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第78話 虚構の正義

「うわぁ……」


 目の前の光景に思わず声を漏らす。

 何が起こったのかは単純明快。

 セラはノーモーションから見事な後方宙返り蹴り(サマーソルトキック)を繰り出し、アルバートの顎に足のつま先をぶち込んだ。そうして蒼銀大車輪に巻き込まれたアルバートは天井と熱いキスを交わすことになったということだ。


「ほら、聖女らしく更生の機会を差し上げているのですから、早く向かって来て下さいな」

「■、■■■■■――!!」


 だがそこは、流石に人外の耐久力。すぐさま持ち直したアルバートがセラを我が物にしようと飛び掛かるものの――。


「罪を悔い改めよとは言いません。今は蹂躙して上げましょう!」

「■■、■■■、■、■■――!?」


 聖剣を鞘に納め、素手格闘(ステゴロ)のセラから一方的に殴打され続ける。


 鋭い手刀。

 鞭のようにしなる長い脚。


 凛として峻烈(しゅんれつ)

 決して粗暴ではないが、激しく重厚な連撃の数々。

 セラが舞うごとに頑丈なアルバートの鱗が(へこ)み、消し飛び、体の各所がうっ血していることからも、破壊力がありありと伝わってくる。


「セ■フィー■ァァ!?」

「貴方が話していいのは、その力を与えた者の情報だけ……。正義という名の邪悪はもう御免です」


 恐らくセラは、奴が自分のストーカーをしたことに怒っているんじゃない。その身勝手を押し通すために国中の人間を巻き込んだことを憤り、悲しんでいるんだろう。

 何より、シェーレの友人を始めとした民衆の思想を、彼らの不安と恐怖に付け込んで自分色に染め上げようとした。俺を始めとした自分の意にそぐわぬ人間を排除するどころか、セラや皇族の思いすら踏みにじった。

 それはこの国を愛し、命を懸けて護ってきたセラへの最大の侮辱。故にアルバートは、静かな憤激に晒されている。


「■、ぁ■■は■……」


 だがそれも長くは続かない。

 どれだけ力が増そうと、アルバートは戦士じゃない。たとえセラが出力を抑えて戦っていようとも、正面対決で勝てる道理などあるはずもないということ。

 アルバートは肩で息をしており、もう限界寸前。

 対するセラは呼吸一つ乱していない。

 故に決着。


「……気は済んだか?」

「貴様■情がこの私を見■ろすなど……」

「そんなことはどうでもいい。両手両足を引き千切ってでも、身柄を確保させてもらう。目的はこの国と世界の闇を暴くため……お前が言うところの正義に相当すると思うが?」


 未だに怯えながら抱き着いて来るニーズヘッグを一撫ですると、蒼穹の眼光でアルバートを射抜く。

 よほど屈辱だったのだろう。奴が再び理性を取り戻す。


「そんな■とが許される■■がない! 正義と悪は互いに相容(あいい)れぬ存在! 貴様らが共に在るなど、世界が許すはずないのだ!!」

「正義も悪も所詮しょせんは、個々それぞれが抱くものだ。普遍的(ふへんてき)な基準など存在しない。つまりお前にとっての正義は、他人にとっての正義とは違う」

「私が間違っていたというのか!? そんなこと……ッ!」

「理由のない正義はただの押し付け。悪意と何ら変わりない」

「それは弱者の理屈だ! 子供の考えでしかない!」

「暴力だよ、その言い様は……」

「正義に理由など必要ない! たとえ暴力を振るうことになろうとも、私は正しいのだ!」

「暴力に正義も悪もない。あるのは痛みだけだ。それが聖戦であっても、悪逆であっても……」


 かつて俺を虐げたアースガルズの人々が行ったことも、先の大戦で多くの人々を救ったことも本質的には変わらない。違うのは心持ちと大義名分だけ。

 正義という名の邪悪とはよく言ったものだ。

 だが自分が悪だという自覚がない分、ただの悪党よりも遥かに(たち)が悪い。


「……それに正義や悪と喚くなら、今のお前は俺と何ら変わりない。排除すべき悪ということになるが?」

「何を……ッ!?」

「その閉じられた右目……俺を悪魔と称した魔眼。自己陶酔とセラへの歪んだ情欲に(くら)んで、自分が災厄の使者とやらになったことにすら気づかないとはな」


 膝をついたアルバートは目を見開くと、頭を抱えて崩れ落ちる。


 災厄の象徴である魔眼を持つ者はセラと一緒にいられない。

 それなら劣化魔眼を手に入れた奴自身はどうなるのか――。

 自分が抱えているとてつもない矛盾に気づいてしまったわけだ。


「あ、あ■、ぁぁ■っっ……嘘だ……こんな、私が……(けが)されてしま■■というのか?」

「そんな生娘のようなことを大の大人が……」

「――」


 そんなアルバートにセラは絶対零度の視線を向け、一応姿が似ていると言われたニーズヘッグは奴の言い様に可愛らしくプク顔を浮かべて抗議している。


「……聖剣に見初められた皇女と帰還した竜皇が納める世界……完璧な正義とやらを追求するためには、行動するしかなかった。だから許せなかったんだ」

「私とヴァンが共に在るのが?」

「ああ、でもそれだけじゃない。この男は自分が情欲を抱いていること自体、許せなかった。それは完璧な人間ではないから」

「だから暴走したと? 他人を巻き込んでまで……」


 まあ言ってしまえば、女の扱い方が分からず、暴走しただけ――というのは、セラに伝えるべきではないだろう。まだやり込められそうなソフィア殿下ではなく、頑なに“セラフィーナ”へ執着したのがその証。

 つまり神を(あが)め、正義を執行しようとしたこの男こそが、誰よりも人間だったということ。


「でも、暴走のトリガーを引いた者がいる。だから、本当の真実を確かめないといけなかったわけだが……」

「■■■■■■■■!!!!」


 正義の執行者が劣化魔眼の保持者。

 アルバートは自覚してしまった矛盾が許せなかったのか、自らの手で右目を潰そうと爪を突き立てる。その寸前、魔剣の一撃で右腕を斬り落としたが、既に奴の脳は右目の危機(・・・・・)を認識してしまっていた。


「自傷への対策も万全。現実はそう甘くないか……」


 直後、アルバートの右眼球が結晶化し、内側から頭蓋を食い破るように肥大化。同時に奴の全身へ見覚えのある刻印が回っていく。

 それは奴がローブ姿の狂信者に植え付けた起爆措置と同じ。つまり真の暗躍者(フィクサー)による口封じだということ。

 だがこれまでの連中とは決定的に違う部分もある。


「これが紛い物ではない……本物の魔眼の力……」

「ああ、厄介なことになってきたな」


 それは自爆ではなく変質。“恤与眼(ギフレイン・ドグマ)”によって付与された力。

 アルバートの全身は竜だけでなく、様々な生物の特徴が折り重なった合成獣(キメラ)――異形の姿へと変わっていく。

 そして奴の口元には、既に猛々しい魔力が収束されていた。

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