73 工房設立契約
「なるほど、“カリス(聖杯)”が絡んでいたか。噂には聞いていたが、実在していたとはな」
椅子にもたれダルマシオ伯爵は事の顛末を聞きながらそう漏らした。
ここは彼の私室だ。
部屋の中央に置かれたソファーに腰を下ろし、サモンやザラタン司祭はケイバンが説明しているのを静かに聞いていた。
「あとで私が確かめに参りますが、プロイスが偽名を名乗っていることからも教会のほうはそれとは知らないでしょう。恐らく踊らされただけではないかと……、できれば上のほうに仰ぎたいと思っています」
ザラタン司祭も今回のことに憤ってはいるが、プロイスに騙されていた可能性も高いため、素直に話せば情状酌量の余地はあると考えているようだ
とはいえ、領主の立場も考えればこのまま有耶無耶することもできない。
「そうかもしれんな。ただ、この地を治める者としては知らなかったとはいえ、見過ごすわけにはいくまいよ。こちらでも話(プロイスとの繋がりについて)は聞かせてもらうぞ」
「はい、伝えておきます。教会を盾にするようであれば、教皇様へ直に伝えると言い含めますので」
「そうしてもらえると助かる。……それと、プロイスのほうはこちらで引き続き調べても良いのかな、サモン殿?」
領内の教会と対立するのは得策ではない。
幸いにもザラタン司祭がこれまでの状況を理解してくれているため、強硬な姿勢を取るのも得策ではないと判断したのだろう。
ダルマシオ伯爵は、今後のことも考えてプロイスの身柄のみを要求した。
「ああ、そうしてもらうことが筋なんだろうね。ここは聖王国なんだし、今のところ俺が出しゃばる明確な理由はないよ」
「そう言ってもらえるとありがたい。何かわかればミーア殿か商会を通して伝えよう」
「ああ、わかった。これで安心して本来の話ができる」
「ふむ、ニヨンの村の話だな。ミーアにも伝えたとおり工房の件は許可をしよう。出資も約束する。ただ規模が大きいので中央が何か言ってくる可能性はあるのだが……」
ダルマシオ伯爵は、大きく頷きサモンの言葉に同意した。
ただこのような大きな事業が始まると国の高官や貴族達が、口を出してくる可能性が高い、特に近くにあるレン・シャファル領主エーアト・ルフ・ボーデン伯爵などがそうであった。
「ああ、その点だけどすでにシュナイトには伝えたよ」
「殿下に……」
少し不安そうな表情をダルマシオ伯爵は浮かべる。
「心配はいらないよ、おこぼれを狙ってくる貴族連中の抑えとして時間をかけて検分していくってさ。まあ、協力してもらう分、税金代わりとしてそっちにも配当を渡すことになるかもしれないけどね」
そう少なくとも王族であるシュナイト第一皇子が関わることになれば、貴族連中からとやかく言われることは少なくなる。
“やましいことをしているわけではないぞ、国も承知しているんだぞ“ というアピールである。
そうした意図を理解したのかダルマシオ伯爵の不安も和らぐ。
そして余裕が出たのか聞きなれない言葉に関心を持った。
「配当? 配当とは一体?」
「わかりやすく言えば、儲けに対して出資した割合で出資者に儲けを配るということさ。もちろん出資者は、伯爵と大森林・エイワード商会、それにシュナイトやそこで働く者達さ」
実際には、売り上げから経費などや将来的に工房を維持していくための資金といったものを差し引いた額面、これを差し引いた純粋な儲けに対する割り当てだ。
サモンの説明は大雑把だが、要は工房が儲かればそのうちの何割かが懐に入るという仕組みを理解してもらえればいいのだ。
ただダルマシオ伯爵には最後の言葉が引っ掛かったようだ。
「殿下はわかるが、そこで働く者達というのは?」
「言ったとおり、そこで働く人ってことだよ」
「使用人にまで?」
