75 山に埋もれるケイバン
さて、サモン一行であるがダルマシオ伯爵との契約後、一度アン・ガミルまでミーアを送り届け、ザラタン司祭もそこで別れた。
ザラタン司祭は取り急ぎ聖王都に戻り、この度のことを教皇へと報告するようだ。
その後一行は大急ぎでシャニッサを経由して、大森林へと舞い戻っていた。
急いだ理由は最後の大きなイベントである大陸協会の発足式だ。
すでに3日後に迫っていた。
しかもただのスポーツの式典ではない、戦争の終結を宣言し、ヴァンクローネ帝国・グラール聖王国間の講和条約を結ぶ大事な場でもあった。
そのため大森林においても慣れぬことではあるが、それなりの舞台を用意しなければならず、留守を任されていた大陸協会事務長フレイヤやクリス達はその準備に追われていたのだった。
ケイバンは大森林に帰り次第進行具合を確認するために執務室に戻っていた。
しばらくするとケイバンはサモン達一行の帰りの知らせを受けたクリスが部屋に入ってきた。
「父さん、間に合わないのかと思ったよ。またどこか寄り道でもしているのかと……」
「ああ、すまなかった。少しカルス・レーク領のほうまでな、足を延ばしてきた」
「聖王国の……、ラテックスがらみですね」
クリスでもこのタイミングで“カルス・レーク”と聞けば、否が応でもラテックスの名を思い起こす。
「まあ、それとソルにも出くわした」
「ああ、なるほど」
ラテックスと同様、ソルと聞けばトラブルを連想するのは身内では暗黙の了解だった。
まあ、今回の件はソルが引き起こしたわけではなかったが、そう思われても仕方がない。
「で、問題は?」
ケイバンは机に積まれた書類の山を前にして手を広げてみせる。
“この大量の書類にサインをするだけでなく、他に何をしろと”とでも言いたげなジェスチャーを示した。
「こっちで処理できるものに関してはこちらで対処できているけど、さすがに帝国皇帝は僕だけでは……、できればどっちかで相手してもらえないかな?」
「なんだ、もう来ていたのか」
“どっちか”というのは暗にケイバンかサモンかということだろう。
むしろ早めについたヴァンクローネ帝国の行動に驚いた。
だが、別の不安が頭をよぎる。
「昨日、着いたばかりだけどね。とりあえず来賓館のほうへ押し込めておいたけど、人数が多くてね。陛下と貴族は大丈夫だったけど、護衛の兵士たちは堀の外で野営してもらっているよ」
「まあ、気にはしていたのだが、確認まではまだだったからな。つい忘れていた。まあ、外で野営するなど兵士であれば慣れてもいよう。かまわんだろ。伴回りの者だけでも傍にいられるようにしてやってくれ」
「うん、そのあたりはフレイヤがうまく調整してくれてたみたい」
「そうかさすがはフレイヤだな」
「それよりも獣人などの亜人種の方達が帝国の兵を見て不安がってるよ。一応説明はして納得はしてくれているようだけど、サモンさんや父さんたちがいないとなるとやはり不安なのみたいだ」
「まあ、中には逃れてきた者もいるからな、そう簡単には過去の記憶など拭えないさ。だが、帝国でこの反応であるならば、聖王国が来たらより一層反応するかもしれんな。俺のほうからももう一度くぎを刺しておこう」
「うん、そうしてもらったほうがいいかも。それとサモンさんとの面会を陛下が求めてるからよろしくね」
「ああ、あいつは今、“館”にいるからシフに伝えておく」
ケイバンは急ぎの時にはシスターズの“シフ”経由でサモンを呼んでもらうことが多い。
別にシスターズであれば誰でもよいのだが、ケイバンも名前を憶えている個体がそう多いわけではないので、会う機会の多い“シフ”の名を挙げたにすぎない。
ケイバンがそう約束すると、クリスは早々に退室していった。
そして忘れないうちにと“シフ”を呼び出し、サモンに伝えてもらう。
呼び出すとは、そのとおり“シフ”の名前を呼ぶだけでいい。
そうすれば目の前に転移してくる。
街の中だけだが便利なものだ。
その場でサモンに連絡を取ってもらい、すぐに来賓館に向かう回答をもらう。
これでウォルケン皇帝の相手という厄介ごとを押し付けられた。
だが目の前の書類の山に視線を落とすと、さすがのケイバンでもため息の一つも出る。
しかしこれを片付けてもそのあとには各区長達との会合があった。
それを思うとまたため息が自然に出てしまっていた。
まさか自分がこんな行政官のような真似事をするとは、夢にも思っていなかった。
