96 湖畔にて
一方、あれからサモンとスターリアは1日半ほど街道を進み、“ビストール湖”らしき場所に近づきつつあった。
“らしき場所”というのは、地形データを見ると複数の湖沼が読み取れるためであった。
途中、道行く旅人に聞いたところによると一番大きな湖だとのことなので、当たりはつけていた。
この辺りはすでに、小さな領主たちが点在する地域である。
そのためか未知の整備も大きな領主の地域よりも整備が行き届いていないところも多く、幾分歩きにくくなってきていた。
「そろそろ、見えてきてもいいのだけれど」
「そうなのですか? そうであればいいのですけれど」
これまでの道中を考えるとスターリアにも疲れがたまっているのだろう。
表情にもそれがうかがえた。
サモンもそれに気づかないほどのニブチンではないので、一息入れること西道のわきで腰を下ろすことにした。
しばらくすると牧歌的な景色にマッチした一台の荷馬車が通りかかった。
「どしたい? 具合でも悪いのかい?」
荷馬車に乗った農夫らしき男が話しかけた。
「いや、具合が悪いわけじゃないよ。疲れ気味なので休んでいるだけさ」
「お前さんじゃなくて、そっちのお嬢さんだよ」
男は引っ込んでろと言わんばかりに農夫は遮る。
「い、いえ、私は大丈夫です」
「そんな姿で大丈夫って言ったって……、少し先までだが、何なら乗ってくかい?」
農夫は十分に人が乗れるほど空いているスペースを指さし、手招きをした。
サモンはスターリアの辛そうな表情と農夫を見比べ、素直に応じることにする。
農夫は隣の村、ドマ村まで親戚に野菜を届けた帰り道らしい。
すでにサモン達が通り過ぎた村だ。
農夫の名前は、“ツーラ・ドメイン”と言うらしい。
「なあ、あんたらはどこまで行くんかね?」
「 “バヌー”を探しに“ビストール湖”までってところかな」
「ああ、“ビストール湖”か、それなら歩きであと半日はかかっぞ」
「そうか、あと半日か……」
そう言われて視界に端に映し出されるマップを見て、“ビストール湖”を確認した。
元々予測ではあったが、その予測はあっていたようだ。
だが、その周囲には集落らしい形跡はない。
その少し先にはあるが、今いる場所からは1日ぐらいの距離だった。
「ビガンボ村というのがあると聞いたけれど、 “ビストール湖”の先かな?」
「ああ、そうだな。……“バヌー”なら街道から“ビストール湖”の反対のほうだぞ。お前さん、“バヌー”が欲しいんかい?まあ、ビガンボ村が一番近いといえば近いが」
「ああ、飼ってみたいんだよ」
「飼う?……畑でも耕すんかい?」
冒険者のような風体のサモンを訝し気にツーラは見やり、不思議そうな表情を向けた。
「いや、言葉通りに飼うのさ。飼って乳を搾るんだ」
「乳を搾るねえ。……うちのガキ共も小さい頃は好きだったがなあ」
「やっぱり、ここらでも飲むのかい?」
「出たり出なかったりだから、いつもというわけじゃないど」
「そうらしいな。だからいっぱい飼うのさ」
「いっぱい飼う? ハハハッ、なんだ“バヌー”の雄にでもなる気かの?」
「“バヌー”の雄? なんで?」
「“バヌー”ってのは、雄が複数の雌を連れて一家を構えるんさね。なんだそげなことも知らないんか」
どうもツーラの話では、“バヌー”は一夫多妻制の集団であり、雌は大人しいが、雄は集団になると縄張り意識が強くなるらしい。
またこの辺りで“バヌー”を飼っている家は多いが、餌の量の関係でわざわざ”バ乳“のために多頭飼いをしている者はいないらしい。
中には交易用に飼う者もいるが、世話や餌などの関係もあり一時的なものであるということだった。
そんな話をしているうちにツーラの村、イザハル村に着くことになる。
日はまだ高かったが、ビガンボ村までの距離はまだあることもあり、スターリアも疲れが抜けきらない様子であったので、その日サモンはそのままツーラの村で休むことにした。
早めに休んだこともあってかスターリアも回復し、翌朝からサモンはイザハルから立つことになる。
また、せっかくだからということで、ツーラが案内もしてくれることとなった。
ツーラの荷馬車に揺られながらサモン達は村から街道へと進んでいく。
