49 カイエスのファイナ
突然現わられたウォルケン皇帝。
髪を生やし、茶髪にして変装までしてやってきた。
着ている服も商人が着るようなゆったりしたシャツにベストを羽織り、細めのズボンだ。
庶民の場合は、男性がワンピース型のシャツに余裕のあるズボン、女性はシュミーズ(肌着)を着て、その上からコルセットや上着を重ね着するスタイルが主流だ。
始めは分からなかったサモンだが、声を聴いて何とか思い出せた。
傍には護衛らしき者が一人だけ付き従っていたが、こちらは一般的なシャツにズボンだった。
「なんだもう来たの? まだ早いんじゃないの」
「いや、せっかくだからな。早めに来て見ておこうと思ってな」
”ずいぶん身の軽い王様だな”
ウォルケン皇帝の言葉を聞きながら周りを見回す。
実際には5人ほど武器を身に着けた者が身を潜めていることを知っていたが、サモンは知らない素振りで会話を続けた。
「それで感想はどうかな?」
「ああ、立派な造りだ。帝都にもほしいくらいだ」
「造ってもいいけど遠いからなあ。サッカーの試合にはいけないよ。移動するのが大変だから」
アレクサから帝都カイエスまでは距離にして600kmもあり、片道6日もかかる。
到底交互に行き来して試合をできるような距離ではない。
ただし、カイエスやナベンザで別リーグを立ち上げるというやり方もあるが、サモンは敢えてそこまで言及しない。
「まあ、そうだな。今はあきらめるか」
“今は諦めるって、あきらめてないじゃん”などと思いながら、サモンは苦笑する。
「しかし、あれがサッカーという球蹴りか?」
ウォルケン皇帝が遠くでまだ練習を続けるアジズ達を指さす。
アジズ達は今、いわゆる鳥かご(3対1)をやっている最中だ。
3人でパスを回して一人が追いかける練習方法だ。
本来はさらに上のレベルで練習してもらいたいのだが、今はまだそのぐらいでいいだろう。
「けしからんな。あれではイジメではないか?」
3人に囲まれてボールをひたすら追う姿は、はた目にはそう見えるかもしれない。
「あれは鳥かごっていう練習法だ。攻撃側の「ボールを支配する力」と防御側の「ボールを奪う力」を伸ばすためにやっている練習方法だよ」
実践に近い練習法の中では最もコンパクトな練習方法だ。
サモンがそのように説明すると感心したのかウォルケン皇帝は数度頷く。
ウォルケン皇帝はなんとなくイメージできたようだ。
「では、試合ではあのようなボールの奪い合いをするのだな」
「まあ、本来はそうなんだけれどね……みんな夢中になってくると固まってきちゃうんだよね」
「固まる?」
「ああ、そうだな。今みたいにあの3人が離れていればなかなかボールが奪われにくいっていうのが分かると思うけど。試合ではこの広い芝生の部分を使ってやるんだ。だから味方の選手が散らばって、その鳥かごのようにボールを回しあって敵陣に運べばいいわけだ」
「確かにそうだ。これだけ広ければ奪われまい」
「そ、理屈ではそうなんだけれど、実際は相手も同じ数いるんだ。今のあんな楽な状況じゃなくなるんだよ」
そう今は3対1でも実際は同数になるのだ。
練習のようにボールを持った側がいつも有利な状況ではない。
「確かに同数であれば、むしろボールを持った側のほうが苦しいな」
「そうなると始めはボールを回すことを意識はしててもパスが出せなくなるだ。それで冒険者の性というものなのか次第に“自分が”ということになって、それぞれがボールを追いかけまわすようになるんだ。それでみんながボールに固まりだすのさ」
「む~、意識改革というのはどの集団でも厳しいの~」
サモンの団子サッカーの話は、ウォルケン皇帝にも似たような経験があるようだ。
「それにしても履いてる靴は走りやすそうだな」
「ああ、あの靴は裏に突起があるから踏ん張りやすいんだよ」
