90 乳と卵
それは不意にやってきた。
“なんかたまにはプリンが食いたいな”
誰しも不意に“何か”を口に入れたくなる時がある。
それは湯気の立つ白米であったり、ハンバーガーであったりと人それぞれだろうが、この時サモンが欲したのは“プリン”であった。
特に食べ物にこだわりのないサモンだが、思い返せば食べるものといえば、固めのパンや脂っこい肉料理、簡単な炒め物や原料がわからないスープなどがほとんどだった。
今さらながら“よく抵抗もなく口にしてきたな”と、サモンは思い返す。
唯一、レイナエターナから取り寄せられるカロリーメイトのような固形物が、現代風の味付けであったので、それがアクセントとなって満足していたのかもしれなかった。
それに一応この世界にもハチミツや甘い果物はあったので、特に不満はなかったのだろう。
だが、欲求とは不意にくるものだ。
ニケにも調査してはもらったものの、この世界で人種の手で加工された“甘味”はないようだった。
唐辛子のようなものはあるので、“辛い”料理はあるのだが、どうも“甘味”は一般的に普及していないらしい。
そもそもこの世界では“ナマモノ”も食べる習慣はないのである。
当然“甘味”で使われることの多い、卵や牛乳といったものも流通するはずはないのだ。
だからといって鶏や牛に変わるものがないわけではない。
食用やその素材用(羽や革)に飼っている者もいるので、多くはないがいることにはいた。
甘味の素となる原料も甘味成分を含んだ草がいくつか存在しており、抽出は可能という報告をサモンは受け取っていた。
そのため“甘味“作製のための環境は、一応整っていることになる。
ただ鶏や牛に変わるものは、元々が食用や耕作用で、卵や乳を採取するための品種ではないためその採取は不安定であった。
それに衛生的にも適合するかしないかというと、ニケによれば滅菌処理は必要との判断だ。
そこでサモンは牛に似た動物“バヌー”から乳を絞らせ、鶏に似た鳥“ケイジュ”が卵を産むのを待ち、甘味成分を含んだ草“サクル”も含めた材料を入手した。
牛乳は高温で数秒間炙り、卵は蒸留した高濃度アルコールにより滅菌処理しただけだ。
まあ、プリンの製作過程でも熱は通すのではあるのだが、うまくいけば他にも利用できるので滅菌処理を施したのだった。
結果的にはカラメルソースもない蒸しプリンの作成にとどまったが、これはこれで十分な“甘味“であった。
これに味をしめ、翌日には大陸協会の事務所にミリスやシスレィ達を呼び寄せて、カラメルソース付の蒸しプリンを振舞ってみた。
ケイバンは苦手だったのか、“悪くはないな”と世辞を述べるだけだったが、さすがに女性陣の受けは大きかった。
皆一様に一口目は口を掌で抑え、驚きに目を大きくした。
すぐに作り方や素材の質問攻めになったが、サモンが“バヌー”の乳と“ケイジュ”の卵と告げるとことさら驚いたのだった。
やはり病気を気にしたのかそのあたりの質問もあったが、熱を通してあることを伝えると皆安心したようだった。
やはりそのあたりの懸念は、この世界では常識なのであった。
やがて皆が落ち着いたところでサモンが一つの提案を示した。
「今回使った卵や牛乳は元々俺の世界では一般的な食べ物なんだ。そしてこの“蒸しプリン”のような“甘味”、まあ、こちらでも甘いものはあるが、これの原料でもあるんだよね」
先の皆の反応にドヤ顔で説明しだすサモン。
そんなサモンを面白くなさそうなケイバンが、その真意を問う。
「なんだ、これを流行らせたいのか?」
「いや、そうではないさ。流行らせたいというか、これに使われている原料を手に入りやすくしたい」
サモンとしては“蒸しプリン”を流行らせたいわけではない。
一応“プリン”は食べられたので、あくまでも狙いは卵や牛乳の生産なのだ。
