119話 第2章 大聖堂地下
第1部──予期せぬ出会い
大市壁を抜けた瞬間、王都の喧騒はさらに増した。
聖王国最大の大聖堂が近づくにつれ、空気自体が神聖な香に染まっているかのようだった。
正面通りには無数の青白い布屋根が連なり、その上に吊られた聖句札が風に揺れてパタパタと小さな音を立てている。
巡礼者が滑るように行列をつくり、香炉を手にした神官がひたすら祈りの言葉を唱え続けていた。
「……ここまで人が多いとは思わなかった」
サモンは人の波に半ば押し流されながら言った。
「そりゃ祭典直前だからな。普段の王都じゃねぇぞこれは」
ソルは肩をすくめつつも、流れに逆らわず淡々と歩を進める。
フィアは人混みの先、大聖堂の尖塔を見上げていた。
「……いつ見ても、圧倒されますね……」
白壁に金の聖句が刻まれ、巨大なステンドグラスが空の光を浴びて輝いている。
だが、その荘厳な姿とは裏腹に、中央通りは異様なほど慌ただしかった。
「みんな、ずいぶん忙しそうだね」
サモンが小声で言う。
実際、彼らが運んでいるのは祭壇装飾だけではない。
布に包まれた何か重い物を、こそこそと裏手へ運んでいく姿もあれば、帳簿を抱えて走り回る司祭もいる。
まるで“何かに追われている”ような、そんな切迫感すらあった。
ザラタン司祭がそんな彼らをじっと見据え、しばらくすると
「――皆さま、こちらです」
白灰の法衣が揺れ、ザラタン司祭がゆっくり振り返る。
彼は祭典準備区域の管理者であり、フィアも全幅の信頼を寄せる人物だ。
その顔には、明らかに“ただの祭典準備ではない”緊張が滲んでいた。
「司祭様、何か……?」
フィアが尋ねると、彼は目を細める。
「帳簿の量と実際の銀・塩の数が一致しません。本来、銀の器は祭事用として決まった量しか納入されないのですが……今年は“帳簿上”は例年の三倍です」
「三倍?」
ユーディーが眉をひそめた。
ザラタン司祭がうなずき、あらめて自身の疑問を投げかける。
「はい。確かに今年は規模や招待者が増しているので、銀の器は今まで以上に必要ですが、せめて予備に1.5程度もあればと思っておりましたが、いつの間にか3倍になっていました。しかも貴族様方からの寄進もあるという ……おかしいと思いませんか?」
「たしかに……。客が増えたにしても限度があるからね」
サモンが言葉を重ねると、ザラタン司祭は静かに頷いた。
「だからこそ、倉庫を確認しに参ったのです。ただ、別の者に確認に行かせたところ、倉庫は現在“修復のため封鎖中”……という名目で立ち入りが制限されていたようです」
ソルが鼻で笑う。
「すごいな。いかにもって言い訳だな。物を収めていて封鎖中とはね」
「まあ……そういうことです」
ザラタン司祭は苦みの走る笑みを浮かべ、裏通りへと案内した。
第2部── 祭典準備の影で
周囲を確認しつつ進み、さらに声を落とすようにザラタン司祭は言った。
「ここ数日、裏口から“見慣れぬ神官”が出入りする姿が報告されています。
私の知らぬ者ばかり……」
ユーディーの瞳が鋭く光る。
「それは……西方教会の中で司祭の知らぬものなどそう多くはあるまい。それでも“見知らぬものばかり”となると……」
ザラタン司祭も西方教会の特別な祭事を任されるほどの人物であれば、末端までとは言わなくともそれなりに関係者の顔と名前は覚えているはず。
ザラタン司祭も知らない関係者となれば末端かそれ以外の者ということになる。
そしてもう一つの可能性。
サモンの心臓がひとつ跳ねた。
西方教会の裏方、あの忌まわしい名前―― エクサハラマ(六道聖)
その名を思い出し、嫌な予感が湧きおこる。
そのまま一同は大聖堂の裏門を抜けると、司祭がひっそりと隠れた扉の前で立ち止まっる。
扉には“封鎖中”張り紙が貼ってあり、思わずソルは吹き出し、サモンは呆気にとられたが、
魔術的封印が薄く光り、重々しい雰囲気を放っていた。
ザラタン司祭が掌をあて、魔素の合言葉を唱えると、扉は鈍い音を立ててゆっくりと開いた。
