第59話 幕間:にーずへっぐのゆかいなおさんぽ
ヴァン・ユグドラシル、アイリス・アールヴ、シェーレ・ゲフィオンの三名が聖冥教団の集会に参加しているのと同時刻――。
セラフィーナ・ニヴルヘイムの政務室でも大事件が起こっていた。
「どわぁっ!?」
「リアン!?」
少年騎士――リアン・グンスラーは、高級そうなティーカップをぶん投げながら、派手にすっ転んだ。彼と既知の仲であるコーデリア・ユルグは、思わず顔を青ざめる。
その動揺も当然のもの。何故なら、この部屋にある物全てが“超”を三つ四つ付けるべき超高級品ばかりだったからだ。
このままカップの中身をぶちまけて部屋を汚しでもすれば、良くて出世コースからおさらば。悪ければ、人生何周か分の給料が吹き飛んでもまだ足りない。それこそ、最悪打ち首でも文句は言えないだろう。
不憫な少年の不憫さが最悪の方向に働いた瞬間だった。
だがそんな時、白い影が宙を駆ける。
「――!」
人間サイズから見れば小さな白い影が、シュバババっと小刻みに飛び回れば、中の液体を一滴も零す無く、カップと受け皿を器用にキャッチしてしまう。
その光景に唖然とするリアンと、胸を撫で下ろすコーデリア。
そんな二人の前では、つぶらな瞳を持つ白竜がパタパタと翼を羽ばたかせている。
「君は……へっ、ぐっ!?」
直後、皇獣――ニーズヘッグは長い尾でリアンの頬を叩くと、崩れ落ちた彼に構うことなくセラフィーナの元へと飛び去って行った。
「空回りはいつものことだけれど、ちゃんとお礼は言いなさいね」
「ふ、ふぁい……」
「まあ、今日ばっかりは空回る気持ちも分かるけど」
そんなやり取りを見たコーデリアは内心嘆息を漏らしながら、白竜が去った後を視線で追う。
「あら、ニーズヘッグ。貴方が淹れてきてくれたのですか?」
「――!」
その先には、セラフィーナの机にカップを置いて、嬉しそうに周辺を飛び回る小さな竜皇の姿があった。
神話の怪物と呼ぶにはあまりに愛らしい姿を前に茫然と立ち尽くしている二人に対し、セラフィーナは微笑みながら声をかける。
「ふふっ、どうして自分たちが招かれたのか……という顔をしていますね」
「あ、いや……ですが、皇女殿下の護衛なら、もっと適任者がいるのではないかとは……薄っすら思っていたり、いなかったり……」
「その……それに関しては私も同意見というか……」
「でしょうね。ヴァンが不在とはいえ、以前までであれば、騎士団から直接護衛を派遣することは無かった。何故なら、ここは国の中枢……安全な宮殿の中であるから……」
「であれば、今は違う。安全とは言い切れない。まさか先日街で遭遇した暴動が関係しているということですか?」
「当たらずとも遠からずというところですね。ただ、ヴァンは自分が信頼できる者を護衛として残してくれたということなのでしょう。今回は私が気を遣わせたようです」
困惑する二人を尻目に、セラフィーナは優雅に茶を嗜んでいるのみ。それも身の回りに狂信者が潜んでいると感づいているにもかかわらず、凛として堂々たる様を見せている。
セラフィーナはヴァンが真実に辿り着くことを信じている。
故に彼女自身も、それに応えるべく普段通り振舞っていた。
皇女である自分にしか出来ない役目があると、知っているから――。
「――」
ただ、コーデリアたちには平常通りに見えていても、セラフィーナに新たな心労が生まれたのは事実。ニーズヘッグは目を細めると、周囲に悟られない様に政務室を後にした。
◆ ◇ ◆
「――」
ニーズヘッグは、フワフワと宙を飛んで宮殿の廊下を進む。
侍女や高官たちが一瞥しながらギョッとした表情を浮かべるものの、当の彼女は我関せず。
竜皇のお散歩が最早見慣れた光景になりつつあるというのも理由にあるが、あくまで驚く程度の反応で留まっているのは、宮殿で暮らす者たちの涙ぐましい努力によるものだった。
これまでに何があったのかといえば、一部の高官が入国直後のニーズヘッグを餌付けしようとして、彼女によって半殺しにされるという事件が起きたというもの。これが決定的な原因となり、ヴァンとセラ、辛うじてアイリス以外の面々はニーズヘッグに近づこうともしなくなったわけだ。
尤も、彼女自身も自分が認めた者以外にかかわろうとしない為、結果的にそれが最高の処世術となっているのは皮肉極まりない。
因みに三人の少し下にシェーレ、別枠でグレイブ辺りには多少気を許しているようだ。ただ、後者に関しては顔が濃ゆいという意味で、揶揄いがてら足蹴にしているのは何とも言えない話だろう。
とにかく諸々の理由もあり、ニーズヘッグは愛らしい見た目とは裏腹に、国の最高戦力の一つである――という独自の立場を確立するに至っていた。
「――」
そうして我が物顔で宮殿を闊歩するニーズヘッグだったが、突如一室の前で制止する。可愛らしく小首を傾げる彼女の優れた聴覚は、室内の会話を聞き逃さない。
「――いやはや、偶発的な事故とはいえ、まさか我が同士たちが姫に刃を向けるとは……」
「ああ、由々しき事態だ。おまけに一網打尽にされた挙句、まとめて取調室送りなど……。大事を前にあの方は一体何を考えているのだ」
「いや、神の使いである教皇様を疑うことは許されぬ。きっと我らには分からぬ思惑があるのだろう。それより今は、勢力の拡大に努める時だ」
「我らの正義の為に……」
「正義の為に……!」
宮殿外れの寂れた会議室で行われる会話。
彼らが国の高官であること、直接的な表現を避けていることから、戦争を乗り切ったニヴルヘイムの未来についての話なのだとギリギリ理解出来なくもない。しかし、聖冥教団問題を理解している者が聞けば、その内容は看過できないものとなる。
そんな時、ガタンっという音と共に鍵のかかった扉が力任せに開け放たれた。中の三人は驚愕しながら扉の方向へと向き直る。
「ま、ま……なっッ!」
「――」
扉の中央に佇むのは、人影に非ず。
小さな竜皇が超然とした眼差しを向けて来るのみだった。
「り、竜神様!? どうしたの……です?」
理解不可能な超常の存在。
少しばかり不機嫌そうなニーズヘッグを前に、三人の表情が凍り付いた。
ただ、そこに在る。それだけで恐怖の根源となってしまう。故に神話の竜皇。
尤も、未だ殺気の片鱗すら見せていないわけだが――。
「ひ、ひぃいっ!?」
「ま、待って、くださっ!?」
直後、ニーズヘッグは怯え切った三人へと襲い掛かった。
及び腰の三人が抵抗できるはずもなく、即時昏倒してしまう。その戦闘、僅か一秒足らず。
「――!」
そうして今代の主に害をなす敵を排除した彼女はご満悦。小さな手と長めの尻尾で三人の首根っこを掴むと、セラフィーナの執務室まで引きずりながら連行していく。
その結果、ニーズヘッグのお散歩により、宮殿内にも聖冥教団の因子が侵食していることが証明された。
同時刻、ヴァンたちが聖冥教団潜伏の事実を白日の元に引きずり出したことと合わせ、教団への対抗措置が一気に加速することとなる。
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