106 朧を掴む日
マリオの工房を後にしてから翌日、サモンはシャニッサへ向けた馬車の中であった。
ここを初めて通った時、エイワード商会のミーアやパルと出会ったことをサモンは思い出す。
あの頃はまだサモンも外の世界に干渉し始めたばかりで、今進んでいる街道などでも頻繁に魔獣や盗賊などに襲われたものだが、今ではそれも少なくなったという。
やはり街道を行き交う人の量が増えたということと、定期的に露払いをしているおかげのようだ。
魔獣の被害は少なからずあるらしいが、少なくとも盗賊の類による被害は最近ないという。
魔獣にしても護衛をつけていれば充分対処できる範囲だという。
今は大森林~シャニッサ間には村もなく宿もないが、いずれ目先の利く者がいれば中間地点辺りにでも住みつくかもしれない。
なんならサモン自身が作っても良いとさえ思っていた。
今では中央公路と呼ばれる街道をサモンは、馬車に揺られながらシスレィの面々を伴い進んむ。
翌日シャニッサの入り、そのまま競技場に併設された協会施設に立ち寄った。
日も高くなった頃合いなので、シュナイトもこちらにいる確率が高いためだ。
この日はサッカーの試合もなく、競技場には人もまばらであった。
それでも以前よりも広告やら横断幕の数が増え、スポーツのような娯楽が受け入れられつつあることが一目でわかった。
監視しているシスターズの報告からも順調であることは確認しているサモンであったが、実際に目の当たりにすると一層うれしいものだった。
協会を訪ねるとすぐに職員が応対し、そのままシュナイトのいる執務室に通された。
執務室に入るとシュナイトはそれまで手を付けていた書類仕事を投げ出し、豪華な応接セットにサモンを呼び込んだ。
「やあ、待っていたよ。相変わらず忙しく動いているようだね」
相変わらず屈託のない笑顔でシュナイトが話し出す。
「ああ、外を巡ればいろいろと興味に惹かれるもんでね」
「はは、興味に惹かれただけで一国相手に喧嘩を売るなんて、売られた方も可哀そうに」
「なんだ、もうこんなところまで話が伝わっているのかい?」
すでにロレンティアの件からは1週間以上たっている。
商人や旅人による風聞は拡散されているのだろう。
ましてや国レベルの諜報機関もあるのだろうから早い段階で、シュナイトクラスの耳には届いているのであろう。
「まあ、一応国境沿いの街だよ。庶民レベルではわからないが、我が国にとっても影響を受けかねない事案だったからね」
「まあ、そのおかげで手間が省けたよ。そっちにも迷惑をかけたのなら詫びるよ」
「いや、詫びる必要はないさ。商人同士のいざこざなんだろ。それに慌てたのは西方の貴族どもと一部の教会の者だけさ」
一応建前としては商人同士の喧嘩となったわけだが、当事者が北の大国の大きな商会と今や大陸で話題の商会だ。
飲屋の喧嘩とは次元が違う。
ましてや北の商会、ゾフ商会の被害は大きい。
北の商会の船がこぞってロレンティアに押し寄せなかったのが不思議なくらいだ。
ただその影響で数日、北の荷物の流通量が減ったことは確かだ。
「まあ、そんなとこだろう。これではっきりしたわけだ」
「そうだなあ、これまでにも話には出ていたが、何しろ西方で進められていたから確証めいたものがなくてね。これで“ラフ・グラン(帝国)”と西方貴族が繋がっていることに確証が持てたよ」
さすがに聖王国内でも噂話レベルの程度では認識されているらしい。
だがつい最近までそれは、交易面での話にとどまっていたものだ。
しかし、近年の一部の西方教会や王宮内の動きを絡めると、それだけにとどまらない不安が聖王国内に漂い始めていた。
「そりゃよかった。それで俺を呼んだ理由はそのことかい?」
「まあ、それも少々あるけどね。ユーディーから知らせがあった……」
シュナイトの口から突然、“ユーディー”……少し前にサモンに関わる業を清算した“パル・ポタス”領主 “ユーデリア・ブラウ・ニッツ”公爵の名前が飛び出した。
「ユーディーは早速、フィア第1皇女とともに聖王国リーグ設立を聖王に奏上し、領内の製紙工房設立に向けて動きはじめたそうだ。オニキス商会といった主な商会にも打診している」
「さすがは“鉄女”……といったところか」
ユーディーが過去と決別し、挨拶の言葉を述べた時の決意を込めたユーディーの双眸をサモンは思い出す。
領民を守り、王家を守り、政務に全うするという決意を秘めた目を。
その決意を固めた“鉄女”の行動力はさすがだった。
「ああ、そこでだ。今度主だったスポンサーどもを連れて視察に来ることになった。まあ、広告の件やユーディーやフィアでは、説明しにくい部分もあるようなのでな。そこのところは私でもいいのだが、できればサモンも同席してもらえれば説得力があるのではないかと……だな。それがユーディーから相談だ」
