58 プロイスという名の暗雲
その日ミーアからサモンの訪問が、シャニッサの落成式から2週間後ということ聞いた後、その夜にダルマシオ伯爵の部屋へ別の訪問者が訪れていた。
「お久しぶりですね、ダルマシオ伯爵。遅い時間にすいませんね」
「ふむ、できれば昼間に願いたいものだがな。で、また塩や銀の通行制限緩和の要望か、プロイス?」
「はい、できればと思い、まかり越しました」
プロイスと呼ばれた男は、身なりも小綺麗な服装であり一見して商人とわかるような雰囲気を醸し出していた。
それもそのはずで、フローシュ商会の一員である男だ。
夜にもかかわらず部屋に招き入れたダルマシオ伯爵自身、怪訝そうな眼は向けてはいるがそうせざるを得ない事情があった。
「ならばこれまでと同様、“否”としか言いようがない。今までにも何度も申しつけたであろう。これ以上、ロレンティアからの輸入を増やせば国内の塩や銀の暴落を招きかねん。特に銀は貨幣に使用され、流通量も多い。これは王家からも厳命されておるところでもある。いくら教区の願いとて聞けぬものは聞けん。例えこちらが金を借りている恩があってもな」
「いえ、決して恩着せがましくお願いしているのではございません。あくまでも教区のシマール・アミド司祭からの要望をお伝えしているにすぎません」
「塩にしても国内は安定して供給されておる。銀に至っても同じだ。そなたが言うほど需要が増えている話は聞こえてはきていない」
「しかし現にシャニッサ方面では例の競技場の件で人の流れが活発になり、塩の消費も増加していると聞きますし、聖具の材料として貴金属の寄進も多くなってきている現状があるのです。ですので教区の司祭のためにも、なんとか融通をしていただけないでしょうか?」
「たとえ教区のためであろうとも、聖王陛下の厳命あるからにはこれを反故するわけにはいかん」
ダルマシオは特に態度を変えずに“聖王の厳命”を建前に突っぱねた。
財政の厳しい時に融通してもらえたことには感謝しているが、国の貨幣の価値や物価の不安定化を招くことはできない。
いや、それ以上に教区と組んで必要に願い出るところが引っ掛かっているのだ。
「そうですか、わかりました。ところで昼間はエイワード商会がいらしていたようですが、何か良い取引話でもあったのでしょうか。最近、大森林との付き合いが深まっているとの噂ですが。まさかこちらへもその関係で?」
“ん、一体なぜこやつがそんなことまで知っているのだ?”
一瞬監視でもしているのかと気にもしたが、何よりも気味悪さが増した。
そのためつい強い口調となってしまう。
「プロイスよ、他の商会の動きをお主に話す道理はないはずだ。そなたも我がエイワード商会に先ほどの話をしたら気分が悪いであろう?」
「はい、確かにその通りでした。大変失礼しました。今のは忘れていただければと思います」
「ふむ、ならばもう一度司祭のほうに厳命の件が解けるまでは、こちらで判断できないことを伝えてもらおう」
ダルマシオは自身の動きまで監視しているとなるとどうやら本気のようだと悟り、しばらくは“聖王の厳命”を盾に断り続けるしかないと判断した。
ただ教区が本気だとすれば、司教あたりが出てくることもありうる。
そうなれば、無理やりにでも認めさせてくることもありうる。
なんとか手だてを考える必要があった。
そのためにも時間が必要だ。
だが、意外にもプロイスはあっさりと引き下がった。
「わかりました、今夜は一旦下がらせていただきましょう」
そう言い残しプロイスは部屋の扉を閉めた。
部屋に残されたダルマシオはすぐに机に向かい、1枚の手紙をしたためた。
やがて書き終えると執事を呼んだ。
「これを密かにシャニッサにいる第一皇子の元へ届けよ。必ず第一皇子の手に渡すように言ってくれ」
そう、ダルマシオは現在競技場の落成式まで滞在しているシュナイト・エーデル・シュタイン第一皇子に事の判断を仰ごうとしたのだ。