「それはどこにでもあるように……と?」
「そういうことだね。……原料、つまり“バヌー”の乳と“ケイジュ”の卵、それとサクル。これを手に入れやすくする。“バヌー”と“ケイジュ”の飼育、サクルの栽培をやってみたいんだよ」
そして生産を安定させ、より安価に流通に乗せる。
「この“蒸しプリン”のためにか?」
「いや、そうじゃないさ。まあ、サクルは別として、乳と卵はこのままでも栄養価は高いし、料理のレパートリーも増える。恐らくこの世界に革命がおこるかもしれないよ。もちろん料理のね」
安定した生産体制さえ整えば、“プリン”なんていつでも食べられる。
それに生産に適した地がここ大森林とは限らない。
こうした技術はすぐに広がる。
乳と卵のようなキーとなる素材が広まれば、この大陸の栄養事情も変化し、子どもの発育なども改善していくだろうとの淡い期待もあった。
当然、そのためにはこの世界の医療事情の変革も必要だが、当面は白魔法のように回復呪文もあるわけだし、とりあえず自らの欲求も含め、食糧事情の改善が目標であった。
戦争も終結し、両国間の交易も盛んになりだすこのタイミングこそ広めるチャンスであろう。
「革命ですか?」
普通に聞けば物騒な言葉に、モデナが問いただす。
「ああ、そうだ。大森林でも複数の種族が集まってきているから、それなりに料理の種類は豊富だけど、その多くは塩味が多いよね。そこにこの卵や牛乳なんかを混ぜると味がまろやかになったり、コクが出たりするんだ」
サモンはこの世界のシチューにあたる物を思い出しながら話してみた。
おそらくこちらで食べられるシチューのようなものは塩味の利いた骨がらスープがメインだ。
まあ、野菜のダシも感じるがほとんどが単調な味だ。
そんな経験からいずれはホワイトシチューのようなものもできるのではないかと想像した言葉だった。
「コク?というのはわかりませんが、まろやかというのはわかる気がします。この“蒸しプリン”でしたか? 口の中で溶けて優しく広がる甘味はまさしく甘美でした」
「そう言ってもらえるとうれしいよ。少なくとも乳と卵は料理に広がりをもたらせるし、これらを使った“甘味”もまだあるしね」
このサモンの一言で、女性陣の反応がすごかった。
「「「まだある?!」」」
ミリスまでも同様に反応した様子にケイバンも驚いた。
その皆の反応にサモンは顔を引きつらせながら体を仰け反らせる。
「あ、ああ、次は“ケーキ”を作ってみようかな? ……と」
それを聞いた女性陣は、“ケーキ”自体はわからずとも“蒸しプリン”で味わった甘美を思い出し、思わず喉を鳴らした。
「で、では、急いで作りましょう。不肖、料理の苦手なこのモデナもお手伝いします」
「「私も!」」
そのモデナにつられて他のシスレィ達も手を挙げだす始末だ。
ミリスは目を瞑り腕組みをして、なぜかニンマリと笑みを浮かべているのが不気味だった。
「まあ、まあ。今は材料もない。今すぐは無理だ。これからまた材料を集めなければいけないんだよ。だからいつでも手に入るようにしたいんだ」
騒がしいシスレィ達をそういって落ち着かせる。
サモンとしては十分な反応に満足したことを隠しつつ、作戦が成ったこと確信した。
そしてケイバンのほうに顔を向けた。
「ああ、わかったよ。まったく、見事な演出だな。“バヌー”と“ケイジュ”の飼育員を見つければいいのだろう?」
回りくどいプレゼンテーションに飽きれたのか、腕を広げ手のひらを返し、好きにやれとジェスチャーをした。
「ああ、わかってもらえてうれしいよ、ケイバン」
「もちろんそっちが小屋は立てるんだろ?」
「もちろんさ。ついでに農地も拡張しよう」
こうしてサモンの私欲に端を発した畜産業改革が始まった。




