64 シュナイトの提案
それはマージュにとって意外過ぎる質問だった。
“プロイスなんて自分の支店に思い当たる名はないけれど、他の支店の可能性もあるわね。ただ即答するのはここでは避けるべきかもしれないわね”
一瞬思案したマージュだったが、状況が不明なうちは逃げ道を作る必要があった。
「申し訳ございません、殿下。私が知っているかぎりでは当方の支店の者にその名に当たる者はおりません。もちろんこれは他の支店の者や臨時雇いなどの者を除いた場合ですが、……そこまで確認するためには一度戻らなければなりません。いかがいたしましょう?」
「なに、そこまでする必要はない。昨日とある領主から相談の知らせを受けてな、そこにフローシュ商会の“プロイス”という名があったので、聞いてみたまでだ。そなたに記憶がないというのであれば仕方がない。確かに多くの人間が出入りする商会であれば末端の名前までは記憶にないことは仕方のないことだ。それに商会の名を騙っておるやもしれないしな」
「はぁ、お力になれず誠にすみません。もし差しさわりがなければ、その“プロイス”がどのような関りがあったのかをお聞かせくださいませんか? 何かしら思い出すきっかけになるかもしれません」
「いや、そこまでする必要もなかろう。こちらのことだ、それに領主の名誉にもかかわるからな。
「はぁ、殿下がそうおっしゃるのであれば」
あわや商会が大事に巻き込まれる予感がしたが、一旦シュナイトが引いたことでそこまで危惧する事態でもないことがわかった。
しかしいずれにせよ戻って“プロイス”を調べておく必要があった。
マージュは深々と頭を下げて、時間を稼げたことに安堵した。
話に一区切りがついたことで皆の気が緩んだとき、再びシュナイトが口を開いた。
「さて、国でも大手の商会が一堂に会した機会だ。ついでと申しては何だが一つ皆にこちらから相談したいことがある。これはシャル伯爵も同意していることだが、今後城壁の改築や街割りの再編に手を付けていきたいと考えている。そのためにはそなた達商人の力が必要だ。それをこの機会にお願いしたい」
あまりにも突然の話に商人達は呆けることしかできない。
シュナイトはそれを無視してさらに話をつづけた。
「まあ、今回この競技場ができたわけだが、これでやぼったい砦と小さな町がにわかに活気づいてきたことは皆も感じておると思う。だが自身でも街を視察し感じたが、今の規模では手狭になりつつある。まずは街を囲む城壁の改築に手を付けていきたいと考えている」
これまで大きな行事はなく、単に通過点にしか過ぎなかった街のため、大勢の人が集まるための街づくりがなされておらず、宿屋や食堂にお店自体が現在は不足気味であった。
そのため今回の式典では、城壁のそばで野宿する者や無謀にも街の外で野宿するものが多くいた。
その反省点に目をつけシュナイトは、この再開発計画とでもいうべき提案を行ったのだろう。
先に正気に戻ったオニキス商会のフィップが声を上げる。
「殿下、その話は本当なのですか?」
「ああ、本当だ。だからここで申している」
「であれば、我々に必要な人や建材等を調達しろと?」
「そのようになる。それともサモンのように完成まで請け負うか? できるのであればかまわんが」
「いえ、私どもは商人ですので必要なものを卸すまでが仕事ですのでそこまでは望みません」
「まあ、そうであろうな。そなた達には必要なものを適正な値段で、遅滞なく卸してもらえればいい」
この言葉に一瞬商人達は目を伏せた。
“必要なものを適正な値段”でという言葉にくぎを刺す意味合いも込めてシュナイトが放った言葉なのだ。
当然フィップもこれを悟り、力のない返事をする。
「も、もちろんでございます」
「それと大きな金額によっては手を挙げた者に金額を提示してもらう。そなた達全員が手を挙げれば、それぞれ同時に提示してももらうということだ。もちろん一番安い金額を提示した者に発注をするということになる」
「え、そ、それでは我々に競争をさせるということですか?」
