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92 バ乳、我求めたり

「では、あっしはギルドのほうへ手続きに行ってきます」


御者台に乗ったバレルモが一声かけて、スティール商会の馬車がゆっくり遠ざかっていった。


サモンはスティール商会の商隊に便乗して4日かけてロレンティアまでやって来ていた。

ケイバンとミリスには伝えてはあったが、今回は護衛のシスレィも連れずにニケと二人旅であった。

ラッセルに無理を言ってロレンティアに買い付けのために商隊を出させ、同乗してきたサモンだったが、それに巻き込まれたのがスティール商会の一人であるバレルモだ。


ここロレンティアには何日か滞在して、周辺調査を行い、モナンド方面に向かう予定だ。

ラッセルの話では、ロレンティア周辺に“バヌー”と“ケイジュ”がいる可能性があるとの情報だけなので、まずは冒険者ギルドへと向かうことにした。

アレクサやシャニッサでは怪しさ満点の全身フード姿は目立ちすぎたので、街中ではさすがにニケは不可視化にしている。

そのため他者から見ればサモンは一人旅に見えた。


そんなサモンが教えられたギルドの扉を開けて中に入れば、威圧するような視線が方々から浴びせられる。

なにしろサモンの中身は一般人だ。

威厳も何もない。

あるのは全身を包むニケの張った不可視のアニソトロフィ・シールドぐらいだ。

見た目にはシャツにズボンといったシンプルな庶民的ないで立ちに、申し訳程度な短剣を腰に差した姿である。

そのような姿で我が家のようにつかつかと歩き出せば、悪目立ちしない訳がない。

見たこともない新人のような者が自分の縄張りを我がもの顔で歩き回れれば、どこのギルドの冒険者でもいい顔はしないだろう。

ベテランともなればなおさらだ。

それでも別に気にすることもなくサモンは受付へとたどり着く。


受付の職員に自分の冒険者カードを提示し、“バヌー”と“ケイジュ”の情報を尋ねる。

カードはケイバンから以前に渡されたものだ。

ギルドの昇格試験を受けて所持しているわけではないので、偽物といえば偽物だが、一応大森林のギルドが発行したものだ。

なのでお忍びの時は重宝する。

等級はA~Cの3種類を持っているのだが、今回はC級の召喚士ということにしてある。


それでも見た目は新人のように見えるらしく、受付の職員も疑いの視線を向けてきたが、依頼の受注ということでもなかったので、素直に応対した。


「“バヌー”であれば、北西にあるシスカ平野、“ケイジュ”は聖王国側、リニーザ川の北東“ピタラス山”の麓の森で見かけると聞いていますね。まあ、まれに川の近くまでやってくるのもいるようですが。ただ数は多くないので、見つかるかどうかは運次第のようです」


「運次第ね。それだけでも十分だよ。ありがとう」


「何かの依頼ですか? もしかしたら市場に出ているかもしれませんよ」


「市場? 家畜が売っているんだ」


「ええ、時折ですが、市場で売り出している時がありますね。“ラフ・グラン(帝国)”からの買い付けもあるので」


おおよそのところはラッセルの話が正しかった。

“消費されている”とは輸出用ということらしい。


「“ラフ・グラン(帝国)”か、そういえばロレンティアは北方交易の玄関口なんだっけ」


「はい。なので、“バヌー”であればモナンドのほうから時々入荷してますよ。ほとんど“ラフ・グラン(帝国)”商人の依頼ですけれど、そのうち痩せたものとかかが市場に回されるようです」


活きが良いものは輸出用、悪いものは庶民用ということらしい。


「ふ~ん、はじかれた奴か」


「そのようですね」


「そか、ありがとう」


とりあえず必要な情報は手に入れたし、ある程度の状況は把握できたのでサモンは話を切り上げ、ギルドを後にする。

とりあえずこの街周辺にいることは確認できた。

サモン的には“ケイジュ”ならば依頼を出して、地元の冒険者に協力してもらってもいいと考えていた。

低級の冒険者には丁度良い依頼だろう。

問題は“ラフ・グラン(帝国)”商人の手が付いている“バヌー”であった。

話からすると“ラフ・グラン(帝国)”商人の独占のようなので、悩ましいところであった。


“ん、商会が絡んでいるなら商業ギルドにも話を聞いておくか。今ならバレルモもいるだろう”


サモンはそう思いなおして商業ギルドに足を向けた。

案の定、商業ギルドの前にはまだ商隊がおり、バレルモの姿があった。

早速バレルモを介して、ギルドの職員を紹介してもらう。

そして向かう途中ギルド内で、見知った顔が視界に入った。

その人物はここの職員と歩きながら話し込んでいる。

サモンは記憶を辿り、それがアレクサで一度商業ギルドのイサークから紹介された人物であることを思い起こすのに、思わず凝視してしまう。


名前がなかなか出ずに悩んでいると、向こうもサモンに気づき、驚きの表情を見せ急ぎ足で寄ってきた。


「お久しぶりです。ベイヤード商会のスターリアです。サモ……」


頭を下げながら挨拶をするスターリアに、サモンが手を挙げ制止する。

その挙動に慌ててスターリアが口を手でふさいだ。


「確か、アレクサのお店じゃなかったっけ?」


「はい、そうですが、本店がロレンティアなので、会議と商品の移動などがありましたので……」


「そう……。あ、俺は……スティール商会の……“アカシ”にしといて……」


サモンは小さく自分性を偽名として名乗った。

サモンの苗字を知るのはケイバンくらいだろう。

別に知られて困るものでもないが、この世界に来てから名乗る場面がなかっただけである。

なにせ引きこもっていたのだから。


スターリアはコクンと何度も頷き、話を合わせる。


「ア、アカシ様は取引か、何かでしょうか?」


「ん、ちょっと探し物だよ。丁度良かった、“バヌー”と“ケイジュ”を探しているんだ。まあ、この辺りにいるってことはわかったんだけど、“バヌー”がね。“ラフ・グラン(帝国)”商人に優先されてるみたいで、市場を進められたんだけど、先にここ(ギルド)」でもう少し情報があればなと思ってきたんだよ」


