第70話 流転する混迷の時代
皇帝謁見の翌日。
既に年一度の“エーリヴァーガル祭”に臨むべく準備が始まっており、街は久々の賑わいを見せていた。
「皆さん、楽しそうですね。あんなことの後なのに……」
「いや、あんなことの後だから、無理をしてでも元気を出そうとしているんだろう」
「え……?」
俺は露店や屋台、飾り付けをしている人々を見回すシェーレに対して、そう答える。
因みに同行しているグレイブと第七小隊の二人は、既に住民連中と戯れていた。
「オバちゃん、これはどこに運べばいいんだ!?」
「ありがとうねぇ、グレイブちゃん。二個隣の店に運んどいてくれ」
「良いってことよ! 困ったときは何とやらだぜ!」
「ウチはどないすればいいんや!?」
「私も、力持ち」
「あら、若いってのは良いもんだねぇ!」
とはいえ、シェーレの疑問は尤もだろう。
では、どうしてこんな混乱状態で祭りなど行うのかと言えば、皆が望んでいるからだ。
第一、この国の混乱は、神獣種――“アンドラス”の襲来から始まり、アースガルズとの戦争、聖冥教団のデモ――という非常事態の連続によって引き起こされたもの。つまり住民が潜在的に抱いてしまった不安は根深い。
そもそも聖冥教団が勢力を伸ばせた要因自体、民衆の不安に付け込んで甘い言葉をかけたから。正常な精神状態であれば、大量の力無き一般市民がテロ集団に参加するわけがないし、ニヴルヘイムの統治体制が群を抜いて優れているとあって尚更だろう。現状に不満がなければ戦う理由にはならない。
まあ一部の意識高い系は別かもしれないが――。
「それに聖冥教団の規模は異常だが、全ての人間が参加しているわけでもない。国の全体から見ればほんの一部だ。そうして現状に満足している人からすれば……」
「せっかく、戦争が終わったのに混乱を蒸し返されていい迷惑?」
「そういうことだろうな。要は誰しもが抑圧された不安とストレスを開放したいんだ。そんな中、国一番の定例娯楽が中止されてみろ」
「良くて市民たちの気持ちが途切れる。悪ければ、団員以外の市民も暴動になる……?」
「だろうな。でも逆に言えば、ここで国最大の祭りを成功させることは、本当の意味でニヴルヘイムが復活……いや、再誕したという証明にもなる」
「状況を理解した上で、意図があっての行動ということですか……」
全てはラウル陛下の言う通り。
だからこそ、俺がセラたちの傍を離れてまで日中監視に赴いているわけだ。
「そういえば、あの時の友達はどうなってるんだ?」
「大分話を聞いてくれるようになりましたが、その……」
「まだ、完全に洗脳が解けたわけじゃないってことか」
「はい。あれだけ危険な目にあったというのに……」
「仕方ないさ。自分たちは良いことをしている。そう思わされている以上、納得するまでに時間はかかるんだろう。心配なら根気良く付き合うしかない」
「そうですね。でも、まさかユグドラシル卿に励まされるなんて……」
「随分な言い様だな」
「ひゃぃ!? ひょっぺひっぱらないでくださいっ!」
状況が不鮮明な以上、それぞれがやれることに向き合うしかない。
その中で月華騎士団――というか、俺が見回りをすること自体が色んな意味で牽制になる。それ故の現状。
元から分かり切っていたことではあるが、先の暴動に武力介入をしたことで俺の評判は最悪だ。何故なら、セラやラウル陛下の様に大局を見据えている者以外からは、突然民衆に牙を剥いた騎士――と認識されているからだろう。
自分で言うことでもないが、最小限の犠牲であの規模のデモを止めたと考えれば、最上の戦果と言えるはず。でも、人の心はそれほど完璧には出来ていない。どんな理由や思惑があったとしても、護るべき民衆が傷付くかもしれない手段を即断した時点で俺は異端の存在ということなのだろう。
悪魔は言い過ぎだとしても、清廉な騎士には程遠い。
「俺に向ける感情が恐怖なら安全、敵意なら危険……。いっそ名乗って剣でも向けてくれれば、判別が楽なんだが……」
「はやく、ひゃなしてください!」
つまり俺自身が聖冥教団を誘い出す囮であり、自動信者判別装置の役割を果たしているわけだ。実際、ここに来るまでに四、五人ほど牢屋にぶち込んでいるし、決して無意味な行動じゃない。
セラたち皇族も、この国で出来た仲間たちも――この手で護る。その為の第一歩が、“エーリヴァーガル祭り”の成功。混迷の情勢において、ニヴルヘイムが真に復活したという証明。
だがそんなやり取りをしている中、突如声をかけられたかと思えば、シェーレの表情が凍り付く。
「おや、こんな街中で乳繰り合っているなど、随分いい身分ですな。ユグドラシル卿、ゲフィオン卿」
「全く、自分たちから街中警護に出たいと聞いて許可してみれば……」
「ロエル祭司!? それにオーダー卿!?」
「卿の立場であれば、宰相と呼んでもらいたいものだがね」
「は、はぁ……」
姿を見せたのは、文官・武官の両勢力トップ。
シェーレからすれば、直属の上官と別部署の上司。向こうのグレイブたちの様子を含め、勤務中に遊んでいるとも取られない光景とあって、驚くのも無理もない。
そんな時、辺りの観衆から歓喜の声が上がる。
「宰相殿だ!」
「これはこれは、まさかご自分で街を見に来て下さるとは……」