何か怪しい表情を浮かべながらのシュナイトの説明だった。
当然、聖王国リーグ及び製紙工房の設立は王女や公爵の資金力だけでは心許ない。
各方面の商人や貴族から金を巻き上げ、いや協賛金や協力者を募る必要があるだろうことは、サモンも理解はしている。
そのためにはより具体的な話が担保として必要なのだ。
となると、誰が適格者かは言い出しっぺのサモン以外にはいないのだった。
「まあ、そういう事情であれば仕方がないか。いつだい?」
「むこうも準備などもあることだし、1か月後ぐらいでどうだ?」
「1か月か……。このあとロレンティアまで行かなくちゃならないんだ。だから少しずれるかもしれないけど、それでよければ」
今後の予定を考えればサモンとしてもぎりぎりの行程だ。
何か余計なトラブルがあれば、伸びる可能性があるため、サモンはそう答えた。
「ああ、かまわないよ。どうせ妹も一緒だ。こっちでのんびりしてもらうさ」
シュナイトも“そんなことは承知の上だ”とばかり頷く。
「すまないがそうしてくれ。それと詫び代わりといっては何だが……ソリア」
サモンは唐突に聞いたことのない名前を口にした。
そして手を差し出し、シュナイトの後ろを指さす。
「ん……、お、おい……」
シュナイトは少し慌てた様子で、振り返った先に佇む見慣れたものを見た。
そして次にサモンの後ろにいるニケを凝視し、再びソリアと呼ばれたシスターズを見返す。
その立ち姿はニケと同様、ソリアも全身をマントに包み込み、顔の部分に当たるところに鈍く緑色に発光する目のような部分が見えるだけだ。
「ニケと同じシスターズのソリアだ。そいつを君に付けておく。いつでもソリアを通じて俺と連絡が取れる。名前を呼べば姿を現すようになっている。護衛も兼ねている」
サモンはこの場では、“そいつを君に付けておく”と口にした。
実際には競技場で襲われそうになったその日から侍らせていたが、敢えてそれをシュナイトに知らせる必要はないと思ったからだ。
それに今後、シュナイト襲撃の可能性は高まることが予想され、ソリアの存在もシュナイトに認知させる方がいろいろと効率が良いと判断したからだ。
「そ、そうか。しかし良いのか、君の部下を?」
「かまわないよ。すでにユーディー達にも付けてあるんだ。もっとも本人たちには知らせていないけどね」
「あっははは、すでに手を打ってたってわけかい。せめて事前に……、まあ、いまさら言っても仕方ないか」
「まあ、次に会ったときは伝えるよ。稽古相手にしろと言われなきゃいいんだけどね」
ニケを相手にボロボロになりながらも挑んだ“鉄女”である。
運動不足を理由に挑みかねないかもしれない。
「言い出しそうだな、はっはっは。……まあ、それはそれとして、ついでにユーディーからの話だと“サン・ムリア”や“アル・カール”の貴族や西方教会の動きが慌ただしいようだ。しきりに弟のカインズ(カインズ・エーデル・シュタイン第2王子)やパラス(パラス・アテイト・シュタイン第3王子)の屋敷にもその関係者が立ち寄っているそうだ」
確かにサモンの方でも、アル・カール教区を監視しているシスターズから報告が上がってきてはいた。
特にアル・カール~レン・シャファル間で巡礼者を装った西方教会の関係者が増えていることがわかっていた。
それを知りつつサモンは初めて聞いた風を装った。
「へえ、いよいよ何かあるのかな?」
おそらくソリアの件によりシュナイトも勘づいたはずなので、敢えてそう応えた。
他国の情報収集などナイーブな問題なのだ。
「まあ、まだそこまではな。いずれにせよ一旦聖都に戻らねばならんよ。父上も心配だしな」
「ああ、そうするといいよ」
サモンとしては、動きはじめるのは王宮内からだと考えていた。
それは、先に西方教会が動き出しても王位を狙う一派としては効率が悪いからだ。
王位を狙う一派が目的を達成するだけならば、西方教会が動き出して混乱を起こすことも一つの方法であるが、これまでの西方教会の動きは全く別の方向性がるようにしか思えないのである。
銀の流入増は仮にも経済の混乱を狙ったものとも思えなくもない。
しかし、塩はその目的に大きく影響するかといえば限定的だ。
おまけに子どもの拉致である。
当然、治安に影響するといえばそれまでだが、それでも王位継承に影響するかといえば、薄いように思える。
となれば、目的は他にあるといわざるを得ない。
サモンは現段階でそう分析している。
うすうすは朧気に見えてはいるが、まだ見えていない部分もあり、サモンとしても踏ん切りがつかないのであった。
そのため今は触れることを避けているのである。
いづれは実態を掴む日も近いだろうと思いながらも伏せるのであった。
そのあとサモンは、シュナイトとシャニッサ協会のことなどを話して部屋を後にした。