“使用人にまでなぜそんなことをさせるのか?“ とこの世界では当然ともいえる疑問だ。
「ああ、これは工房の運営の話になるんだけど、実際には俺達出資者は大事な部分以外には運営に手を出さないようにしたいんだ。その大事な部分っていうのは、その工房の管理職なんかの人事権だ。それに関しては俺達出資者の話し合いで決めていくってことになるんだ。だけれどやはりその人事も実際働いている者達にも納得して長になってもらう必要があるんだ。もちろんその出資者の話し合いには、働き手の代表者が来ることになるけど、工房をうまく回していこうとするなら働き手の意思も汲み取る必要があるんだよ。そうすることで自分達の帰属意識が生まれて働く意欲が湧くじゃないかな。それに働いて工房が儲かれば自分にも還ってくるんだ。そりゃあ、がんばるだろ?」
「帰属意識か、む~たしかに。しかし出資金が用意できるのかが疑問だ」
帰属意識ならこれ間多くの騎士や兵士を見てきたダルマシオ伯爵にも理解はできる。
騎士や兵士ならば帰属している土地や家族のために奮闘するのだから。
そういった意識が大きな力を生むことは理解ができた。
「そっちの分はこちらが貸しにしとくよ。問題は伯爵がどれだけの出資を希望するのかだね。それによってそれぞれの割合を決めてかなければならないから。せめて4割ぐらいは出してもらわないと困るんだが」
「というと、……確か前に必要な資金は白金貨5枚ほどと聞いたが……。4割ならば白金貨2枚ということになるか。……むむ、少し厳しいの。もう少しなんとかならんか」
さすがに白金貨2枚となると伯爵家ではあっても躊躇する金額だ。
現代に換算すると2億円。
現金としてかき集めれば何とかなるかもしれなかった。
「ははは、伯爵、もう少し説明するとこの割合っていうのは、その工房の人事権が絡んでくるんだ。伯爵に4割というのはその人事権を持ってほしいからなんだよ。詳しく言うと俺達出資者の話し合いの中、多数決で決める場合に出資した1割が1票という具合になるのさ。例えば伯爵が4割なら4票分って具合にね」
「なるほど、それでこちらが4割か」
4割ということであれば10票中のうちの4票だ。
それであればダルマシオ伯爵の意見も影響しやすい。
それはそれで不都合はない、むしろこれまでにない公平なシステムにも思えた。
だがダルマシオ伯爵が興味を持っているのは、次々と新しい技術を生み出す大森林の技術力なのである。
それに関われるのであればと出資を決めたのだ。
なので元々工房の経営に積極的に携わるつもりはないので、これに文句をつけることもなかった。
「ああ、別に5割でも、6割でもかまわないよ。残りの部分で調整すればいいのだから。恐らく数年で元は返ってくると思うよ」
「なんとそこまで見込んでいるのか。……しかし、残念ながらそこまでの資金は持ちあわせておらん。……わかった、白金貨2枚を出資しよう」
そこには貴族の意地もあったが、やはり関わっていたいという思いからであろう。
ダルマシオ伯爵はドラゴンの口に飛び込む思いで正式に出資を決めた。
「そうか、じゃあ決まりだ。まあ、実際の支払いは工房ができた後でもいいよ。建物自体はこちらで建てるから。場所は村長に話を通してあるんだよね、ミーア?」
サモンの言葉を聞いてどことなくダルマシオ伯爵はホッとしたようだ。
「はい、一応村長に話は通してありますので、場所の確保はしていただいているはずです」
すでにミーアは一度下見を終え、村長とも交渉してきている。
段取りは十分だ。
「念のため伯爵に村長宛てに一筆したためてもらっておいたほうがいいだろ。伯爵、頼めるかな?村長に送り届けてもらえればありがたいけれど」
「ああ、やっておこう」
「ではこれで仮契約ってことで」
そう言ってサモンは後日正式な契約書を交わす約束を取り付けた。




