第6話 叛逆眼《カルネージ・リベルタ》
「――魔法を喰らう魔眼……その力でケルベロスの攻撃を掻き消したと?」
「まあ、そんなところだ。というか、この状況で随分と落ち着いてるな。俺は……」
「詳しく話を聞きたいところですが……今は四の五の言っている場合ではない。ここを切り抜けるのが先決です」
蒼銀の少女がこちらを一瞥しながら呟いた。意外だったのは、彼女に怯えや拒絶の感情が見られなかったこと。不吉と災厄の象徴とされる“魔眼”の存在を知ったにもかかわらず、こんな反応はありえない。
「それにしても、これが魔眼ですか? 存在は知っていましたが、よもや担い手に会うことになろうとは……」
「あの、近いんだけど……」
少し驚いていると、少女は自分の顎に手を当てて考え込む素振りを見せたかと思えば、ずいっと俺の瞳を覗き込んで来る。身長の関係上、必然的に上目遣いで見つめられることとなってしまい、浮世離れした美貌で視界を占拠されてしまった。
打てば響く会話の応酬に不思議な感覚を覚えるが、俺たちが敵前にいる事実には変わりない。今は遊んでいる場合ではないと、鋭い眼差しをケルベロスに向ける。
「――なんにせよ……俺に敵対の意思はない。利害は一致していると思うが?」
「ええ、あの怪物相手に背中を向ける方が危険ですし、この状況では致し方ないですね」
「なら俺が突っ込むから、君はさっきの斬撃で援護してくれ」
「一人で前衛など危険過ぎます! それに誤射の可能性も……」
「俺は君の魔法も吸収できるから、好きに撃ってくれて構わない。生憎、味方と連携して戦えるほど器用じゃないし……な!」
「強引な男だ!」
俺は少女との会話を打ち切り、地面を蹴り飛ばして急加速。兵士が取り落とした蒼い刀身をした剣を地面から抜き放ち、先ほどの比ではない速度でケルベロスに肉薄する。
すると、突如戦場に現れ、自らの攻撃を掻き消した謎の存在へ――ケルベロスの敵意がこちらに向くのを感じる。狙い通りだ。
「■、■■■――!?」
「まずは一太刀……狙わせてもらう!」
この高速移動も、魔法を喰らって己の力に還元する“叛逆眼”の能力の一つ。半ば無効化に近い形で喰らった魔法が還元されるのは、術者の身体能力であり、再生能力。
更に吸収した魔力をより純度と出力の高い状態として、体外に放出することも可能。故に――。
「斬り裂く――ッ!」
「■、■■■■■――!?」
蒼刃に漆黒を纏わせると共に、強化された脚力を用いて大跳躍。
すれ違いざまに破壊の奔流を纏った剣戟を奔らせれば、晴天の空に鮮血が舞う。それはケルベロスの左の首がズレ落ちたことを意味している。
俺が用いた力の源となっているのは、ケルベロス自身が放った地獄の灼炎。
そして、吸収した魔力砲撃を更に高出力へと昇華。斬撃形状に超圧縮。極限まで出力を引き上げ、身体強化した腕力で剣閃を叩き込んだということ。
世界最強の力である魔法を一方的に無力化し、自らの糧とする。これこそが“魔法殺し”とでも称するべき、“叛逆眼”の真髄。
その一方、俺にとっても予想外と称せる出来事が起こっていた。
「しかし、喰らった魔力の一部を使っただけでこの出力。これが神獣種か……」
力を己に還元するという性質上、吸収する魔力の質は俺にも影響を与える。
そんな中、ケルベロスの灼炎は量も純度も別次元。今も身体の奥底から力が溢れて来る。それは経験したことのない感覚だった。驚きに包まれている俺だったが、次の瞬間には獄犬の中央の顔が目と鼻の先に迫り来ている。
「確かに化け物だな……これは!」
対して俺は巨大な体躯をした相手に攻撃を加えた直後であり、絶賛滞空中。普通に考えれば回避不可能だが、切っ先を下に向けた剣から魔力を放出。自らの魔力を推進力に高度を上げ、ケルベロスの鼻先を踏みつけて跳躍すると、そのまま身体の上を通って胴体側に抜けていく。
「■、■■■――!?」
後頭部から胴体までは、牙も尾も届かぬ死角。ここが好機。
「これでッ!」
蒼刃黒閃。
滞空している最中、ケルベロスの背を撫で付けるように刃を奔らせれば、途方もない鮮血の雨が空を彩る。
「■■、■■■■――!?!?」
そのまま痛みに悶えるケルベロスの尾付近に着地。もう一撃繰り出そうとするが、俺を排除すべく、竜の形状を取る尾が打ち据えられようとしていた。
しかし、そこまでは想定内。背中から魔力を放出し、俺の身体は宙に舞い上がる。
「■、■■!?」
この身を空へ逃がしたのは、背に生成した漆黒の翼。悪魔とも竜とも取れる意匠をした魔力の翼だった。
“叛逆眼”で吸収した力の用途は、攻撃と身体強化だけに作用するものじゃない。翼形状に変化させた力を纏い、機動力の向上と短期的な空戦能力を両立させる。これもまた、強靭なモンスターと戦う中で身につけた力。
