55 ミーアの交渉術
「さて、今日はエイワード商会のご婦人方が訪ねてくる日だったな。確かもう1年以上前か、会ったのは?」
「はい、1年と半年以上になるかと思います。旦那様」
ダルマシオ・エスコバル伯爵に問われた執事は、若干の修正を加えて応えた。
ここダルマシオ伯爵の居城がある“カルス・レーク”はニヨン村の手前になる。
位置的に聖王国のレン・シャファルよりも帝国のロレンティアに近く、街道筋ということもあり1万5千人ほどの街ではあるが、立派な城壁を備えた作りの街だった。
特産は油糧穀類や豆類などの他、牧畜なども盛んであった。
そのため油糧穀類や豆類などの収穫期には市が立つほどの賑わいになった。
「しかし、雑穀やらの割り当て分は、まだ収穫時期ではないはずなんだがな。こんな季節にやってくるとは、……何か売り込みぐらいしか思いつかんな」
「はい、収穫まではまだ1月以上もありますので、旦那様のお考え通りかと思います」
執事は主の言葉に同意しながら、机の飲み干したカップを下げていく。
商人がわざわざ季節外れの訪問をするとなれば、何かしら面白い話を期待してしまう。
「まあ、よい。いずれにせよたまにお会いするご婦人方だ。娘のほうはわからぬが、ミレイアはやり手だからな。話を聞くだけでもよい暇つぶしにもなろう」
「はい、ミレイア様は商人の中でも稀有な方でございます。お嬢様のほうも、……ミーア様と申しましたか? ミーア様も活発ではっきりとものを申される方のように見受けられます。ミレイア様とは違った魅力がございましたなあ」
「よく見ておるのお。お前がご婦人を褒めるのは久々に聞いたぞ」
「申し訳ございません、率直に申しすぎました」
つい饒舌になった自分を恥じながらお辞儀をして、執事は部屋を出ていった。
いつも表情を変えない執事が照れた姿をみれただけでも、 “今日の収穫はあったな”とダルマシオ伯爵は思えるのであった。
やがて昼食も済んだ頃、庭園を抜けて2台の馬車と3頭の馬が館の前に乗り付けた。
馬車から降りてきたのはミレイアとミーアだ。
もう一台の馬車は荷馬車で、3頭の馬に乗っていたのは護衛のようだ。
しばらくして執事の案内でダルマシオ伯爵の部屋に案内されてきた。
「やあ、久しぶりだね。エイワード商会の名前を聞く機会が増えたようだ。商売のほうは順調のようだね」
「いえいえ、皆さまのお役に立てるよう走り回っているだけですわ」
「ふふ、殊勝な物言い。相変わらずですな、その美しさといい、立ち回り方といい商人にしておくにはもったいないお人だ」
「まあ、商人をおだてても何も出やしませんわよ」
「ははっ、別におだてているわけじゃないさ。本音を言ったまでだがね。さて、今日は何かな、こんな辺境に近いところまで世間話をしに来たわけでもあるまい。何を売り込みに来たのかな」
「ほほほっ、いやですわ、伯爵様。商人だからといって売り買いだけとはかぎりませんわ。それに今日の私はただの保護者ですのし……」
ミレイアはそう言ってミーアを前に出るように促す。
ミーアは進み出てお辞儀をした。
「伯爵様、娘のミーアを覚えておりますでしょうか? 今日はこのミーアが伯爵様にぜひ聞いてほしい話があるそうなのでお引き合わせをさせていただきました」
「ほう、前にお会いしたのはまだ幼き頃だったと思うが、いつの間にか麗しき女性になったものよ。母上と目や口元が似てきたようだな。これでは周りの者も放っておかないのであろうよ。そんな娘子が私にどのような用件かな」
若い娘が躊躇もなく貴族の前でスムーズに礼儀ができることに伯爵は感心した。
よほど場慣れしていなければできない所作だ
「はい、時間もおしいほどの案件ですので、ご挨拶は省させていただきます」
“時間もおしいほどの案件ときたか”
興味を惹かれるワードを挨拶代わりにするとは、やはりこの娘も母親譲りの才覚があるやもしれんとダルマシオ伯爵は思った。
「ふむ、構わん。話されよ」
「はい、では。……先日、とある方よりご相談がございましてニヨン村の品を使った商売をしてみたいとのご相談がございました。ニヨン村は伯爵様の領内の村ですし、その方は聖王国外の方でしたので、伯爵様のご了承を得なければ難しいとお答えしました。ですがそのお方には恩もありますので、母の伝手を頼りに今この場でお話をさせていただいております」
「ほう、国外とな。まあ、詮索はしまいが“ニヨン村の品”とな? あそこもこの街とさほど変わらぬ品しかないとばかり思っておったが?」
「はい、今からその品物をお見せいたします」
そう言ってミーアは懐からごそごそと袋を取り出し、中にある物を取り出してみせた。
出されたものは緑色をした親指ほどの三角錐だった。
ダルマシオ伯爵はそれを手に取って不思議そうに眺めた。
「これは? 見たことはないが何やら知っているような匂いがするが?」
「はい、それは試作品ですので、たまたま今回はその形になっているだけです。おっしゃる通り問題はその匂いの元となるものが二オンの村にございます」
ダルマシオ伯爵はそこまで言っても思い当たる物が浮かばなかった。
「恐らく伯爵も嗅がれてはおりましょうが、実物はもっと薄い匂いがしますので気にも留めないのでしょう」
ミーアはそう言ってフランの葉をさらに取り出して見せた。
「ん、これは“フランの葉”。“フランの葉”からこれが作られていると?」
「はい、そうです。これは“嫌忌薬”と今は仮の名で呼んでいますが、小さな虫や魔獣程度ならこれ一個で3時間ほどの嫌忌効果が発揮できます。使い方は火をつければ煙が出ますのでそれだけで結構です」