「“バヌー”と“ケイジュ”ですか……、確かに周辺で狩れるようですけれど、おっしゃったように“バヌー”は“ラフ・グラン(帝国)”向けが主ですね。市場に出るのは確かですけれど、頻度はそれほど高いわけではありませんよ。“ケイジュ”は“ピタラス山”の麓ですから、うまくいけば農民でも可能でしょうけれど、やはり駆け出しの冒険者へ依頼するのが早いかと……」


スターリアの見解は、やはりサモンと同様であった。


「う~ん、そうだよね、やっぱり」


「でも、わざわざこちらに直接来られるということは、何か特別な理由でもあるんでしょうか?……食べるためではございませんよね」


「まあ、飼ってみたくてね」


「家畜としてでしょうか?」


これはスターリアの商人としての感であった。

直接答えを問いただすのは、相手に不快感を与えることがあると経験上知っているからだ。


「ああ、街で飼ってみようかと」


「え、え~と、それは1頭や2頭ということでは、“ない”ですよね?」


サモンがわざわざこの街まで来ていることと、街で飼うと言っている以上、さらに多くの数ということになる。


「そう、多頭飼いだね。まずは“バヌー”10頭と“ケイジュ”30羽ぐらいかな」


この世界には魔獣がいる。

そのためどこの家や屋敷でも家畜を飼う場合は建物の中と相場は決まっている。

外で飼えば空の魔獣の餌食だ。

そのため飼うといっても普通ならば1頭や2頭だ。

“ケイジュ”ならばまだ可能かもしれないが、“バヌー”ともなればこの世界の常識では不可能だ。

普通であれば、耕作用か非常食用となるが、10頭と30羽となれば非常食どころではない。

まあ、大きな大宴会でもやれば別だろうが。


「一体、何を考えていらっしゃるんで?」


「乳しぼりと卵取りだよ」


「乳しぼりと卵取り?」


“バヌー”の乳を飲む風趣があることは話に聞いたことはあるし、“ケイジュ”の時折生む卵も食すと聞いたことはある。

しかしそれはあくまでも自分達で消費する分であって、わざわざ多頭飼いをしてまで欲するものではないというのが一般的だ。

そういうこの世界の常識が彼女の思考を鈍らせる。


「そうだよ。まあ、普通はやらないらしいけど。でもうまくいけば毎日牛乳と卵が手に入るからね。俺にとってはその価値があるんだよ」


「“牛乳”?」


「ああ、ごめん、“牛乳”じゃないか、“バヌー”乳か。……ん、言いにくいな。”バ乳“でいいか。あはは」


「“バ乳”……ですか。それを手に入れたいと? でも慣れないとどちらも病気になるといわれてますよ」


そのあたりはサモンも心得ている。

その対策もすでに考案済みだ。


「ああ、大丈夫。ちゃんと“殺菌”はするから」


「“殺菌”……とは? 初めて聞きますが」


この世界に菌やウイルスの概念はまだない。

ただ概念がないだけで、その存在はニケ達の調査ではすでにわかっていた。

ただ説明するにしても微生物や肉眼で見えない生物さえも知られていない世界なので、ただの商人であるスターリア嬢への説明はすぐにサモンは諦めた。


「ああ、そか……、まあ、病気にならないまじないみたいなものだよ」


何かはぐらかされた感はあったもののスターリアは、“大森林の主のことだ“と納得し、追及は諦める。

それでもサモンが、自分達にもなじみの少ない食べ物を求めていることはわかったし、それも常識から外れたやり方で成そうとしていることが、うかがい知れたことは大きな収穫であった。


「それほどまでして“バ乳”……ですか、それをお飲みになりたいんですか?」


「飲むのもそうだけど、……ま、甘味のためだね」


「か、甘味? あの甘い味のする甘味ですか?」


「そだよ。俺的にはスウィーツと言いたいけど。こっちではあまり甘いものは流通してないようなんでね。分りやすく言えば甘味だね」


スターリアにとって甘味とは、王宮などで時折出されるパン生地にハチミツや甘い果実を練り込んだものぐらいである。

それ以外の物は想像ができない。

想像できないからこそ、“バ乳”や卵の関係性も見えない。


「すみません。想像が追いつかないのですが……」


「ま、そうだよね。あくまでも俺自身のためだから気にしなくっていいよ」


いちいち説明するのがめんどくさく思えてきたサモンは、話を切り上げようとする。


だがスターリアは、大陸協会の式典時に会頭のサバスから呟かれた言葉、“だがそこまでだな”と言われた場面がなぜか蘇ってきた。

あのポリーヌを見るサバスの羨ましそうな表情を……。


あのわずかな時間で旧知のポリーヌは憔悴していたが、大役を勢いで背負いこみ、大きな転機を迎えた。

そのため商会を辞める羽目になったが、アレクサでカルヴォ公爵令嬢イングリッドの下で次のステップのために準備をしている。

あの後スターリア自身も協会との取引で何度も顔を合わせ、その生き生きした姿を目の当たりにしている。


これぞ商人の感なのかもしれない。

それは天啓のようにも思えた。

“逃すな”と……。


「わ、私も同行させて……もらえませんか?」


「えっ……」


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