「ほう、そんな靴があるのか?」
「ああ、“うち”で作った。サッカー専用にね」
「売ってもらえるか?」
ウォルケン皇帝の足元を見れば、一般的な皮をなめした靴だった。
靴底が濡れるとふやけて痛い靴だ。
兵士が履くブーツのようなものなら靴底を厚くしてあるのでそこまで痛くはならない。
普段から履きなれていれば足の裏も厚くなるので慣れるようだが、滅多に履かないウォルケン皇帝には苦痛なのだろう。
「う~ん、今は無理だね。一つひとつ手作業なんだよ。将来的には一般向けにしたいんだけれど、まだ職人が揃っていなくてね。材料もまだ入手が不安定なんだよ」
「材料?」
「ああ、“フランの木“っていうのが聖王国の一部でしか取れないから、今交渉してもらっているんだよ」
「“フランの木“とな? う~ん、帝国では聞いた覚えはないな」
おそらく聖王国でもごく一部でしか生えていない樹だとサモンは説明し、これも諦めてもらった。
そこでふとサモンは、ウォルケン皇帝の口からナベンザの生産拠点の話が出てきていないことに気がついた。
どうせ後で知ることになるのだからと馬車のことやそのためのナベンザでの生産拠点の設置について話した。
「なんと!そんな話を進めていたのか、我に話も通さず」
ウォルケン皇帝が少し不機嫌になってきているようなので、イングリッドのためにも補足しておくことにした。
「まあまあ、こっちも量産化について考えていたところ、ナベンザは鉱石が特産だって聞いたからね。“じゃあ”ってことでこっちから提案したんだよ」
「それならば中継地点となる帝都にも話があってしかるべきだろう」
どうも仲間外れにされたと感じたらしい。
こんなちょっとしたことで嫉妬が生まれるのを目の当たりにしたことにサモンは驚いた。
おそらく貴族や王族特有の感性なのだろうが、甘く見ていたとサモンは反省した。
「もちろん話は通すだろうさ。それに話が出たのは2日前だから今頃は帝都に連絡が行っている途中だろうさ。それにこれはイングリッドのおやじさんも知らないことだぞ。まずはそっちの承認を受けなければ話は進まないんじゃないか」
「ふむ、確かにそうだな。我も短慮が過ぎたようだな、許せ友よ」
“おおげさだなあ。どうもいちいち芝居じみてやりにくいな”
そうサモンは思いつつも、このままナベンザだけに肩入れするのも今のウォルケン皇帝のような反応を示す者も出てくるかもしれないという懸念が出てきた。
「そういえば、カイエスって街は何か特産があるのかい?」
「まあ、帝都ではあるから多くの物が揃ってはいるな。元々カイエスはその北にポーリアの森、南は魚が豊富なカイエス湾、西には緩い丘陵地帯が広がってファイナ(綿花のような植物)が盛んなのだ。そのため衣食住が揃った街ということで大きく発展してきたという経緯がある。そういった意味では食べ物と衣服といったところになるかもしれんな」
ファイナ自体は珍しいものでもない。
大森林でも家の周りに植え、小遣いていどの収入を得ている家は多い。
そこでサモンはファイナと聞いてふと思いつく。
「そういえば、今日来ている服はこの前と比べれば質素だがそれもカイエス産かい?」
「ああ、そうだ供の者に適当に買わせてきたものだが、なかなかであろう」
「ああ、最初何処の商人かと思ったよ。服だけは若返って見えたよ。ところでそれもファイナが原料なのかい」
「ああ、おそらくカイエスで売られているのだからカイエス産であろう。もし聖王国産であれば店主を叩き出してくれる」
サモン自身もさほど衣服には無頓着であった。
靴自体は元々履いていた靴を履いてはいたが、サッカーのことや将来的には履き替えなければならないこともあり、代替品を探していたため開発を急いだが、衣服についてはノーマークだった。
衣服についてはあるものを着ればいいぐらいに思っていたのだ。