「嫌忌効果? これ一つで小さな虫や魔獣程度なら寄ってこないと申すのか?」
「はい、そう申し上げました」
「う~ん、こんなもので邪魔な虫や魔獣が寄らないというのか? しかも魔法も使わずにとな。それが事実であれば遠出するときもだいぶ気苦労も減るというものだが……」
ダルマシオ伯爵でもこれまで戦場や旅などの野営で、虫などの不快害虫や小さな魔獣により度々悩まされてきた経験がある。
兵士や旅人ではそれ以上であろう。
「恐れながら伯爵様、私達婦女子の旅路でも試用してまいりましたが、一晩とて虫に悩まされることなく過ごしてまいりました。母様もそれは実感してございます」
「ふむ、ミレイアも納得しているようだし信じてはみるが、いかんせん実際に試してみなければ信用するわけにはいくまい。……いや、そなた達を信用していないというわけではないぞ。この商品の効能がどれほどのものかということが実感できないことには話に乗るわけにはいかないのだ」
これまでにこういった商品がなかったわけではない。
だいたいは目に見える効果はなく、匂いがきつい物や目や鼻の粘膜がやられるものなどの害を伴い、売れることはなかったのだ。
「はい、伯爵のお話は重々承知しております。ですので今晩だけでもお試しいただきご判断いただければと思っています」
「ふむ、時間をもらえるとなればそうしよう。今晩うちの警備の者にでも試させてみるとしようか。……で、もしその効果が認められれば信用するとして、その者はフランの葉を買いたいというのか?」
「はい、実はそこが今回ご訪問させていただいた話の核心になります」
「ん、今の嫌忌薬が話のキモではなかったのか?」
「はい、それだけでしたらお手紙でもよかったかもしれません。ですが、お話によってはことが大きくなるやもしれませんので、直にお会いさせていただきお話をさせていただきました」
「話がでかくなるとは? ん、大量にこの葉が必要になるということか?」
ダルマシオ伯爵は単純に“でかい=大量”というイメージを描いたのだが、そういうわけではない。
「ふふふっ、そうではございません。確かにフランの葉はあればあっただけよろしいですが、実は先方は二オンの村に工房を構えたいと……」
「工房? 嫌忌薬を製造するための工房か?」
「はい、それとできればフランの木がある一帯を租借し、フランの木自体も1本1本購入したいとの申し出でございました」
「ふ~む、土地と木をのう。……もしこの効能が真実ならば、そなた達は大きな商いになるな。だが聖王陛下より賜っている土地であることを考えれば、安易に一庶民に土地を渡すとなると難しいな……」
この世界の不動産は基本的にすべて王のものとなる。
そのためそれを領主に貸し与え、さらに庶民に貸し与える体裁をとっている。
ましてや国外の者に貸し与えることは、身元のはっきりしている者や商人以外には難しい。
「はい、であれば伯爵様と提案者、それと我が商会が出資して共同の工房をニヨンの村に開設するという道もあるかと思いますが? ただそのためにはその土地や木々には権利を設定して、他の者に勝手はさせないようにする必要があります」
「なるほど、土地と木を欲した理由はそのためか。よく考えておるな。その者はどこぞの商人か……まあ、いい。確かに共同出資ということであれば土地や木々の権利設定には問題は起きぬだろう。それにこの特産もできれば村も潤うであろうしな」
ダルマシオ伯爵もこれまでに建物や物に使用権や所有権を与えることはあったが、自然物に対してはあまり例がない。
だが鉱山やダンジョンの探索権、または討伐者の素材としての所有権が認めらることなどから、自然物に対しても管理者がいれば認められるだろう。
「はい、では今晩よくお試ししていただきご返事を待ちたいと思います。それともしご試用後信用がおけると判断していただき、工房の件も了承していただけた暁にはさらなる商品についてもお話させていただきます」
「ふむ。って、ん……さらなる商品と? まだ何かあるのか?」
ミーアが最後のダメ押しとばかりに気になるワードを散りばめた。
そしてダルマシオ伯爵も見事に食いついてしまう。
これまで気になるワードがいくつも出てきており、さらにあるとなれば気にならない者などいない。
「はい、あります。ですがこれをお話しさせていただくには、工房の件が進まなければお話しできないのです。ですのでまた明日、こちらでご返事を頂いてからとなります」
「むう……はっはっは、こりゃあ、やられたわ。初めからそのつもりであったのだな。少しずつ話に乗せさせておいてこちらをその気にさせるとは。……わかった。しっかり試してやる。そして信用した上ですべてを話してもらうぞ。その黒幕の名前もだ」
「はい、承知いたしました。明日すべてをお話しできるよう祈っております」
ミーアにとって、これはあくまでもダルマシオ伯爵が工房の件で交渉の席についてもらうためであって、意地が悪いわけではない。
いわゆる交渉術である。
なので乗せられたダルマシオ伯爵も怒らずに受け入れたのだ。
「まったく、ミレイアよ。すべてお主の筋書きではないのか?」
「いいえ、私は指示も何もしておりませんわ。今日はただの付き添いですの」
「ふん、ひょっとしたらお主以上の商人になるやもしれんな」
「はい、そう願っていますわ。ただそうなるかならないかはあの娘次第ですので、見守りたいと思っています」
ミレイア達親子は簡単な謝辞を述べ部屋を後にした。
残されたダルマシオ伯爵はミレイア達が姿を消した後もドアをしばらく見つめ、手の中に残された緑の三角錐を転がしていた。




