56 ダルマシオの決断
その日の夜、ミーア達は緋竜亭という宿屋に泊まっていた。
支店のないこの街では常宿と呼べるような宿もなく、護衛や使用人も泊まれる大きめの宿に泊まれる宿が必要であったため、だれでも泊まることのできる宿となった。
ミレイアがここの食事がうまいということを旧知の行商人に聞いて、以前にも使ったことのある宿だ。
ここの食事は久しぶりではあったが、相変わらず好みの味であったことにミレイアは感激していた。
しかし、食事は良かったのだが、泊った日が悪かった。
お客が多いとは思っていたが、深夜まで騒がしくてなかなか寝付きにくい夜となった。
冒険者なども泊まる宿では時折このような日もあり、一般客にとっては迷惑なのだが物腰から体格まで違う冒険者にひとこと言うには勇気がいるため、鎮まるまで待つほかないのだ。
さすがにミーアも眠れずにいたため、侍女のパルに文句を言いに行かせようかとも思ったが、パルは今回本店の手伝いでいないのであきらめた。
だがしばらくすると不思議と静かになり、ようやく眠ることができた。
翌朝少し騒ぎが起きていた。
朝、宿屋の主人がきてみると、廊下で夜に騒いでいた冒険者達5人がのびていたというのだ。
どうも記憶がないため何も思い出せないらしいが、殴られた後もあるので誰かが黙らせたらいとのことだった。
“まあ、しょうがないわよね。あれだけ騒がしければやりたくなるわよ”
などとミレイアとも話していたが、ミーアには心当たりがないわけでもなかった。
だがそれを追及したところで誰のためにもならないし、必要なことでもないため心の中でささやかな感謝を捧げた。
伯爵の館までの道すがら護衛の冒険者たちからも聞かされたのだが、どうも彼らも昨晩は飲屋で喧嘩を吹っ掛けられたらしい。
ミーアは詳細まで聞かなかったが、どうも冒険者というのはすぐに頭に血が昇る体質だということを改めて感じた。
そんなたわいもない話をしながらダルマシオ伯爵の館にたどり着く。
昨日と同じようにダルマシオ伯爵の部屋へと執事に案内される。
執事は言葉にこそ出さなかったが、笑顔で向かい入れた様子から嫌忌薬の件はうまくいったことを感じ取れた。
案の定、ダルマシオ伯爵の前に進み出ると昨日よりも親しみを込めた表情で出迎えられた。
「ごきげんよう、ミーアにミレイアよ。宿では旅の疲れは癒えたかな?」
「ほほほ、はい、食事は楽しめましたわ。ただ夜は賑やかすぎましたけど」
「なるほどそうか、こちらで部屋を用意するべきであったな。昨日からシデウの洞窟でやる間引きのために冒険者が集まってきておるのを忘れておった。そのせいでその期間中はイザコザも多くなるのだ」
シデウの洞窟の洞窟は“カルス・レーク”から北に少し行った小規模な洞窟だ。
10層ほどからなるダンジョンではあるが、比較的低レベルの魔獣しかおらず初心者用のダンジョンだ。
それでもダンジョンなので、年に1回だが間引きをしているのだ。
「そうですか、運が悪かったのですね」
「まあ、次からはこちらで部屋を用意するとしよう」
「では、嫌忌薬の件はうまくいったのですね」
「ああ、おめでとう、こちらでも確認ができた。衛兵の報告だとかがり火にさえも寄ってこなかったそうだ。魔獣については確認しようがなかったがね」
「そうですか、それは仕方がないですね。でも一応伯爵様の信用は頂けたようですし、うれしい結果ですわ」
一応、サモンからの説明では小型の魔獣に対して効果があったと聞いていたので、そのあたりは確信していた。
そのためミーアにとっては当然のことなので、特に喜ぶべきものではないが一応愛想笑いを浮かべておく。
「さて、本題といこうじゃないか、ミーア嬢。本当に私とそちら、そしてその提案者が出資者としてこの嫌忌薬を製造する工房を建設するのだな?」
話のポイントになるためミーアはダルマシオ伯爵の問いに正確に答えた。
つまり自分達は出資をするだけで、運営は工房の者に任せ、売り上げの何割かを報酬としてもらえる権利を有するということ伝えた。
運営についてはダルマシオ伯爵がいちいち赴いて指図するわけにもいかないので、理解はできる。
ただ出資額などの具体的な金額はまだであった。
「ふむ、で、その金額はどれほどになる?」
「はい、建物が白金貨5枚ほどになろうとのことでした」
「白金貨5枚?! 工房の建物なのではないのか? 城でも建てるつもりか?」
目が飛び出すとはこのことを言うのであろう。
そのぐらいダルマシオ伯爵は驚いた。
城は大げさすぎるが、建築物としては高すぎるのは確かだ。
城であれば規模にもよるが、白金貨50枚ぐらいが相場だ。
「落ち着いてください伯爵様、白金貨5枚(円換算で5億円)は建物のほかに設備も含んでおります。それにこの建物にはそこで働く者達の住まいも含んでおります。おそらくそこで生み出される仕事の量は将来的には200人ほどとなりましょう。これがどういうことか、おわかりになりますか?」
普通の工房でも5~10人程度の規模だ。
200人ともなればミーアの商会よりも少し大きな規模となる。
「なに、200人も働き手が必要になるのか? このような嫌忌薬ぐらいで……まてよ、ミーア嬢、確か隠し玉を持っているとのことであったな。さてはそちらのほうで人が必要になるのだな」
「はい、さすがは伯爵様ですわ。ご明察です」
「これを……」
おもむろにミーアは懐から例のラテックスを取り出した。