あらためて周囲を見回してみると、周りは緩やかな丘陵に囲まれた地形に沿って折り重なるように畑が広がる農村部だ。
これまで通ってきた街道沿いにあった村の中では、一番開放的な光景が広がっていた。
村の外にこれだけ畑があるということは、それだけ魔獣の出現も少ない証拠である。
「ま、確かに魔獣は滅多に来ないけどな。獣や魔蟲はいるからそれとの戦いだな」
ツーラによると魔獣はいなくても魔素が薄いだけなので、作物を食い荒らす魔蟲がいるとのことだった。
また魔獣がいないため獣が多くおり、その食害も多いということであった。
そのためなのだろうあちらこちらの畑が柵で囲まれていた。
その後街道から別に伸びた脇道を進み、小さな丘を何度か越え、やがて乾いた地面が水分を含んだような地面へと変わってきた。
しばらく進むと今度は視界が一気に開け、低い草の生い茂る草原が出現し、その先に陽の光が反射する水面らしきものが見えてきた。
「あれが、“ビストール湖”かい?」
視界のマップでも確認はしたが、サモンはツールに尋ねた。
「うんだ、あれが“ビストール湖”だ。もう少し行けば“バヌー”の縄張りに入るだよ」
ツーラがそう言ってから10分ほど進んだあたりで荷馬車を止めた。
「ここからは荷馬車が進めねえだ。あとは歩きだな」
「いや、おかげで助かったよ」
冒険者でもないスターリアがいることを考えれば、サモンの言葉は本音であった。
サモンだけであれば、もちろんニケがいてくれるのでなんとでもなるが、今回の旅はなるべくこの世界の者らしく旅を楽しみたかったのだ。
そんな妙なこだわりが、あったからこそスターリアの同伴を認めていたのかもしれないかった。
「まあ、“バヌー”と出会えるかはわからねぇだが、この景色を見るだけでも価値があるべえ」
ツーラの言葉はその通りかもしれないと、サモンは頷く。
目の前には緑色の絨毯が広がり、その先の湖面にはその彼方に見える山と空の鏡像を映しながら広がるパノラマは壮大であった。
湖から少し外れる街道からは見れない光景であろう。
異世界で見慣れない景色を見てきたサモンにとっても十分に見ごたえのある景色だった。
この世界の住人であるスターリアにとってもそうらしい。
さきほどから薄く口を開けて茫然としている様子である。
見かねたツーラが声を掛けた。
「ここまでは来だが、この先どこまでいっがわからんど」
相手は獣だ、それはそうだとサモンも同意する。
そこでサモンは、ツーラにニケが自分の使い魔だということを説明した上で、例の探索用の黒光りする物体を飛ばした。
ツーラもニケの正体を怪しんでいたそうだが、何か訳ありなんだろうと思い詮索はしなかったそうだ。
だが召喚獣というとさすがに驚いていた。
魔素の低いこの土地で普通に動けるからだ。
“よっぽど高名な魔術師様なんだべなあ”となぜかサモンは拝まれた。
スターリア曰く、“魔素の薄い場所で召喚獣を行使できる魔術師は、国家級の魔力を持った魔術師ぐらい”なんだそうな。
探索にはしばし時を要するので、その間食事をとることにした。
食事はツーラが家で用意した、パンと豆のスープだった。
スープを温め、パンをかじっていると、やがてサモンに探索データが送られてきた。
“距離もあるが、なんか対象が多いぞ。結構いるな”
距離にして5キロ先と離れてはいるが、生体反応が思っていたよりも多い反応があった。
ただ“バヌー”以外の可能性も高い。
そのため群れということだったので、サモンはそれでフィルターをかけてみる。
すると3つの集団がピックアップされた。
一応、そのことをツーラに伝えてみた。
「なるほどぉ、随分便利な獣魔なんだべ。ただ5km先となるとあの渓谷辺りになるべかな?」
ツーラは湖の端、その奥に見える谷のような場所を指さした。
サモンは肯定する。
「すったら、“ギー(山羊)”もおんね。どげんするかね、“ギー”も持ってっか?」
ギー(山羊)も群れで行動するようだ。
だが、“ギー(山羊)”ならば大森林でも手に入る。
「いや、今回は“バヌー”だけでいいよ」
当初の目的通り“バヌー”だけに的を絞ることにする。
「んだば、あの谷までいっがの」
ツーラののんびりとした気合と共にサモン達は立ち上がった。