「お高く留まった連中とはやっぱり違うなァ」
「おかげで恋人が元に戻りました! ありがとうございます!」
「ウチも息子が勝手に家の貯金をお布施する前に止めてくださって……!」
内容は聖冥教団への対処を含め、狂信者の社会復帰に尽力しているアルバートに向ける住民からの感謝の言葉だった。
「それにしても由々しき事態だ。皆の言葉も不安の裏返し。国民……いや、国全てに不安と混乱が渦巻いている。その中心にいるのは、君だというのに……」
しかしアルバートは周囲を一瞥すると、俺に視線を合わせてそう呟く。
「ロエル祭司! その言い様では!」
「いや、別に気を悪くしないでくれたまえ。しかし、ゲフィオン卿とて否定はしきれないのではないか? 良くも悪くもユグドラシル卿の入国をきっかけに、ニヴルヘイムは大きく変わってしまったのだからね」
シェーレが憤慨する。
だが快活ではない彼女がアルバートに論戦で適うわけもない。
「確かにユグドラシル卿の戦果は、非凡極まりないものがある。その一方、卿の存在を疎ましく思っている者も多い。戦士としては一流でも、専任騎士としては不適格ではないのか……とね。それを後押ししたのが今回の一件。独自捜査に独断専行……挙句の果てが民衆へ剣を向けたこと……」
「逐一報告はしているつもりですが?」
「それに独断専行と言うなら私も同じはず!」
「私は皆の意見を代弁しているだけだ。熱くならないでくれたまえ。実際、あの突入は英断だと思っているしね。まあ、民衆に剣を向けたことを擁護するつもりは更々ないが……」
「この間の一件には、狂信者だけを狙い討つという目的があったと聞いています! 驚いたのは事実ですが……」
「では、それはどうやって証明する?」
「え……?」
俺の隣でシェーレが息を呑む。
「一定条件で人間が起爆させられる? 魔眼が関わっている? 証明など出来るはずもないさ。何故なら、全てはユグドラシル卿だけが体験した推測でしかないからだ」
「確かに……あの時離れていた私から、実物の魔眼がはっきり見えたというわけではありません。でも私たちは……!」
「実際に起爆を体験した。それは事実かもしれない。でも、己の魔力を暴発させれば、同じ現象を引き起こすことは可能。狂信者が危機を感じて自爆したということなら、筋が通る話だ。洗脳とて実際に捕らえた者は、人の手でどうにでもなる暗示程度に留まっている。果たして、先のユグドラシル卿の行動……正しいものだったのかね?」
「それは……!」
「結局は暴力で人々を鎮圧しただけ。一歩間違えれば大惨事だった上、死人に口なし。処断された犠牲者に一般市民がいなかったとも限らない。他の者の様に洗脳を解けば、救える命だったかもしれない。少々早計に思える行動だったがね。オーダー卿も同感でしょう?」
「ここで糾弾するつもりはないが、納得もしておらぬ。皇女専任騎士でなければ、一、二発殴り飛ばしていただろうがな」
「流石は歴戦の老兵。器の大きさが違う。しかし他の民衆はどうだ? 周りの人々がユグドラシル卿に注ぐ恐怖の視線は? 先の行動の是非が君の自己満足でしかないでしかないと証明しているのではないかね?」
英雄に相応しい戦果を挙げた――というアルバートの言葉は、言い得て妙というところ。
多分、アースガルズとの混乱期に同じことをしても、これほど咎められることはなかった。曲がりなりにも平和が戻りつつある今だからこそ、こうして反発、恐怖されている。
平和な世に乱世の英雄は必要ない。
俺は戦場でしか生きられない。
きっと、そういうことなのだろう。
「そもそもユグドラシル卿の魔眼の全貌とて明らかになっていない。魔眼が関わっているというのなら……」
「いくら宰相殿のお言葉でも、それ以上は聞き逃せません!」
「いや、本当にユグドラシル卿が犯人なら、自分から魔眼などというワードを出したりはしない。ちょっとした言葉遊びだ。気を悪くしないでくれ」
誰もがセラやラウル陛下の様に信じてくれるわけじゃない。
そんなことは初めから分かっている。
だとしても、本来向こう側にいるはずのシェーレとも、こうして隣り合っている。いつの間にか背後に立っていたグレイブも同様。今更この連中や民衆に敵意を向けられた程度で揺らぐはずもない。
「――それで宰相殿は何が言いたいんです? まさか世間話をしに来たわけではないんでしょう?」
「なに、ちょっとした報告だよ。次のエーリヴァーガル祭では、色々と大きな発表がある。それを経て、このニヴルヘイムは大きく生まれ変わる。ユグドラシル卿には残り少ない日々を噛みしめて過ごしてもらいたいと思ったのでね」
「どういう意味ですか?」
「直に分かるさ。この国にとって、君の来訪が福音となることを祈っているよ」
アルバートはそう呟くと、踵を返してこの場から去っていく。オーダー卿もシェーレやグレイブと一言交わすと、その後を足早に追った。
俺に注がれる視線は、恐怖と敵意。
奴に注がれる視線は、賞賛と喝采。
皇族、騎士と文官、教団、民衆。
様々な思惑が絡み合い、混沌の時代は流転する。
その全てが明らかになる舞台は、エーリヴァーガル祭。
もう間もなくだ。
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