魔獣達との闘いに明け暮れた日々、自由に野や山を疾走していた遠き日の自分を懐かしむように、ふと窓の外の景色に視線をやってしまうケイバンであった。
やがてケイバンが書類の山を片付け終えた頃、挨拶ということでイングリッドがイザークを伴って訪ねてきた。
そしてもう一人。
「あなたは確か……。グラント商会のポリーヌさんでしたかな?」
「は、はい。あの時はどうも……」
イザークの陰に隠れて見えなかったが、アレクサの式典後に大見得を切ったポリーヌがすまなそうに応えた。
珍しい組み合わせで来るもんだなとケイバンは思ったが、これまでの経緯をイングリッドとポリーヌから聞き、ケイバンのほうがすまなそうに応えた。
「なんと、そのようなことになっていたとは、主に代わって謝罪致そう」
サモンが主導したわけではないが、テコ入れをしたのは事実。
そのような状況を知っているだけあってケイバンも頭を下げずにはいられなかった。
「い、いえ、とんでもございません。今の状況は自分の至らなさが原因ですので、お気になさらず。それに今の状況もこれまでにないことばかりで楽しんでおりますので」
「そうか、それならばなによりだが、主が言ったとおり“スティール商会”が責任を持って支援するので、あの時の言葉を曲げずにいるのならば頼ってほしい」
あの時の言葉とは、“もしだめならスティール商会が支援する”といったサモンの言葉だ。
“商会を辞してでも立ち上げる”と言いきったポリーヌの意気に感じ、サモンが反応した言葉だが、あの場にいた者は皆同じ思いだったであろう。
普段は頼りないポリーヌではあるが、いざというときには何か引き付けるものを持った魅力があった。
「ケイバン様に先にそう言ってもらえると助かりましたわ。どうやって切り出そうか思案しておりましたので」
「なに、どこも頭が能天気すぎて安易に事を進めすぎるきらいがあるからな。周りの者がそれに振り回されているのはどこも同じだ。助け合わねば進むものも進まん」
普段サモンに振り回されているケイバンだからこそ言える本音であった。
「ありがとうございます。それとこれはアレクサの日程表です。協会の会議ででもよかったのですが、ついでにと思いお持ちしましたわ。……あと、後程紹介いたしますが、わたくしの父親が陛下と共に来ており、南リーグの設立に際して大公家もスポンサーとなってチームを立ち上げることをお決めになったので、一応そのご報告もです」
「ほう、やはり大公家もか。となると周りの貴族連中も同調する動きではないのかな?」
予定表を受け取りつつ、ケイバンは前回の会合の際に出ていた懸念を反芻した。
「はい、おっしゃるとおり、そのような動きになるかと思います。ただ、まだ公表しているわけではないので、実際の動きはありませんが、先に宣言した陛下のほうでは、早くも帝都近郊の貴族が話を聞きつけ、事の真偽を調査しはじめているとの話ですわ」
「むう、そうなると設立されるチームの数が心配だな」
「はい、このままでは10や20では済まないかもしれませんわ。ですので、そのあたりをサモンさんにご相談をと……」
実際に領地持ちの貴族は帝都周辺では6つだが、帝都内に邸宅を構える貴族は50人以上いた。
チームを立ち上げるだけであれば領地などは必要ではない。
あればあったほうが何かと便利だが必須条件ではない。
要はお金の問題である。
「さすがにそうだな。サモンならば何かいい知恵を持っているかもしれんな。ただあいにく今はそちらの陛下との会談中なのだ。……うむ、二人揃っているのならば丁度良いではないか、今の話を二人、いやそちらの父上も一緒なのだろうからこれから向かってみてはどうか?」
ケイバンとしても妙案だと思い提案してみたが、どうもイングリッド、いやポリーヌにとってはそうとも言えないようだった。
「は、はい、……そうですね。父上だけであれば遠慮はしませんが、さすがに陛下の前となると……」
そう言ってイングリッドはポリーヌを見やる。
ポリーヌは小さく手を振り、“やめて~”というような仕草をしているが、いずれは陛下だけでなく他の貴族達とも渡り合わなければならない。
恐らくこの前のことがトラウマなのだろう。
しかし、ここまで来てそう言ってはいられない。
面識のある陛下とサモンであるなら良い予行練習になるだろうとイングリッドは、面談を願い出た。