「ここが……倉庫でしょうか?」
フィアは思わずごくりと唾を飲む。
「はい。本来は祭壇用の器具や供物を保管する場所です。しかし……」
司祭は足元を照らしながら階段を降り始めた。
薄明かりの奥に続く階段から湿った空気が流れてくる。
地下に近づくにつれ、金属の冷たい気配が強くなった。
階段を降りきると、冷気が肌を刺すようだった。
第3部── 銀と塩の異様な光景
解除された封印の奥、暗い倉庫に灯りをともすと──
部屋の中央には鈍い明りに照らし出された妙な配置の銀色の像。
そしてその下には床の大半を占める白い台座のようなものが広がっていた。
さらに目を凝らすとその台座の上面には刻まれた魔術式がゆっくりと明滅しながら鈍い銀色の光を放っていた。
サモンは思わず息を呑む。
「あらま……」
「倉庫ってレベルじゃねぇな……」
ソルも眉をしかめている。
フィアも震える声でつぶやいた。
「……ここまで大量の銀を……一体何を目的にこんな……?」
ユーディーが明らかな台の魔術式を観察し、顔を険しくする。
「司祭、この魔術……単なる保管結界ではない。魔素を“流す”構造だ。それにしてもこの光……」
「ええ」
ザラタン司祭がゆっくり頷いた。
「……これは、核ではなく“供給回路”として設計されていますね。しかも術式として不安定ですね」
フィアが息を飲む。
「供給……!? では……大聖堂のどこかで、より大規模な魔術が……?」
司祭の声は重い。
「その可能性が最も高いでしょうな。祭典の日に合わせて……何かを“起こす”ための準備やもしれません」
ザラタン司祭は額に汗がにじむのを感じた。
“供給回路”……大規模な魔術……一国を揺るがす規模の魔術。
そして銀と塩は、その触媒に最適だ。
かつてニヨン村の密輸で扱われたのも、まさにそれだった。
「……最悪だね……これ。」
サモンがつぶやくと、
「まだだ。最悪になるには早ぇよ。」
ソルが床に手をついて魔術線を調べる。
「これ、銀脈を利用してるな……?」
ザラタン司祭が深く頷く。
「はい。この地下倉庫のさらに下には、自然銀の“銀脈”が走っています。 魔法との親和性も高いので……その銀脈を魔素回路として利用し、さらに塩で安定化させて……」
「大聖堂本殿へ“魔素供給”する回路……」
ユーディーが言葉を継ぐ。
フィアは唇を強くかみしめた。
「大聖堂本殿は……祭典当日、最も人が集まる場所……」
ニケが警告する。
「司令……地下から……異常周波を伴ったエネルギーの奔流が上がってきます」
その瞬間。 ググゥ──ッ……。
魔法陣のの魔術線が、淡い光を帯びながら脈打った。
ザラタン司祭が叫ぶ。
「まずい、何かに反応して魔素が逆流している……! 魔法陣が……暴走しかけています!」
「退避だッ!」
ユーディーがフィアを抱えるようにして飛び退いた。
だが、魔法陣は呼応するように光を強めていく。
「私が……抑えます!」
ザラタン司祭が印を組み、魔素拡散結界陣を展開した。
その瞬間、白い光が倉庫全体に広がり、魔法陣の暴走は──
ピタリ、と止まった。
「司祭様……!」
フィアが駆け寄る。
「はぁ……はぁ……。危険なところでした……。 逆流があと十秒続けば、倉庫ごと崩れていたでしょう……」
フィアは震える声を押し殺した。
「……これ、本当に“祭典準備”の一環なのでしょうか……?」
司祭は静かに首を振る。
「いいえ。この小さな規模は使うこともありますが、これは大きすぎます。……これは……おそらく呪術への供給のためでしょう」
倉庫の冷気が、さらに冷たく感じられた。
フィアの恐るおそる尋ねる。
「つまり……こんなものまで用意して誰かを……?」
「――おそらく、シュナイト殿下です。」
ザラタン司祭は、断言した。
広い倉庫に、誰の息遣いも聞こえないほどの静寂が落ちた。
そして、その次に始まるのは──
惨劇の幕開けは、すぐそこまで迫っていた。