「まあ、そういうことだ。これには我々も適正価格というものをこれまでないがしろにしてきたこともあるが、実際相場もわからないということにあるのだ。そのため市場調査という意味も込めてもいるし、無用に安価であったり高価であったりすることを防ぐためだ」
「なるほど、わかりました。ではどの程度の金額がその対象になるのですかな?」
「金貨50枚以上の案件を今は考えている」
「ではそれ以下の取引であればそういった競争はないということでしょうか?」
「ふむ、そういう理解でかまわない。ただし、取引相手はそなた達3つの商会だけでないぞ」
「と、申しますと?」
「ふむ、この大陸すべての商会から受け付ける」
これにもフィップは驚いた。
他の2人も驚いたどころではない。
聖王国の街なのだから当然国の商会が優先されると思っていたからだ。
競争相手もどうせ自分たち以外の小規模な商会だろうとタカをくくっていたのだ。
「殿下それは、厳しすぎるのでは……」
フィップが言いたいことは相手が多くなれば値段を下げざるを得ず、各商会が疲弊してしまうということだ。
「ふむ、そなたが言いたいことは十分わかっているつもりだ。聖王国の商会をないがしろにするとはと申したいのであろう?」
「いえ、決してそんな……」
「まあ、聞くがよい。この話は決してそなた達が不利な話だとは思わないぞ。帝国側の商人も来るし、そこのサモンのスティール商会もひょっとしたら絡んでくるかもしれない」
その言葉に一同サモンを見るが、サモン自身はケイバンを見て、ケイバンが“ない、ない”と首を横に振る。
「ま、そういうこともあるかもしれないという話だ。それは別として、帝国の商人の場合であればまず運送代の問題がある。ま、これはどの商会もそうだろうが、どのみち帝国からよりは聖王国にいるそなた達のほうが有利であろう。食料品に関しても鮮度が違う。そういったことを考えればそなた達のほうがはるかに有利だ。それに確実に違うのは税の問題だろうな。ようはやり方ではないのか?」
「確かに殿下のおっしゃる通りではございますが、売りたければ安く売って取引をしたがる者も出てきますでしょう」
「ふむ、そなたの言う通りだ。初めはつながりをつくろうという思惑からただでもいいと考える輩がいるかもしれない。だから我らのほうも最低の金額は設定する」
「なるほど、あらかじめある程度の金額を試算するわけですね、わかりました、我々もそれに備えて工夫をしろというわけですか」
「そういうことだ、今はまだこれまでの慣習で取引を続けられるだろう。だが今後はこの建物といい、大森林から流れてくる新たな物や情報といったこれまでと違った風が吹き始めている。その風を向かい風にするか、追い風にするかでそなた達の衰退が決まり、聖王国もそれ次第なのだ」
ようは王子からの商人に対する挑戦状なのだ。
“世が変わるのにお前たちは変われるのか“という。
このような形で聖王国の未来を語るシュナイトをこの場にいる伯爵を除いた聖王国人には見たことがなかった。
一応仮にも王子なので驚くべきものでもないが、これまで皆が感じていたシュナイト大王子とはかけ離れていて、別人のようにも思えた言葉だった。
もちろんすべてこれを王子自身が思い描いた将来像ではない。
すぐそこで伸びているオーガスからの進言を自分なりに飲み下した結果だ。
「我々を新たな潮流の試金石にするとでも……」
「そこまで大事なものではないが、期待をさせてもらいたい。まあ、この場は正式な場でもないのでな。改めて触れを出そう。今日は一応大口の取引相手であるそなた達にこちらの意図を伝えたかったのだ」
こうしてシュナイトの商会に対する爆弾発言で幕を閉じた式典後の懇談会だったが、商人の表情はそれぞれ違うものになっていた。
オニキス商会会頭のフィップはなぜか興奮気味の表情。
恐らくシュナイトの実像に触れた気がしたことと、“期待している”と言われたからなのだろう。
エイワード商会会頭のオベリアは終始無言に近かったが、大森林との付き合いでこのぐらいのことでは驚かなくなったのかもしれない。
それとフローシュ商会レン・シャファル支店長のマージュ。
彼女は一番にこの部屋を出ていった。
自分の知らないところで何かおこっているのではないかと鬼気迫る表情であった。