ラテックスはダルマシオ伯爵にとっては珍しくもない。
ニヨンの村周辺で見かけることも知っていたし、ただの玩具ということも知っていた。
「ふむ、これは確かフランの樹液だな。こんなもの……」
差し出されたラテックスの塊を受け取った瞬間、ダルマシオ伯爵は記憶にある物との差異を感じた。
「はて、こんなに柔らかいものだったか? それに艶もあるように見えるしな。……これは一体?」
ダルマシオ伯爵には一瞬スライムか何かとも思えた。
「はい、私どもはこれを“ラテックス”と呼んでおりますの」
「ラテックス?」
「はい、今はこのような柔らかさですけれども硬くもできますし、柔らかくもできますわ。それがどういうことかお分かりになりますか?」
「ふむ、すぐには浮かばぬが利用価値はあるということは理解できるが……」
ダルマシオ伯爵が悩んでいる姿に業を煮やしたのか、ミーアがさらに丸いペラペラしたものを取り出す。
その一端を口で咥えて息を吹き込んだ。
すると一瞬で大きく膨らみ、ダルマシオ伯爵だけでなく傍にいた執事も驚かせる。
「なんと! 何かの魔法か」
この世界にこのように膨らむものなど魔獣ぐらいであろう。
驚くのも無理はない。
この時点でミーアはプレゼンテーションの成功を確信した。
ミレイアも微笑み、満足しているようだ。
「どうでしょうか。もしこれを叩いたり、蹴ったりしてみたらどうなると思われます?」
「ふむ、衝撃はあるだろうが軽微なものになるな。なるほど衝撃を和らげることができるというのか。しかも調整もできると……確かにいろいろな使い道がありそうな代物だ」
「では、もうひとつ具体例をお見せしましょうか。伯爵様、少々お外でお話しなさいませんか?」
ミーアは伯爵を屋敷の外へと誘い、ダルマシオ伯爵はさらなる期待もあり承諾した。
外へと向かう間に見せたいものは馬車であること、その一部にラテックスを使用していることを簡単に説明しておく。
まあ、ほとんどはミレイアによる馬車の快適さのアピールだったが。
やがて外に出たダルマシオ伯爵は、ミレイア達とともに馬車へと乗り込む。
ミーアが御者に町中を1周するように伝えると、馬車は街中へと走りだした。
すると走り出してすぐにダルマシオ伯爵が気づいた。
「ほう、確かにこれまでの馬車とは違うな。細かい衝撃が少ない。突き上げる衝撃が少ないな」
「そうですわ。この縦揺れや横揺れの少なさがとても素晴らしいと思いません? 長い距離であればあるほどその違いがお分かりになるはずですわ」
馬車にベタ惚れのミレイアによる話は、馬車の中でも続いていた。
恐らくサモンがいればどこの営業かと思うほどのセールストークであった。
だが、ミレイアが褒めちぎるのが嘘ではないと十分に理解できたダルマシオ伯爵は、いよいよ決断した。
「ミーア嬢よ。そろそろ明かしてもらえぬか。その提案者のことを」
「伯爵様、ということは出資に賛同なさるということでよろしいでしょうか?」
「ああ、喜んで私も出資しよう。領地の発展も懸かっていることだしな」
「伯爵様、ありがとうございます。これで肩の荷が降ろせそうですわ。……ただ伯爵様、申し上げにくいのですが、二言はないようお願いいたします。もし仮にそうなったときはわたくしのほうでも止める手だてはありませんので」
「むう、まさか近頃聖都で暗躍しているような輩ではないだろうな?」
近頃、聖王都のほうできな臭い動きがあるとこの辺境の地にも聞き及んでいる。
ダルマシオ伯爵は一瞬それらに関連した動きなのではないかと疑ったが、そんな輩が大金を掛けてまで自分に近づいてくる理由も見当たらない。
だが用心をすることに越したことはない。
「いえ、そのような方ではございませんが、聖王様や帝国皇帝さえも避けられるお方ですよ」
「むう、まさか……」
ミーアの思わぬ言葉にダルマシオ伯爵はすぐに思い当たる。
“聖王様や帝国皇帝さえも避ける”という言葉に当てはまる人物は、この大陸に置いて一人しかいない。
その人物に思い当たった瞬間にダルマシオ伯爵の血の気は引いた。
その反応をみたミーアは気づいたと察し、笑顔で答えた。
「はい、恐らく伯爵様がお考えになった方でございます」
「は、……は、鋼の大森林か」
「はい、おっしゃる通り大森林の主“サモン”さんです。あ、いけない、サモン様です」
「そ、そうか、……大森林の主はサモンというのか。これは少しキモが冷えたぞ。それならばそなたのいうた言葉も納得だ。覚悟のない返事ならば、将来我が伯爵家は消え失せてしまうところだったぞ」
どうもこの大陸の者達の認識では、いまだにサモンは恐怖の権化にあるようだ
サモンを知るミーアにとっては命と商会の恩人でしかないのだが、世間では違うようであることを実感した。
まあ、でも裏切ることがないよう今のところは好都合なので、フォローはしないでおくことにした。
「では納得していただいたようなので、詳細と段取りをご説明しますわ」
ミーアはそう言って今後の段取り及び詳細について話し始めた。
結局ミーア達は馬車の中で1時間ほど話して詳細を詰め、ダルマシオ伯爵の館まで送り届けた。
すでにその頃にはダルマシオ伯爵も将来的なニヨンの村の発展を確信するまでに洗脳されており、上機嫌で戻っていった。
もちろん別れの際に馬車を一台交換し、お土産のガラスペンなども渡すことは忘れていない。
これもダルマシオ伯爵の機嫌を左右したに違いはなかった。
そして馬車はそのままニヨンの村へと向かった。