特にダルマシオは、シュナイトの派閥に属しているわけではない。
ただ、ここから近くて大きな力を持つ街はレン・シャファルであり、その領主ユーバー・ファル・ネーメンはあまり良い噂は聞かず、教会とのつながりも深いと聞き及んでいたため、比較的教会とのつながりが薄いとされるシュナイトに経緯を知らせておくことにした。
そうしておけば、もし教会が無理に“聖王の厳命”を取り下げるよう働きかけても、前もって対策してくれると踏んだからだ。
しばらくした後、騎士が街中をレン・シャファル方面へと馬で駆け抜けていった。
二日後、騎士はリ・ニーザ川の細道を危険も顧みずに突き進んでいた。
リ・ニーザ川沿いのこの道はレン・シャファルを経由せずにシャニッサに抜けられるけもの道だ。
魔獣も多く出るため危険も伴うが、短期間でシャニッサにたどり着くにはこの道しかなかった。
騎士は見通しの利く広場を見つけ馬を少しの間休ませていた。
しかし、馬の負担を考え軽装備にしていたのがいけなかった。
突如2方向から矢の襲撃を受けた。
1本は躱したが、左わき腹にもう1本の矢が貫き、うめき声をあげて膝をついた。
やがて騎士が動けそうにないことを確信して木の陰から2人の男が姿を現す。
冒険者風の2人は騎士を挟み込むように近づいてきた。
「大人しく懐の物を出せ。そうすれば苦しまずやってやる」
どちらにせよ殺すことには変わりないらしい。
運んでいる物を知っている者達ということは盗賊の類ではないらしい。
騎士は左わき腹抑えつつ剣を握る手に力を込める。
だが動きの鈍った剣速は相手に威嚇にもならず、弾き飛ばされその胸を貫かれてしまう。
「悪あがきしなけりゃ、あっさり死ねたものを」
吐き捨てるように言うと、もう一人の者と荷物を探る。
目当ての物は懐をまさぐりと見つかり、その場を立ち去ろうとする。
だが男たちはその足を止めた。
男たちは険しい顔つきになり、その視線の先には一人眼帯をした男が佇んでいた。
「こんな寂しい場所まで来て、男3人で何してんだい?」
「……」
おどけた調子で声をかける眼帯男だが、男たちは答える代わりに武器を握りしめた。
それでも眼帯男はおどけた調子は変わらずに言葉を並べる。
「おいおい、随分殺気立ってるな。怒るなよ、ちょっときいただけじゃないかっ……と。あぶな」
眼帯男が話している途中にもかかわらずナイフを取り出し投げてきた。
別に気に障ったわけではないだろう、ハナから殺すつもりだ。
それを合図に男たちは左右に分かれ連携攻撃の体制に入った。
どちらも剣だが同時に攻められれば手数で負けるだろう。
だが眼帯男は、片方の男が近づいたタイミングで体を躱し、踊り子のようにクルリと回って後ろを取って後方から手を掴んで首を絞めた。
それでももう一人の男がかまわず切りかかってきた。
とっさに眼帯男は首を絞めてる男を犠牲にして一旦自分は後方に飛んだ。
「おいおい、相棒なんじゃないのかよ。かまわず切り飛ばすってどういうことだよ。最近の若い奴は薄情だねえ」
犠牲となった男は首から腰にかけて血を噴出し倒れている。
その光景を見ながらの感想には相変わらずの緊張感がない。
少しの間にらみ合うが、男は振り返ってその場から逃げ出す。
一人となった今、勝ち目がないと見たのだろう。
眼帯男もあえて追わず倒れた男の懐をまさぐった。
騎士から取り上げた物はこの男が持っていたのだ。
取り返した物を持って倒れた騎士まで駆け寄っていく。
手に取り返した物を握らせようとしたが、指は握られることはない。
抱き起せば虫の息で、助かる見込みがないことはわかった。
“お、お・う・じへ”の一言だけが、眼帯男には聞き取れた。
「王子……ね。シャニッサへ向かったとすると第一皇子か……。また面倒なことに首を突っ込んじまったかな」
眼帯男はそうつぶやき空を仰ぎ見た。




