“バヌー”はとっさに暴れ始め、縄の力点と反対方向に逃げようと走り出す。
その様子に驚いた他の“バヌー”は低く長いうめき声を上げ、皆一斉に逃げ出した。
捕まった“バヌー”はなおも抵抗し、縄の先のニケと対峙していたが、だんだんとニケに手繰り寄せられていった。
その頃にはニケの不可視かは解かれ、さらに強引に距離を詰める。
“バヌー”も必死に抵抗したが、ついにはニケと手が触れる距離までになった。
その瞬間にニケは強引に手元に縄を引き、頭を押さえ、そのまま地面まで“バヌー”の頭を下げさせた。
すると“バヌー”は観念したのか、“ムフー”と大きな鼻息を吐き、体までも地面に伏せて大人しくなった。
その様子を見たサモンは、警戒もせずに“バヌー”に近寄る。
「遠目からは気づかなかったけど、鼻の上にコブ? いや角があるんだな」
そういって“バヌー”の顔を近寄ってまじまじと覗き込んだ。
そうこの世界の牛こと“バヌー”は現代の牛とほぼ姿は似ているが、ただ一つ鼻の先にコブのような角があるのだ。
それ以外はどう見ても変わりがない。
「さすが“冒険者さま”だんべ。初めてだんべ、一人で捕まえるお人は」
ツーラに聞いた話だが、本来はニケのように縄で動きを止めた後、さらに別の者が足にも縄をかけて引きずり倒してから、香草を使って大人しくさせるのだそうだ。
だがこの捕まえた“バヌー”は、すでにニケに降参しているのか大人しい。
そして、ニケが何を思ったのか縄を掴んだ腕を上げ、“バヌー”を立たせた。
やはりすでに服従しているのだろう、“バヌー”は素直に立つと、ニケがあらかじめ用意した輪っかを鼻に装着した。
牛、いや“バヌー”といえば鼻輪であるとサモンが用意したものだ。
聞けばこちらの世界でも鼻輪を使って移動するとのことだったので、そのあたりはサモンにとっても助かった。
これにて無事に“バヌー”の捕獲は終了したのである。
しかしとりあえず“バヌー”を捕獲したものの帰り道はひどくスローペースであった。
素直にいうことは聞くものの、引いていくにはあまりにものんびりだ。
生物のため転送するわけにはいかず、おかげで村に戻る途中一泊する羽目になった。
サモンとしては、ツーラやスターリアがいなければニケ達を使って何とでもなることではある。
だが、あまりニケ達の技術力を見せつけるのも気が引けたので、そのままこの世界のささやかな苦労を味わうことにしたようだった。
その夜、火を囲み食事をする中で、サモンはツーラに尋ねてみた。
「なあ、ツーラ。もし俺達が“バヌー”の飼育に成功したら。あんた達もやってみない?」
「“バヌー”を? おら達がか? 食わせる餌が高ぇだよ。魔獣とかの肉のほうが安いしな」
そう、“バヌー”を育てるには手間や餌代などが掛かる。
しかし、ここイザハル村は丘陵地帯ではあるが、草原が広がる土地だ。
それに魔獣も少なく、冬も厳しくはない。
冬は多少なりとも餌の用意は必要かもしれないが、放牧で十分であると思われる。
もしだめなら寒冷期にも強い草を植えればいいとサモンは考えていた。
肉用に飼育するようであれば、それなりの飼料が必要であり、それなりの管理も必要だということはサモンでも知っている。
当然そんなことをしていては、魔獣が食されるこの世界で勝ち目がないことぐらいは理解できている。
「いや、乳しぼりのほうさ。まあ、肉はそのうち考えるとして、乳は乳だけじゃなく他にも使い道があるんだよ。まあ、今は検討段階だけど、こっちで成功したら教えるからここの土地を利用してやってみないか?」
もともと“バヌー”を捕まえに来たのはバ乳のためであり、ひいては甘味のためである。
要は乳製品の加工と普及が目的なのだ。
ただミリスやモデナの反応を見るかぎり、サモンとしてはこれもまたヒット商品となる確信があったのだ。
そのためにマルティナにも協力を願ったのだ。
しかし、それ以外の街にまで波及した場合を考えれば早めに手を打つことが必要だ。
下手をしたら暴動が起きかねない。
だが臭いなどもあるため、広く人の少ない土地となると、今のところイザハル村周辺がうってつけなのだ。
しかも野生の“バヌー”の生息地にも近い。
「乳だけじゃねぇ? ん~ちこっと意味さわかんねな」
当然ツーラにとっては、サモンの口から出る言葉だけでなく考えさえもわかるものでもない。
隣にいるスターリアでさえ、乳しぼりはわかっても最終的な状況がイメージできないでいるのだから。
そこでサモンは違う視点でアプローチを試みた。
「まあ、そうだろね。たださ、これだけの土地、畑ばかりじゃもったいないよ。作物だって病気なんかが流行れば全滅だろ? 村全体が飢饉になっちまうじゃないか」
そう、畑も同じものを作り続ければ障害が起こる。
病気でも流行れば村全体に広がり、作物ができなくなる。
実際、ツーラのイザハル村でも過去に経験があった。
「んだ、だから対策はしちょる」
ツーラのいう対策は年単位で畑を休ませたり、作物の入替えを行うとのことだ。
「なら例えば休ませている畑で“バヌー”を飼ってみればいいさ。翌年にはその畑の土が良くなるぞ」
「馬鹿言うでねえ、そったらことで変わるわけねぇべ」
「まあ、それ以外にもやりようはあるけれど、それだけでも結構違うよ。これはうちの街でもやっていることなんだけどね。あと灰を撒くとかね」
そう確かに大森林でも“バヌー”の排泄物ではないが、生ごみを腐らせたものを混ぜた腐葉土を生かして肥料としている。
エルフ達でさえも腐葉土の利用は知っていたが、それは経験上であって理屈は知らなかったのだ。
当然さらにそこに別のものを混ぜるということも知らなかったのである。
土の栄養価という概念をマルティナに教えたときは、まるで神様を見るような目で礼を言われたものだとサモンは思い返す。
おかげで大森林の野菜は、他の土地の物よりも立派だと言われるぐらいにまでなった。
「んなこといわれてもなあ。いろいろ設備もあんべ、そったら金もねえしな」
まあ、そのくらいはサモンも村の様子を見ているのでよくわかっている。
実際、イザハル村は侘しい村というほどではなくとも、裕福な村でないことは知っている。
だから相手が乗りやすいような提案をサモンは用意していた。
「ああ、設備ね。設備なら協力はできるよ。なんなら試験運用という形で俺のほうでやらせてもらってもいいけど。ただいくばかりかの土地を借りることになるけれど」
「試しってこったか?」
「ああ、そうだよ。その結果を見て良ければそのまま設備なんかはあげるよ。それを使って続けてもらえばいいし、自分達に合ったやり方をしてもらってもいいよ」
敷設するものは牛舎と柵くらいである。
ニケ達にとっては造作もない。
あとはツーラが気に入るかどうかではあるが、サモンは気に入ると確信している。
「そのままもらえるってことだか? ………………そんなに広い場所じゃなくてもいいだか?」
「ああ、試験的なものだからこちらはかまわないよ。そのかわり一応そっちが管理しやすい場所にしてもらったほうがいいと思うよ。気に入ったら管理するのはそっちだからね」
結果、ツーラは長い思案の後了承した。




