65 マージュとサザムート
「ったっく、どこの店員なのさ”プロイス”って……。せっかく第一皇子やあの”鋼の大森林“の主に会えたと思ってたのに……。余計なことしやがって」
すまして歩けばどこの貴婦人かと思うような容姿のだが、殺気立って蟹股で街の人込みをかき分けるマージュだった。
その殺気は人が気づけば道を譲るほどの者であることから怒りに満ちたその形相がわかるというものだろう。
「待ってくださいよ、店長。一体どうしたっていうのですか? そんな顔で街を歩いたらお得意様が逃げていっちゃいますよ」
頭の先から湯気が出そうなマージュを慌てて追いかける者がいた。
「うっさいわね、すぐに戻るんだよ。”プロイス”って奴を探し出して何を企んでいるのかを吐かせないと気が済まないんだよ。分ったかい、バボン」
足を止め振り向きざま追ってきた青年“バボン”にマージュは言い放った。
“綺麗な容姿なんだから猫を被っていればもっとお得意さんが増えるだろうに“
などとは口にも出さぬバボンだったが、このパターンにはもう慣れてきた。
「ですから、支店に戻るんでしたらそっちじゃありませんって」
そう、容姿は良いのだが激しい気性を持ったこのマージュは方向音痴なのであった。
“あら、そう”
そう一言だけつぶやいてマージュはバボンが示す方向へと向かう。
このことで幾分正気に戻ったマージュを見て、バボンは胸をなでおろして呟く。
“この起伏がなければ大商人になれるんだけどなあ”
マージュ達商人は支店のない街においては常宿を契約して、支店代わりにしていることが多い。
フローシュ商会もまだシャニッサには支店を出しておらず、“砂城亭”を常宿としていた。
フローシュ商会としても、ここシャニッサへと支店を出そうとしていた矢先の街の拡張計画の話であった。
だが“プロイス”という名の者の情報を掴まなければ、そのような話もうまく進められない。
ましてや、次々に新しい品物を送り出す大森林とのせっかくの縁もうまく使えないままになる。
その怒りの矛先を向けるべき相手がおらずに先ほどの蟹股歩きになったわけだが、その姿を見て部下達がいつものことながら目を伏せて出迎えた。
それぞれ部下たちがバボンを見るなり駆け寄って事情を話せと問い詰める。
「いや、俺にもわからないよ。協会の会議室から出てきてからああなんだ。出てくるなり“プロイス”って奴は誰なんだって聞かれたけど」
聞かれたバボンも当然知りはしない。
「そうか、まあ、いいつものことだ。そのうちいつもの店長に戻るさ」
部下たちは笑い合い、バボンに気休めにならない言葉を掛ける。
バボンはそのまま皆に支店に戻ることを伝え、帰る用意をするように伝えた。
皆は“まだイベントの最中だ”“これからがかせぎどきだろう”などと声をあげるが、そこを宥めすかして準備に取り掛からせた。
そんな部下たちのもやもや感を放って、マージュは自分の部屋に入った。
「ん!」
中に入ると男が一人マージュを待っていた。
滅多に自分の部屋に入る者などいなかったため、思わず声をあげたがよく見ると記憶にある顔であった。
「よう、支店長、元気にやっているかい?」
「なんだ、サザムート。お前どうしてここに?」
サザムートと呼ばれた男はサザムート・ブライヒといって本店の者であった。
馴れ馴れしいのはマージュももとは本店の勤務経験があり、同期のようなものであった。
馴れ馴れしいのは昔からであったが、裏表のある男だとマージュは感じていた。
仕事は何でもこなし、特にその馴れ馴れしさから人を使うのがうまく、取引の裏方などもこなしていた。
自分もレン・シャファルの支店長になったこともあり、顔を合わせる機会もなくなったので忘れかけていた。
「なんだはないだろ。これでも一応同僚なんだぜ」
「同僚だからといってここは私の私室のようなものだ。勝手に入ってもらっては困る。よく誰にも気づかれずには入れたな」
「なあに、ここは宿屋なんだ。誰でも出入りはできるさ」
「そういう話ではない。まったく……今日はとんだ厄日だ。“プロイス”といい、お前といい」
マージュは先ほど治まりかけてきたイライラ感がまたもや湧き出してきた。
「あん、プロイス? お前、その名を?」
プロイスの名にサザムートが反応する。
「サザムート、言えっ!プロイスを知っているのか?」
これまでを鬱屈した薪をくべたような炎を目にたぎらせてマージュがサザムートに顔を寄せて迫った。
だが、それは一瞬のことだった。
サザムートは嫌な感じの笑みを浮かべ、さらにマージュに顔を寄せたかと思うと一瞬のうちにマージュは浮遊感とともに床に倒された。
上に覆いかぶさるサザムート。
見れば左手にナイフが握られていた。
「それはいい、お前はその名前をどこで?」
マージュは一瞬気後れしたが持ち前の強気がすぐに自分を奮い立たせた。
「やっと裏の顔を出したね。お前こそ何者だい? よもやプロイスもお仲間かい? それならフローシュ商会の敵になるよ」
これは賭けだ。
サザムートが本当にフローシュ商会の側でなければマージュの命はかき消えるだろう。
「どういうことだ、先に言え」
「さっきまで第1王子や大森林の主達と歓談していたのさ。商会の挨拶もかねてね。……そこで聞かれたんだよ。第1王子に“プロイス”って名を知っているかとね。……せっかくこの街の開発計画が持ち上がったのにその“プロイス”って奴が商会にいるとなったら、そんな話に入ってはいけなくなるじゃないのさ」
「大森林の主とね、なるほど。でも王子がどうしてそんなことを?」
「確かダルマシオ伯爵からの相談の件からのようだったわ。だから直接聞きに行くのよ。……いいかげんどきなさいよ」
言われたからではないが、サザムートは暴れだしたマージュを解き放ち立ち上がる。
「くそっ、とんだ厄日だ。あいつまでもミスるとはな。マージュ支店長、“プロイス”の名前は忘れろ。絶対にだ。この街のことはどうでもいい。いつものように商売だけしていればいい」
同じように解き放たれたマージュは、起き上がった途端これまで以上の憤怒の形相をしていた。
「“商売だけ“ってどの口が言ってるのさ。あたい達は商人なんだろが! その商売を邪魔するなって言ってんだよ!」
その怒号にサザムートは特に何も反応せず、下から駆け上がってくる物音に気がつく。
「警告はした」
サザムートは静かにそういい放つと窓に近寄り、素早く開けて飛び出していった。
素早いサザムートの撤退を目の当たりにして地団駄を踏むことしかできないマージュであった。
駆け上がってきたバボン他数名が部屋に入って来た時にはすでにサザムートはおらず、窓が開け放たれているだけだった。
バボンが地団駄を踏んでいるマージュを不思議に思い、声を掛けた。
「大丈夫?……ですね。どうしたんですか?」
建前でも心配をして駆け寄ってきたバボン達に憤怒の形相のままのマージュが振り向く。
「塩っ!塩まいとけっ!塩っ!」
“えっ、なんで塩?”
という疑問をよその来た階段を駆け足で降りるバボン達であった。