だが思い返してみると一般的な服はこの世界の技術レベルがそうなのか、布の目も粗く均一ではない。
デザイン的にも色がついている者はあるが、無地で白い下着をベースに上に羽織るものがほとんどであった。
庶民に至っては、目の前にいる護衛同様ワンピース型のシャツにズボンという者も少なくなかった。
“あれ?そういえば、これまで気にしなかったが、ニケの奴どこから俺の服を持ってきていたんだ? あとで確認しないとな“
そう今までサモンの服はニケが用意していたので、特に困ることはなかった。
それにこの世界の住人は数着を使いまわして着ており、冒険者に至っては装備もあるため、着れなくなるまで使い続けるというありさまだ。
周りに冒険者が多いため、サモン自身もこの世界ではそれが当たり前のように受け止めていたのかもしれない。
サモンはいま改めてこの世界に衛生管理の概念がない現実を思い出し、失念していたことを後悔した。
「おい、どうした?」
不安と後悔でフリーズしたサモンを珍しく思い、ウォルケン皇帝が声を掛ける。
その声にサモンは我に返り、ウォルケン皇帝に問いかけた。
「その服はいくらぐらいするんだ?それとそいつのシャツは?」
そう尋ねるとウォルケン皇帝は不思議そうな顔をするが、自身も知らないので護衛に尋ねた。
「シャツは銅貨で200枚、下は400枚です」
「確か一般的な稼ぎって1日当たり50~60枚って聞いたことがあるな。そうなるとシャツで4日分、ズボンで8日分ってことになる。……高くないか?」
あっという間に暗算したサモンに護衛は驚く。
「え、ええ。庶民にとっては贅沢品になりますので、それほど数は持っていないと思います」
「うちでもそうだけど、やっぱり布とかって上から複数の糸を吊るして横から横糸を通していくのかな?」
「ええ、詳しいことはわかりませんが、そのような場面を見たことはあります」
護衛のその言葉を聞いたサモンは、顔をニヤつかせた。
しかし、その変化を見逃さなかったウォルケン皇帝は、サモンがまた何かを思いついたのだと気づく。
「サモン殿、何か思いついたのかな」
そんな誘い水のような言葉にサモンは答える。
「ああ、ちょっとね。ただこの場では言えないな。少し調べないといけないことがあるから」
「おいおい、ここまで来て隠し事とはつまらぬではないか」
「じゃあ、完成祝賀会には庶民生活や内政に詳しい人は来るのかい?」
「なんだ、我ではだめなのか?」
サモンが別の者を要求したことで、ウォルケン皇帝がやや不満げに問う。
「ああ、必要なのはカイエスの庶民生活に詳しい人なんだよ」
そう、聞きたいのは世情に疎い皇帝ではなくて、庶民レベルでも理解している幅広い知識を持った識者が必要なのだ。
「ならばグラント商会のブレアが来るはず。あの者ならばカイエスの隅々まで知り尽くしておろう。それに貴族の情勢についても心得ているはず。あの者ならばサモン殿の期待に応えられるはず」
グラント商会とは、確か帝都に本店のある帝国で一番大きな商会だ。
二番目はナベンザのクルト商会だとイングリッドが自慢していたことがあった。
「確かに帝国一の商会の人なら適任かもね。じゃあ、その人が着いたら一度ここに来てもらおうか」
「ふむ、それは良いが、せめて何について話すのかぐらいは明かしてもらいたいものだの。事前にわかれば話の中身も深まるものよ」
「まあ、そうだね。じゃあ、生地の生産量を倍にする方法だよ。だからファイナ生産方法や流通事情を知りたいんだ。とりあえず」
ウォルケン皇帝はサモン言葉を聞いて頬を緩ませる。
「そうか。カイエンのファイナに目をつけおったのか。ならば我が帝都も協力は惜しまぬぞ」
「そう焦らないでほしいな。まずは話を聞いてからだ」
こうして長い立ち話は終わりを告げた。
というより開放してもらえたのである。