「器用な尾だが……遅いッ!」
飛翔、破断。
黒翼で宙を舞い、竜尾による一撃を回避。逆手に持ち替えた剣で黒閃を奔らせ、竜尾を断ち穿つ。
「■■■■、■!?」
言葉は分からないが、ケルベロスの咆哮から困惑と憤怒がありありと伝わって来る。動きは精彩さを欠き、明らかに対応が追い付いていない。
此処が攻勢に出る最大の好機――。
出力に耐え切れず、刀身に入った罅を一瞥した後、俺自身が飛び出してきた方向へ視線を向けた。
「我が剣にかけて勝利を!」
遠く離れた琥珀の瞳と再び視線が交錯する。最早言葉は必要ない。何故なら、あの少女は俺の意図を汲み取ってくれているからだ。
それを証明するかのように、少女が持つ剣に集う膨大な光が弾けた。眩い輝きが内包している力は、神獣種の魔力砲撃すら容易に上回る。
「“聖穹劃す裁きの皇断”――ッッ!!」
聖断絶閃。
振り下ろされた剣から、蒼銀の極光が放たれる。それは極大の斬撃と化して飛翔し、冥府の獄犬を飲み込んでいく。
「■、■■、■■■■――!?!?」
閃光、衝撃、滅却。
極光の中で、ケルベロスの右首と連なる半身が消し飛んだ。更にその鮮血の一片すらも蒸発させている様から、凄まじい破壊力なのは疑いようもない。だが俺を驚かせたのは、純粋な威力だけではなかった。
「これは本物の聖剣なのか?」
蒼銀の少女が放った極光――それはかつて一度見た、勇者の斬撃と酷似している。“姫”と呼ばれていただけあって、地位のある人間だとは予想していたが、流石に驚きを隠しきれない。
だとしても今は、眼前の脅威を討つことが先決。そして、少女の斬撃が炸裂している現在も、まだ決着はついていないのだから。
「■、■■■■――!!!!」
全身を灼かれながらも、裂けた様に開かれる大口。剥き出しになった牙の中心に集う魔力。空中の俺へ地獄の灼炎が迫ろうとしていた。
「この一撃で……終わらせるッ!」
対する俺は剣尖を獄犬へと差し向け、喰らった魔力全てを超収束。刀身で漆黒の波動を炸裂させると共に黒翼を四散させる。
すると、空中で推進力を失った俺の身体は、眼下のケルベロス目がけて真っ逆さまに降下を始めてしまう。
だがこれでいい。今から放つのは、極限まで破壊力を追求した最大の一撃。全ての力を刃だけに――。
そして、黒金の極光を宿した剣尖を突き出す。
「“破滅衝く黎明の剣”――ッ!!」
闇炎剣衝。
極限まで収束した魔力を解き放ち、携えた剣を起点に俺自身が漆黒の彗星と化す。それと同時に地獄の灼炎が解き放たれ、互いの最大火力が激突。しかし拮抗はしない。
「――ッ!」
何故なら、蒼穹の剣十字が輝きを増すと共に、周囲の灼炎が削り取られていくからだ。逆に灼炎の四散に比例して、黒金の斬撃は出力を増していく。
魔法を喰らって自らの糧とする。それは正しく世界に叛逆する力。
地獄の灼炎を正面から斬り裂きながら、黒金纏う剣尖を突き出した。
「■、■■――!?」
爆轟、斬滅、激震。
俺が放った斬撃は、猛々しい灼炎ごとケルベロスを貫き、命を喰らう破滅の一閃と化した。同時に蒼銀の少女が放った聖穹も破壊の光を炸裂させていく。
そうして黒金と蒼銀は戦場に在りて、折り重なった。
「■■、■■■■――!!!!」
神獣咆哮。
一つ首となった冥府の獄犬は、潰滅の二重光の中で肉体を崩壊させていく。
魔眼と聖剣――共に神話に記された力。
その力がなければ、打倒成し得なかった怪物。最期に立ち会う中、俺は言葉で表せない複雑な感情に苛まれながら、消えていく光を見送った。
そして、ケルベロスの肉体崩壊と時を同じくして、掌中にあった兵士の剣が砕け散る。
「よく保ってくれた。しかし、これでは……」
俺は蒼の長剣に感謝を示し、無残な姿と成り果てた荒野を見回しながら呟いた。
焦土と化し、巨大な傷跡を各所に残す大地。
崖や山が崩れ、積み上がる瓦礫の数々。
これでは戦闘痕というより、大災害の直後とでも言う方が自然だろう。俺も多分に関与したとはいえ、人智を超えた異常な光景を前に押し黙ることしか出来ないでいた。
そうこうしていると、蒼銀の少女が長髪を揺らしながら駆け寄って来る。魔眼を見られた以上、長居は無用。
早々に立ち去ろうとするものの――。
「――ご助力感謝致します。紹介が遅れましたが、私はセラフィーナ・ニヴルヘイム。此処から少しばかり離れた“ニヴルヘイム皇国”では、皇女などと言われています。ぜひお礼をしたく思っておりますので、貴方を我が国に招きたいのですが構いませんか?」
蒼銀の少女――セラフィーナ・ニヴルヘイムの身の上を知り、思わず固まってしまっていた。